|
Place of scenic and historic interest
|
|
|
なごや散歩道
塩付街道から飯田街道界隈
Shiotuke and Iida Old Course
|
尾張名所図会に『川名川の下流にして深淵なり。この辺十五軒家とよぶ値り新豊寺山へ至る道にて、土橋を架し樋を伏せて幽遼いふばかりなし』と記されている。山崎川が壇渓橋あたりで湾曲し、丘陵の裾に沿って南流する付近の渓谷を壇渓と呼んでいた。
|
現在改築中。寺とは思えないような斬新で近代的鉄筋コンクリ-トの建物に変身中。山号は開道山。明治2年現在の千葉県市川市中山日蓮宗大本山法華経寺内にあった『善進坊』(寛文2年創立)をここに移し寺号善進寺と改称した。
|
愛知県文化財。数奇屋風の書院があります。江戸時代にこの建物は名園として知られた龍門園(名古屋市中区)にあったが、その後
俳人久村暁台(1732-92)修復し住んだという。そのため暁台の号である暮雨巷が建物の名前になつた。大正初年に当地に移された。尾張を代表とする俳人の住宅として貴重なものである。見学は予約が必要です。
|
享保元年(1716)の創建で280年の歴史のある神社です。祭神は東照大権現徳川家康公。日光山東照宮分霊を勧請したもの。明治初年村社になる。中区丸の内の東照宮に次ぐ神社である。
|
大正初年から10数年かけて築造されたこの山荘は、所有者の綿布商伊東信一氏の遺贈により、昭和11年名古屋市の所有となった。東山荘は所有者の名前に因んでつけられた。18年以降一時市長公舎となったが、43年から再び市民の公園として開放された。庭園は自然回遊式の総合庭園であり、玄関、庭園、書院の庭、仰西庵路地、東丘庵路地の4庭と自然樹林からなっている。
|
これより飯田街道
|
曹洞宗の寺で天文2年(1533)の建立の記録がある。寺は天正12年(1584)小牧長久手の戦いで焼失し、現在の本堂は昭和6年に建てられたもの。
|
昔、この道の向かい側の『川名南城址』に北向きに立つていました。この近くに熱田神宮への『宮参り道』が通っていました。奥のお地蔵さんに『天明五乙巳四月二十四日』(1785)・『左あつた道』と刻まれ、道案内の道標でありました。左側の如意輪観音には『西国坂東秩父百ケ所』右側の石仏には『四国八十八ケ所』と刻まれており、弘法さまかと思われます。この道が拡幅された昭和の初めにここに移された。
|
今の昭和警察署のあたりです。警察署は通りから高台に建っていますので、このあたりが山であったのが想像できます。警察署の裏に全く目立たない祠があります。城主は佐久間彦五郎であったといわれています。城は50×60m位で館風の城でしたが、小牧長久手の戦いで焼失してしまいました。
|
平成7年に開館した。創設者の南谷博一氏はわが国一流のマンドリン奏者です。マンドリンのストラデバリウスといわれるイタリアの名器『ガエタノピナッチア』(1926製)をはじめ、数多くのマンドリンが展示されています。
|
祭神は日神・埴山媛命などです。神社の創建は不詳ですが、延喜7年(907)延喜式神名帳に記載された式内社として国司の参拝を受けた記録があります。川原天神ともいい天保年間の尾張名所図絵にも描かれています。境内の池には弁財天が祀られていることから『川名の弁天さま』として信仰を集めています。平成4年に不慮の火災で焼失、平成10年に再建された。
|
この観音さまは、当地で馬車による運送業をしておられた服部文五郎さんが、明治42年に同業者と共同でここに安置し馬の健康と輸送の安全を祈願した。
|
平成元年に再建された真宗大谷派の寺で阿弥陀如来が安置されている。
|
明治5年に開校した広路小学校の校庭の南隅に2本あります。10m以上ある巨木です。
|
真宗大谷派の寺で昔から中区矢場町にありましたが、戦後この地に移転されたものです。
|
日蓮宗の寺で、社会福祉法人招徳会と学校法人法音寺学園を併設しています。児童擁護施設や特別養護老人ホ-ム、日本福祉大学など多数の教育施設を運営しています。広大な敷地と立派な伽藍が立っています。
|
南山学園にあって学園の中心になっているカトリツク教会でする丘の上に立つ白い円形の聖堂は1958年に落成した建物である。
この学校は戦前の私立南山中学校が母体で、戦後拡充され今は大学まである総合学園となっています。教会前の道路には八重桜が90本植えられて春は見事な景観です。
|