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常滑街道(とこなめ)沿いの史跡
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常滑街道は旧東海道の本町から始ります。現在は作町から鳴海橋を越えて前之輪までまっすぐの道がありますが、この道は新道です。今回は旧常滑街道を行きます。
本町は江戸時代には高札場のあった所で交差点付近は他の道より広くなっています。
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本町より少し西に行った所に如意寺があります。康平二年(1059)真言宗の寺院として開山し、後に曹洞宗となる。本尊は地蔵菩薩と尾張国六地蔵第四番蛤地蔵さんとして親しまれています。
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蛤地蔵尊については「青鬼退治」・「村上社の大蛇退治」などいくつかの話が残されています。蛤地蔵は定朝の作といわれ、鳴海全体の守り本尊といわれています。なにか不吉のことが起きる前には、必ずこの地蔵尊の首が、がつくりと傾いて体中に汗をかくといわれています。
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如意寺の裏の墓地に道標の石柱があります。正面には「南無地蔵菩薩 右 西うら 左 東うら」、右側面には「右 なるみ 左 なごや」、左側面には「安永九庚子年 三月」と刻まれています。本町周辺のどこかにあったと思われます。
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鳴海宿本陣跡は今では「ばんの家電」の駐車場と山車を入れる倉庫になっています。
鳴海宿の本陣の規模は間口39m、奥行51m、建坪235坪・総畳数159畳であつた。一般の旅行人の旅籠屋と異なり、勅使、公家、大小名など身分の高い人が宿泊する設備で、東海道でも有数の規模であった。
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屋根のつくりが本陣の格式を示している。10年くらい前まで見ることが出来たが取り壊されてしまいました。
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通称は浅間堂といい、元文2年(1737)に鳴海八幡宮のお旅所となりました。境内には日伏せ(防火)の神様である秋葉社が合祀されています。毎年7月30日に輪くぐりの神事があります(無病息災)。
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駅前ビルや道路の拡幅や、浅間橋も架け替え工事が進み環境が一変しました。
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線路近くに常滑街道の一部が残っていましたが駅周辺の都市計画のため無くなってしまいました。
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手前の道路は国道一号線。鳴海駅近くのライオンズマンションの西側の道路を南下した道です。
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左 ナルミ道 右 ありまつ道と刻まれた道標があります。
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道路は神社まえから左に曲がっています。
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祭神は応神天皇ほか四柱で創建は不詳です。社務所は鳴海町役場の庁舎「明治36年(1903)」を昭和31年(1956)に移築したものです。源義元の朱印状には八幡宮とあります。明治以降は八幡社となっていましたが、昭和44年(1969)に鳴海八幡宮と変更しました。
境内には、室町時代にすでに大木であったというクスノキ(神木)があります。
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左が知多郡道、右 常滑街道。知多郡道はこの先天白川を渡しで越え鳴尾、星崎に出ます。
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なぜ良信地蔵というかはっきりわかりません。この辺りは新四国巡礼の人が泊まる旅館が何軒かあつたようです。
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八事・笠寺への道標が残されています。道標には「←やごとかさでら道」・「→新四国いちばん大師道」と刻まれています。
新四国の一番は豊明市栄町内山の曹源寺です。桶狭間にも新四国一番の道標があるので、ここから鳴海、有松を通って桶狭間に行ったのでしょうか。元は先ほどの良信地蔵のあたりにあったようです。
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天正元年(1573)山口海老之丞が創建。元和5年(1619)春江院の末寺となり曹洞宗。先代の住職が大正10年県下で初めて保育園を開設し、その記念碑が境内にあります。
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青峯観音はJR大高駅の北側の堤防上にあったものが移されてきました。
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