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Place of scenic and historic interest
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なごや散歩道
塩付街道から飯田街道界隈
Shiotuke and Iida Old Course
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この池は正保3年(1646)に犬山城主の成瀬隼人正が開削させたといわれています。池の水は往時壇渓付近に樋を架けて山崎川を空中で横断し、藤成新田に引かれていたようです。池の周囲の桜30本は区の名木になつています。
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天正年間(1573-1591)清州に創建されたが、その後中区の白川町を経て戦時疎開で現在の地に移転した。この寺の周辺には昔『イヌナシ』が沢山自生していたが、寺に残っている2本は県と市の天然記念物に指定されている。
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安永2年(1773)尾張藩士西村某が、尾張国海部郡の津島神社から分霊を迎えて、須左乃男神社を水筒先町の自宅に創建したところ、氏神様として町民の崇敬を集めていました。明治39年に当地に移ったものです。須左乃男命は天照大神の御弟で、神徳高く厄病除けのいましめを教えたり、杉、檜などの植林を指導されました。境内には保存樹のケヤキの大木があります。
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明治18年(1885)静岡県奥山半僧坊方行寺の別院を名古屋市中区大津町(現・栄3丁目)に建立した。明治43年街中を離れ閑静なこの地に移された。本尊は阿弥陀如来。本堂前には宮本武蔵の百四十九年供養に建てられた『新免政名供養碑』があります。武蔵は尾張藩主義直に拝謁、藩士と剣術試合をして二刀を使う円明流を伝えたとのことです。
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聖霊幼稚園の隣にあるのが修道院です。ここが全国にさまざまな組織をもつ聖霊会(カトリック系)の本部です。もともと本部は秋田市にありましたが、昭和8年(1933)に移転してきました。当時は周辺に建物も無く、目立った存在だったようです。
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永正・大永年間(1504-1528)に清州に創建された寺である。その後中区白川町に移り、1943年に現在地に移転した。朱色の山門は薬医門で織田信長が寄進したものと伝えられている。別名『赤門寺』と称されている。
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天保3年(1832)摂津国能勢の妙見山からご神体(妙見大菩薩)をいただき祀ったのがこの日蓮宗のお寺です。通称『川名の妙見さん』と言われています。寺には『妙見宮』と記された石柱や鳥居がある。神仏習合の姿が残っています。八事電車開通当時、『山中』停留所を『妙見口』と言っており、そこから坂道を上り下りして参拝したようです。
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山号は味岡山。貞亨4年(1687)久屋町(現・久屋大通りあたり)の豪商味岡次郎九郎が一人娘の死を弔うために建立した曹洞宗の寺です。
永平寺開祖の道元禅師直筆の『一葉観音画像』が寺宝としてあります。
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中京高校の正門の斜め前、聖霊病院北側の駐車場の片隅にこの碑はあります。尾張藩主徳川慶勝の建言によって、明治2年(1869)、前年の戊辰戦争の英霊25柱をまつる旌忠社がたてられた。明治8年招魂社と改め、大正7年城北練兵場『現・名城公園』へ、さらに昭和10年愛知県護国神社として現在に至っている。
撮影機材・Sony cyber shot DSP-71
撮影サイズ・1200×1600高画質画像
撮影場所・名古屋市昭和区、瑞穂区
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