|
Place of scenic and historic interest
|
|
|
桜山から瑞穂運動場界隈
Sakurayama and Mizuho Plyground Course
散歩コ-ス
天聖寺-津賀田神社‐北川天満宮-白竜神社-地蔵寺-大喜寺-秋葉神社-田光八幡社-為麻塚-秋月院‐長福寺-龍泉寺-藤原師長住居跡-井戸薬師の道標-金毘羅社と秋葉社-東の宮神社-浜神明社-神明社-信正寺‐八高古墳‐盛屋寺-八剣社-金龍寺-高田城址‐富士八幡社-観音堂‐一乃御前社-神之内八幡社-直来神社‐海上寺-白山神社-薬師寺-真好天神社-瑞穂古墳1号-瑞穂古墳2号-大曲輪貝塚‐下内田貝塚-あゆちの水‐道分け地蔵
|
曹洞宗、熱田の円通寺の末寺。円通寺十四世活水昇竜禅師の開山。
|
門前には付近の路傍にあった石仏が寺預かりになって並べられている。これは明治末年よりの宅地化とともに、だんだん集められた物が多い。
|
古木が鬱蒼と繁り荘厳な雰囲気のこの社は、仁徳天皇を祭神に天照大神を配祀する。若宮八幡あるいは井戸田八幡ともいわれ、神社は古墳の上に建てたと伝えられている。
この辺りは松原が長く続き長森八幡とも呼ばれ『本国神名帳』には従三位津賀田天神と呼称されたとある。龍泉寺から発見された社宝の古写大般若経六百巻は戦災で十巻を残し焼失した。神社の創建は鎌倉時代にさかのぼるようです。
|
この地より西北に田光ケ池があり昭和12年頃埋め立てられ付近にあった天神山も崩された。その当時田光ケ池で水泳をしていて溺死した者や、埋め立てのため天神山を崩すときのたたりで出た犠牲者を慰めるために神社を建立したと伝えられている。
|
増益山と号し真言宗豊山派で高野山弥勒院に属する。創建は正法元年(1644)と伝えられている。本尊の大日如来は熱田神宮本地仏とされる秘仏です。境内に安置されている地蔵座像石仏はもと鎌倉街道沿いの寺山地蔵塚にあったと伝えられている。扁平な花崗岩の中央に地蔵菩薩の座像を彫り、光背を彫りくぼめている。鎌倉時代の石仏としては名古屋市内で唯一です。
|
クスノキ、ムクノキが立ち並び閑静な佇まいを見せるこの神社は、明治31年の竣工。仁徳天皇、応神天皇などを祀る。境内の中でひときわ大きく樹高25m、幹回り7mのクスノキは別宮の白龍大神のご神体となっています。弘法大師お手植えと伝えられている。
|
ムクノキとエノキが一本になつた夫婦円満の和合の木。
|
長岡為麻を祀る。長岡為麻は元禄期(1688-)熱田祠官といわれ、彼が老後職を辞して閑居したのがこの地である。彼が唱えだした
彼一流の神道は民衆の信仰を得て大いに流行したという。
|
曹洞宗。慶長3年(1598)熱田の地に創建され昭和13年に現在の地に移転した。本尊は愛敬薬師瑠璃光如来で弘法大師の作と伝えられている。
|
現在新しく建てかえられたが創建は奈良時代といわれている。曹洞宗。本尊は聖観世音菩薩。寺の横に秋葉社が祀られている。
|
行基の開山とも伝えられ、曹洞宗。熱田円通寺の末寺。ご本尊の薬師如来は聖徳太子作と伝えられている。源頼朝の誕生地であるという説がある。表門脇の亀井水は頼朝が産湯の水に使ったといわれている。
名水として知られていた。
境内には昭和58年まで残っていた大黒塚の塚の上にあつた大黒石(原始五輪塔という説もある)という古石が保存されている。
|
治承3年(1179)太政大臣藤原師長は平清盛のク-デタ-によって尾張井戸田の田嶋へ流された。師長は琵琶の名手、今様に堪能で配流の1年有余を鳴海潟を眺めながら琵琶を弾ずるなどして自らを慰めた所である。
瑞穂区の「妙音通り」の名前はこの師長の琵琶の美しい調べからつけられたものだが、昭和になってからである。
|
山崎川に架かる山崎橋の角にある道標。
|
明治元年、明治天皇が東海道筋を東京へ行幸された際、八丁畷で収穫作業を見られた。それを記念して建立された明治天皇覧穫之所という碑が境内にあります。
|
昔はこの辺りを呼続の浜といい渡船場があつた。東北の土居の浜には塩焼所があり神宮に塩を奉納していた。天白川の築堤後、田園となり害虫を除き五穀豊穣を祈るため天照大神を祀った。明治41年に合祀されたがね昭和15年現在地に遷座した。
境内には天正17年(1589)刻銘がある市内最古の月待供養塔、神道関係の碑として珍しい斗帳寄進碑(対のうちの一基は津賀田神社にある)、西行の和歌を愛したものが作ったという西行腰掛石がある。
|