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Place of scenic and historic interest
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桜山から瑞穂運動場界隈
Sakurayama and Mizuho Plyground Course
散歩コ-ス
天聖寺-津賀田神社‐北川天満宮-白竜神社-地蔵寺-大喜寺-秋葉神社-田光八幡社-為麻塚-秋月院‐長福寺-龍泉寺-藤原師長住居跡-井戸薬師の道標-金毘羅社と秋葉社-東の宮神社-浜神明社-神明社-信正寺‐八高古墳‐盛屋寺-八剣社-金龍寺-高田城址‐富士八幡社-観音堂‐一乃御前社-神之内八幡社-直来神社‐海上寺-白山神社-薬師寺-真好天神社-瑞穂古墳1号-瑞穂古墳2号-大曲輪貝塚‐下内田貝塚-あゆちの水‐道分け地蔵
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寛文7年(1667)養林寺(現・昭和区)住職専譽上人が高田村新田字藤塚の古墳の上に祠を建立したのが始めといわれている。明治40年に県立熱田中学校の建設にあたり現在地に移転した。
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もともと養林寺の末寺であり、かって養林寺領高田村新田を中心にした農民の信仰祈念所としての百万遍念仏道場であつた。門前に野仏阿弥陀・三観音がある。明治年間には瑞穂小学校の文教所であつた。
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名古屋市立大学教養部のキャンパスの東南部にある前方後円墳で、全長は現在70mあるが原形は失っている。またこの北東に直径30mの円墳がある。近くの県立大学内には87mの前方後円墳があったが、現在はテニスコ-トになり無くなってしまいました。
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頂上に『第八高等学校在之地』の碑が立っている。
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昭和63年に八高生の向学の姿を後世に伝えるため八高青春像を設置した。
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天正2年(1574)に虎岩賢龍により創建された。以来聖観世音菩薩を本尊としている。薬師堂、観音堂、鎮守の社を創建して日待、月待、庚申待など当時の信仰の寺として名を残している。また門前左側には2体の青面金剛の石像がある。
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小高い丘の上にあり、遠くに熱田神宮の森が見える。境内社に源太夫社、白山社ね山上社がある。また庚申像を描いた掛け軸が4幅あり現在でも庚申講が続けられている。
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旧高田村字城ノ内にあり、現在の御剣小学校がその跡だと言われている。村瀬浄心なる人が居城してたといい、『尾張恂行記』に「高田城在高田村、土人日、村瀬浄心居之、其地今為陸田、是ハ本田ノ内新池ノ東ニアリ」と記されている。
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鎌倉期に宇佐八幡宮の分霊を、更に富士浅間神社の分霊をそれぞれ勧請して高田城の鬼門と思われるところに祀られたのが創始と伝えられている。その後文政9年(1826)に現在地に合祀された。
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祭神は天照大神の荒魂。大伴武日命、あるいは日本武尊の荒魂といわれはっきりしていない。『熱田神宮御遷宮記』に"所謂一御前者ハ実ニ日本武尊荒魂之霊地"と記されている。
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熱田の天王祭りの宵祭りには熱田まで提灯を奉納する習わしがあったが、神之内八幡社に奉納して"提灯ヨ、バイバイヨ---"と帰ってもご利益は同じという代参の役割があったという。
境内にはナベイシといわれる祈願石がある。弘法大師が名付け親で、頭痛、歯痛、腰痛が治ると伝えられている。
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木曽義仲は義経軍との宇治瀬田の戦いを前に女達を木曽へ都落ちさせた。落ち延びる途中この辺りで『かつら姫』はできものがもとで亡くなりこの地に葬られた。
その後姫の墓に植えられた桂の根元にある小石で、できものをなでると治るという信仰が芽生え、おできの神様としてあがめられている。
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かって寺の西の辺りは潟が湾入しており、その海に臨んだ高台の寺ということで海上寺と名付けられたという。
本堂内の本尊、薬師如来は弘法大師の作と伝えられ、古来から粟薬師と称されている。客殿内本尊は乳花薬師如来。母乳調整のために乳形のぬいぐるみを奉納するという珍しい信仰で『ちちばなやくし』の名で親しまれている。
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伝承によれば天保年間にはおどり山(現在の村上神社)に祀っていたが、霊夢により明治2年現在地に遷宮したという。
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