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Place of scenic and historic interest
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鶴舞公園から御器所台地へ
Turuma Park and Gokiso Neighborhood Course
探訪コ-ス
鶴舞公園-一本松古墳-八幡山古墳-小酒井不木宅跡-屋根神様-亨栄寺-八大竜王寺‐龍興寺-宗円寺-尾陽神社-御器所八幡宮-神宮寺-イボ神様-久松寺-浄元寺-姫塚‐延命地蔵と亀口の泉‐都島通りの石仏-八王子神社‐西福寺‐寿栄寺‐恵林寺-八幡社-十八間道路-龍福寺‐箸蔵寺名古屋別院‐緑町の氏神‐小桜町の氏神-北山八幡社‐教西寺-堪忍寺-御器所屋敷跡-宝蔵教会
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東西を走る道路では東から西に向けて緩く勾配がついているのか゜判ります。住宅が密集するところでは急な坂もあり、御器所台地と、大昔は海であった西側の低地という地形が示されています。この地は豊かな水に恵まれ、米作りが盛んであった。特に御器所3泉と呼ばれる滝子、浄元寺(亀口)、北市場(御器所二丁目)から湧き出る水により日照りの害も少なかったと言われています。また、村雲町あたりから奈良時代のものとみられる瓦が出土されています。
この台地の土が焼き物に適していたと考えられています。御器所の名は、このあたりが熱田神宮の領地であって、その祭りに使う土器をつくっていたことから起こったのだろうと言われています。
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本名は小酒井光次、不木は号である。医学博士であり、推理小説家として知られる。著書に『小酒井不木全集』17巻がある。愛知県蟹江町出身であるが、大正10年(1920)から10年間この地に住み40歳で没した。
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民間で屋根に神様を祀る屋根神様は名古屋独特のものです。この神様はね昭和5年病気や大火を恐れ町や人々の平穏無事を願って、民家の軒下に作られた屋根神様が祀ってりましたが、10年程前に広場内に移転しました。風雪70年の歴史を残して平成12年に新社殿を改築しました。向かって右から尾陽神社、天照大神、御器所八幡宮が祀られています。
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天文8年(1539)この地の豪族の御器所城主佐久間盛次が建立したといわれるが戦災ですべて焼失した。
昭和50年(1975)実業家藤山雷太氏の旧邸(東京芝白金の迎賓館)を移築して本堂とした。この迎賓館は外国人客に日本文化を示す目的で昭和7年に建てられたものです。現在県の文化財に指定されています。
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曹洞宗で龍興寺の末寺。現在寺は鉄金コンクリ-トのマンションの一階部分になっています。寺の南西に小堂が設けられ、その中に宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。応安年間(1368-1375)の銘があり市の文化財に指定されている。
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大正11年名古屋開府300年を記念して創建された。尾張徳川初代藩主義直と14代慶勝を祀る。別殿は春日大社の社殿を移築したもので天明6年(1786)造営の時の建造物であるという。またこの場所は戦国時代の豪族佐久間氏の居城『御器所西城』の跡といわれています。
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室町時代の中頃喜吉元年(1441)にこの地の豪族佐久間美作守家勝が建立したという棟札が熱田神宮に所蔵されている。小型の木彫仏像が六体あって室町初期の作ではないかといわれています。江戸時代には広大な境内があり、昼なお暗い『つくばねがしの森』であったという。現在社務所の横に残る『つくばねかし』は樹高20mの巨木です。
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本尊は薬師如来。仁明帝(834-850在位)の勅題によって開山されたという。
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本尊は釈迦牟尼如来。江戸初期の建立。境内に五輪石塔があり、本堂にはモザイク造りの釈迦八相図があります。その他に、刺繍による『薬師寺秘蔵月光菩薩像』があります。この像はリッカ-ミシンの元顧問でミシン刺繍の開発者(技能文化保持者)である山口俊平さんの文部大臣賞に輝いた作品です。
本来、薬師寺に寄贈される予定でしたが、昭和52年に山口さんが死去された際、久松寺で葬儀が行われた縁からこの寺に寄贈されたものです。
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曹洞宗で龍興寺の末寺。永禄年間(1558-1569)の正鉢浄元を開祖としています。鎌倉様式の古風な本堂でしたが戦災で焼失、戦後再建されました。尚、現住職は茶道賣茶流(ばいさりゅう)の家元で茶会が寺で開かれます。
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この塚には諸説があります。一説には150歳まで生存して殿様から長寿のお祝い品を賜った正念という老女の塚といわれています。
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碑文には『ここは名古屋東郊の名水、亀口の泉として往来の人々に親しまれた旧蹟のかたわらに立つ珍しいお姿のお地蔵さまで、文化元年(1804)建立である。この地を境内地として梶原家より浄元寺に寄贈された』とあり、当時名のある商人が施主となり造営安置したらしいとのことです。
この延命地蔵は戦火に遭っていません。これをお地蔵さんのご利益というのでしょうか。またここは、昔御器所三泉の一つで清水の湧き出る水口が亀に似ているところから亀口の泉と呼ばれていた。
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往時はサカキ、クスノキ、ケヤキなどが生い茂る森でした。中でもサカキが多く熱田神宮へしばしば献納されたことから『サカキの森』と呼ばれていた。この神社は数百年前に病難を免れる神として祀られたともいわれている。
また明治初年に地元の農事を司る神を祀ったとも言われています。一時は御器所八幡宮に合祀されましたが、明治の末に村人の強い要望により再建された。昭和20年の空襲で周囲一帯を焼失したがこのお社だけは火難を免れた。
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多分、昔街道沿いにあったものをこの社に移転させたと思われます。
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真宗大谷派、大沢山と号す。『尾張恂行記』によれば天長6年(829)弘法大師が建立し当時は真言宗でした。本尊は阿弥陀如来。永禄5年(1562)真宗大谷派に改宗。その後昭和20年に名古屋城焼失と同じ日の空襲で被災損傷した。昭和24年に修復され、山門も平成13年に改築された。
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爆弾で上部が吹き飛んだ標柱がそのまま残されています。
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曹洞宗で久松寺の末寺。明治初年に創建された尼寺です。山門前に地蔵堂があります。出世地蔵、観音菩薩、延命地蔵、不動明王、弘法大師の像が安置されています。もともとは地元の大地主が自宅に所有していたものをお寺に移したものです。近隣の人たちの信仰を集めています。
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真宗大谷派の寺。先代住職は富山の人でこの地に荒山説教所を開設した。昭和27年に寺院となる。平成13年改築。住職は各地の寺院での法話等布教をはじめ、名古屋拘置所と刑務所の教誨師として活躍されています。
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昭和の初め阿由知通が整備されると道幅30m以上と、当時としてはビックリするほど広く、また車の交通量も少ないので、十八間道りの愛称で子供達の遊び場となっていました。
戦時中から大曽根-桜山間にトロリ-バスが昭和25年まで走っていました。
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高野山真言宗。地蔵寺とも言われています。女人禁制の八事興正寺が建てられたとき、その開祖の天瑞円照和尚の生母である普照尼が創建したものです。ここには尾張三弘法の元祖といわれる古い札所があります。また名古屋二十一大師霊場の一つです。
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真言宗。大正5年に徳島県の箸蔵山金毘羅大権現の名古屋別院として設立されました。徳島県の本山金毘羅奥の院の開創以来の伝統である護摩祈祷を毎月第2日曜日に行っています。
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