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Place of scenic and historic interest
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観音山弘法堂は昭和42年(1967)の区画整理によって、少し北へ移転するまでは、白土道の宿地から相原郷への道のすぐ北側に接していました。小高い丘状の地に弘法堂が建ち、当時から東を向いて建てられていました。明治時代に千手観音のあった観音堂は浄蓮寺に移され、現在の堂は観音山弘法堂といいます。
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諏訪社の前の道、白土道を東に100mほど行くと狭い道が庚申堂に向かっています。昔の白土道で、鎌倉街道と一部同じです。
庚申堂は明治38年(1905)に造られたといわれる。手前にある手水鉢には「天宝12年丑三月」と刻まれているので、庚申堂を新築するときに別の場所から運んできたと思われます。
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新道に並行して100mほどのこされています。
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鴻仏目の交差点から北の一本目の東方面が旧の白土街道です。お好み焼き六三を廻った所です。
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正面の小嶋氏宅の前で途切れています。昔はこの庭を白土道が通っていました。今は耕地整理で道筋は消えてしまいました。
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鳥居を入って左に「篭山神社社運隆盛慶碑」があり中野佐上氏が土地を寄進し、昭和55年篭山神社と改称したことなどが刻まれている。
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神明社は平手新田の編入と同時に承応2年(1653)に創建されました。明治26年に造られた本殿は老朽化したため、昭和62年本殿、拝殿を造営しています。
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「右もろのき 左白土」と刻まれている地蔵尊は、セレモニ-ホ-ル岩倉の角にあったと言われています。この場所は沓掛道(諸木道)と白土道の交差点の場所でした。この道標は現在、報恩寺の庭に他の地蔵といっしょに祀られています。
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沓掛道と白土道との合流部分
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平手電話交換局の交差点西側の深川氏宅の玄関に古い大木が見えます。
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昔からあり、弘法様が地面を杖でつくと水か゛出たといわれています。白土へ行く人はここで休憩して水を飲み、水量も豊富で田んぼの水にも利用された。
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この池は鳴海伝馬新田の用水として造られました。要池の堤防の堤が白土道です。
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要池から扇川に架かる要橋。左上の土手が白土道の名残りである。右手の建物はJAみどり徳重支所の建物
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ポルタ亭の横を入ったあたりに地蔵が祀られています。昔、念仏池のほとりにあった地蔵で、「昭和二十六年五月」と刻まれています。念仏池では水の事故で多くの方が亡くなり地蔵を祀っていましたが、念仏池が埋め立てられたのでここに移されたそうです。
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神ノ倉の熊野社は扇川の水運と関係があった神様です。
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入口から本殿までは約250mあり、両脇は桜並木です。
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熊野社の入口右側に「右 あすけみち左 くまのごんけんみち」と刻まれた、比較的新しい道標地蔵が祀ってあります。お堂には昭和61年6月元日・正観音堂移動と書かれていました。どこからか移動して来たです。この像は聖観音なので、道標観音というべきです。
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地蔵と弘法の2体が祀られています。昔はもう少し東の三叉の交差点近くにありました。交通事故で首が取れ新しくつくられたそうです。
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神の倉の三叉交差点近くにあった道標地蔵は鶴ケ沢墓地に首が欠けたまま祀られています。「右 あすけ 左 のかた」と刻まれています。「のかた」とは今の日進市野方町です。
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名古屋市と東郷町の境いです。前方が白土街道。左は岡崎右は平針方面の岡崎街道です。
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