Place of scenic and historic interest
 


なごや
史跡探訪

星崎の里めぐり
Hoshizaki Festival Course
探訪コ-ス
中井用水緑道-星崎城址-善住寺‐神輿山‐丹八山-星宮社‐幸蓮寺-石神社-光照寺百観音-鹿島稲荷社-若宮八幡社-西来寺‐永井星渚屋敷跡-称念寺-牛毛神社-旧鳴尾学校舎‐呼続地蔵-呼続神社-福井八左衛門碑-大江川湊跡


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2005.11.17 星崎 中井用水緑道
2005.11.17 星崎 中井用水緑道
現在はほとんど暗梁で下流は大江川に注いでいます。上流を遡ると赤坪、笠東小学校、鶴里町、中江、平子、中根、昭和高校東、八事丘陵地、元八事、天白渓が源流です。
2005.11.16 星崎 星崎城址
2005.11.16 星崎 星崎城址
笠寺小学校の敷地内にあります。笠寺台地の南端で標高10mで田子屋といわれる眺望のよい地点です。城址は東西165m、南北104mで二重堀にかこまれていたという。城主は岡田直教で小幡の人で年代は不詳です。織田信秀に仕え、その子直孝、弟の善同の居城だった。天正12年(1584)山口重勝、ついで重政が継いだ。4年後伊勢国重福に転じて以後廃城になる。
2005.11.16 星崎 星崎城址
2005.11.16 星崎 星崎城址
城址から大変眺望がよい。前方は鳴海八幡神社
2005.11.17 星崎城址から南へ下った塩付街道
2005.11.17 星崎城址から南へ下った塩付街道
2005.11.17 塩付街道と交わる知多郡道
2005.11.17 塩付街道と交わる知多郡道
知多郡道は『尾張名所図絵』巻五の笠寺の『観音塚・仁王ケ池』の図に東から天白川を渡って左手分岐点に『知多郡道』と記されているところが起点です。笠寺台地東縁を過ぎ星崎城址、星宮社、石神社、大慶橋下流50mに橋があり、そこを渡り扇川は渡しで鳴海の前ノ輪に出て半田街道に合流していた。
2005.11.17星崎 善住寺
2005.11.17星崎 善住寺
浄土宗で鳳皇山と号す。旧名を西光院で高田宗であつたが、慶安4年(1651)宗派・寺名とも改号した。境内の桑子地蔵は塩付街道の石仏。山門は薬医門、本尊は秘仏善光寺如来。
2005.11.17  善住寺本堂 
2005.11.17  善住寺本堂 
2005.11.17 善住寺の桑子地蔵
2005.11.17 善住寺の桑子地蔵
2005.11.17 善住寺の六地蔵
2005.11.17 善住寺の六地蔵
2005.11.17 星崎 神輿山の秋葉山(みこしやま)
2005.11.17 星崎 神輿山の秋葉山(みこしやま)
笠寺小学校(星崎城址)の南側。周囲は星崎城築城の折削られて崖のようになっている。秋葉社の中にも星崎城址の碑がある。この山も星崎城の一部だつたと思われます。
神輿山は承平5年(935)平将門が関東において反乱を起こしたとき、降伏のために熱田の神輿をこの地に移し祈願したという。その節神輿を一時安置したことで神輿山と呼ばれるようになつた。現在は秋葉社を祀っている。
2005.11.17星崎 神輿山の星崎城址碑
2005.11.17星崎 神輿山の星崎城址碑
2005.11.17 星崎 丹八山公園(鳥居山)
2005.11.17 星崎 丹八山公園(鳥居山)
天文16年(1545)今川方の人質となつていた織田信宏(信長の兄)と織田方の人質竹千代との交換の時、今川方は三千余の兵をこの鳥居山に配置したといわれている。
この山はまた歴史と伝説のミステリ-ゾ-ンなのか山の至る所に石碑がある。近世になって建てられたもので、歴史上の人物が次から次と登場、五十以上の石碑があります。
2005.11.17星崎 丹八山公園 塩付街道碑
2005.11.17星崎 丹八山公園 塩付街道碑
右・知多郡へ渡し、左・信州の善光寺。横に星崎の千竈(ちかま)塩や越後塩の運び納めが塩尻と記されています。
2005.11.17 星崎 丹八山公園 笠寺城主戸部新左衛門政直公の碑
2005.11.17 星崎 丹八山公園 笠寺城主戸部新左衛門政直公の碑
2005.11.17 星崎 丹八山公園 平将門の首塚
2005.11.17 星崎 丹八山公園 平将門の首塚
2005.11.17 星崎 丹八山公園
2005.11.17 星崎 丹八山公園
2005.11.17星崎 星宮社
2005.11.17星崎 星宮社
創始は叙明天皇の頃(629-641)で星崎城築城のときこの地に移したと伝えられている。かっては星崎の岬の最南端であり、里人のともす常夜燈が燈台の役目を果たしたと伝えられている。
境内社のうち上・下知我麻社は宮簣媛命(みやずひめ)の父・母を祭神としています。熱田神宮内の両社も、元はここにあったものを移したといわれています。またこの神社には伊奈突智老翁(いなづちのおじ)を祀り、縁起によればこの地に塩作りを教えた人であるという。
尾張名所図会にえがかれている星の宮
尾張名所図会にえがかれている星の宮
2005.11.17星崎 星宮社 左が下知我麻社・右上知我麻社
2005.11.17星崎 星宮社 左が下知我麻社・右上知我麻社
尾張名所図会に描かれている星崎の浜
尾張名所図会に描かれている星崎の浜
一面塩田で塩作りの中心であった。
2005.11.17星崎 幸蓮寺
2005.11.17星崎 幸蓮寺
真宗高田派の寺院。
2005.11.17 星崎  名鉄星崎駅南口前の知多郡道
2005.11.17 星崎  名鉄星崎駅南口前の知多郡道
かっては知多郡道または知多海道といわれ、笠寺方面と知多半島を結ぶ重要な道であった。
2005.11.17 星崎 星崎駅近くの石神社
2005.11.17 星崎 星崎駅近くの石神社
創建は不詳。住宅地の民家にへばりつくような狭い境内。拝殿に古木が傾き押し潰されそうになつている。歯痛にご利益がある神様とのこと。お礼にシヤモジを供えたことから『おしゃもじさま』と呼ばれた。
2005.11.17星崎 光照寺百観音
2005.11.17星崎 光照寺百観音
慶安4年(1651)浄土宗に改宗し光照寺と改称し建中寺の末寺となつた。寺伝では尾張の有力な武士であつた山田次郎重忠の創建という。
寺東のお堂に数多くの石仏が並び『百観音』と呼ばれ、知多郡道を往来する人の休憩所でもあったと伝えられている。

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