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Place of scenic and historic interest
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白土街道沿いの史跡
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白土道は瑞泉寺の前の道が東海道で、中島橋と瑞泉寺の間を相原村の方に向かう道が白土道です。現在は耕地整理で道幅は広くなり、道筋もまつすぐになっています。
「応永15年(1408)中島に土橋あり、南蛮渡来の大象の通過が危険であった」という言い伝えのある古い橋です。享保13年(1728)長崎へ象が2頭来て、翌年1頭が江戸へ通行した時、中島橋は木橋のそり橋でした。明治15年(1882)にそり橋を平坦な橋にしました。現在の橋は昭和32年に架け替えられ、昭和52年に改築しています。
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永禄2年(1559)織田信長が今川義元の侵攻に備えて築いた砦です。永禄3年(1560)の桶狭間合戦では梶川平左衛門尉一秀を守将として今川勢と戦いました。現在の碑「中島城址」は昭和2年に建てられた。
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応永11年(1404)創建で、開基は根古屋城主安原宗範で、開山は大徹禅師です。始めは瑞松寺といい、文亀元年(1501)に現在地に移り、正徳年中(1711〜16)に瑞泉寺と改め、宝暦5年(1755)堂宇を完成しています。総門は宝暦6年(1756)宇治の万福寺総門を模した建造物で県指定文化財になっています。
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延命地蔵堂には延命地蔵尊が祀られています。子供の具合が悪いとき、香煎を口にしてお参りすると良くなるので「こうせん地蔵」とも呼ばれています。その他町内を転々としたので「廻り地蔵」とか、お姿から「すわり地蔵」とも言われた。手水鉢には「安政四巳三月吉日」と刻まれています。現在は白土道より少し北に移されています。
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白土道より少しずれますが、左の小高い場所に砦公園があります。
永禄2年(1559)織田信長が築いた砦です。今川の将、岡部氏の守る根古屋城(鳴海城)に対するもので、信長は桶狭間の合戦に行く途中、ここに兵を集結しました。ここに旗を立てて人がいるようにみせかけて、桶狭間に向かったといわれています。どの道を通って桶狭間に行ったのでしょうか。
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樹齢500年といわれる松は伊勢湾台風によって倒れてしまい、今の松は二代目といわれています。左の松。
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六田交差点に噴水があり、喜徳稲荷が隣にあります。昔の道は地籍図では曲がりくねっていましたが現在は耕地整理で、ほとんどまっすく゛の道になっています。交差点部分のみ変形で昔の名残があります。
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花井氏宅東の白土道を進むと右手にサ-クルK、正面に「ワ-クマン」が見えてきます。旧道はここ早稲屋(わせや)で途切れ新道になります。
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かっては「どんどん塚」の近くの鎌倉街道沿いにありましたが環状2号線の工事のために現在地、鴻仏目交差点北東角に移されました。以前の地蔵には「右とよあけ、左しろつち」と刻まれていましたが、伊勢湾台風で流され、新しく作り直されました。
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浄蓮寺は今川義元の家来であった慶念が、天正3年(1575)に創建したと伝えられています。初めは字会下にあり、さらに万福寺の南に移り、天正年中に現在地に移ったといわれています。門外の観音堂は字早稲屋の観音山弘法堂にあったものを明治初年に移したといわれています。
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早稲屋のサ-クルKがある辺りに道標地蔵がありました。前方右奥に祀られています。
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右みや道、左なるみ道と刻まれています。
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諏訪社の創建は平安時代といわれています。明治時代まで信濃の諏訪大社と同じ7月27日に例祭が行われていました。
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諏訪社から浄蓮寺方面に通じる鎌倉街道
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