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緑コミュニテイセンタ-の横に青峯観音堂があります。鳴海八幡宮より少し北に昔水路があり、そこに祀られていたといわれています。
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鷲津砦は、織田信長が永禄2年(1559)大高城に備えて、丸根砦とともに築城しました。永禄3年(1560)桶狭間合戦の時、今川勢に攻められて、砦を守っていた大半の兵士が討ち死にしたといわれています。
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緑区の保存樹で個人の屋敷内にあります。昔は遠くからでも見えたと思われます。
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前方の高架下が常滑街道です。この道は大野道、西浦街道、大浜街道など様々の名で呼ばれています。
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常滑街道は左の道です。右側前方は大高北小学校。常滑街道は学校の東側を通っています。
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十一面観世音は元大高小学校の場所に祀ってありましたが、その後、常滑街道沿いに、六体の石仏とともに移されました。平成10年区画整理でこの場所に祀られています。
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祭神は応神天皇、玉依姫命、神功皇后で神木はクロガネモチです。室町時代に大高城主花井備中守が城内と当所に鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられている。『尾張洵行記』はこの八幡社より東に進めば大高の本郷、西は知多東浦への道と記しています。
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大高国民学校時代の奉安殿が平成九年学校の運動場から掘り出されました。平成10年地元の人たちの手で、学区資料保管庫として名古屋市大高消防団の隣に復元されました。金色に輝く菊の紋章は昔のままだそうです。
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鳥戸墓地周辺は鳥戸遺跡といわれ、須恵器や山茶碗が発掘されました。また近くには町屋川遺跡があり、八幡社神主家の墓の周りからハイガイ、サルボウなどの貝を採集しました。貝塚の跡と思われます。
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大橋を渡ると右手に昭林堂という本屋、左手に江明公園が見えます。昭林堂の場所が、十一面観音像が祀ってあった所で、後に明道舎(大高小学校の前身)が、さらに大高町役場ができた場所です。さらに町役場は江明公園の場所に、学校は八幡社の敷地に移りました。
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元は秋葉社の横にあったものが町屋川にうつりその後江明公園に移る。
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この場所は昔は辻と呼ばれ「江明市場」という市がたち、馬市や多くの店が出た場所です。また江戸時代には高札場があつたといわれています。
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大高城址付近。
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築城年代は不詳ですが、永正年間(1504-1521)の頃花井備中守が居城し、後、水野忠氏父子の居城となりました。水野氏は初めは今川方に属していたが、後、織田氏に寝返ったため永禄2年(1559)山口左馬助によつて攻められ今川方となりました。今川義元は松平元康(徳川家康)に兵糧入れを命じましたが、桶狭間合戦で義元が戦死すると、元康は三河へ帰り、この城は廃城となりました。
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大高城を頂点にして左手に鷲津砦右手に丸根砦と二等辺三角形を形作っています。
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鷲津も丸根も本当に至近距離に見える。
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屋根下に戎様に似た形の瓦が見えます。
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