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Place of scenic and historic interest
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なごや散歩道名古屋城とその周辺
Nagoya Castle Neighborhood Course
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この樋は巾下御門升形の北にあり、樋の両側は石で組まれ南蛮たたきで出来ている。東の口に立切(水止め)があり、これは外堀の水位を一定に保つためであった。また西の端は切石の銚子口があり常に滝となり大幸川(現在の堀川)に落ちていたと案内板に書かれています。
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創建は不詳だが一説には応安元年(1368)といわれ名古屋城御深井丸の南のあたりに祀られていた。名古屋城築城のため現在地に遷宮。祭神は小彦名命。
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戦前山神社といい、もと名古屋城に武島神社と共にあつたが、慶長年間に現在地に遷宮した。山や野の神といわれる大山祗神が祀られている。
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現在本堂改築中です。この寺は深井丸と号し真宗。寺伝によれば応永17年(1411)海部郡甚目寺町に創建。その後富田町供米田より今の名古屋城築城のため北鷹匠町へ移り、さらに正保2年(1645)藩祖義直よりこの地を賜り移建された。元禄12年(1699)藩主綱誠の逝去以来徳川家代々の位牌を安置している。また葵の御紋が許されていた。
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蜂谷宗意は享和3年(1803)京都に生まれ志野流第15世を継承。明治維新の混乱を避けて名古屋に移住し、香を焚いて香りを聞き分ける日本独特の芸道香道を伝えた。
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徳川義直が名古屋城に勧請した三社(宗像社、深島社、武島社)の一つで御深井丸弁天とも呼ばれていた。徳川家の私社から明治7年(1847)村社となり、明治22年現在地に遷宮。義直筆の社号額、狛犬がある。
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浄心の交差点にある観音堂。寂照禅師が開山し文化8年(1811)に旧寺跡に建立された。曹洞宗の寺。
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その昔、浄心観音堂の辺りからは木曽の御岳をはじめ飛騨の乗鞍、美濃の恵那山、加賀の白山、近江の伊吹、伊勢の多度などの山がよく見えたという。この付近には東井筋とも呼ばれた江川が流れていた。主に農業用水として利用されていた。江川は西区の惣兵川から取水して中川(今の堀川)に注いでいた。ハヤや鮒、うなぎなどが沢山採れ美味で有名であった。
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将棋の駒(馬形)の石碑。歯痛にご利益があるといわれている。
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創建は不詳。1918年に児玉村時代の他の5社神を合祀した。
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1535-1585 尾張国春日井郡児玉村生まれ。15歳で信長に仕える。秀吉と共に明智光秀を討伐。賤ケ岳の戦いの後越前北ノ庄城に居城した。この地には北の庄に移る前に住んでいたようです。現在でもこの地域には丹羽姓が多い。
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浄土宗。寺伝によればもとは真宗。寛文6年(1666)現在地に移転した。現在の建物は戦後の再建だが、高木門と呼ばれる山門は1814年文化11年に建てられたもの。
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インドから来たもので最近のもののようです。
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寛永16年(1639)五平蔵町より移された。本尊は木造釈迦仏、観音堂には馬頭観音が安置されている。ナマコ壁の高塀は元禄時代の建立で山門の一部となって残っている。境内には身代わり仏とおもかる地蔵がある。
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志水甲斐守屋敷玄関車寄せは明治初年に名古屋城三の丸から移築した。また庭内にある風信亭は、江戸中期から名古屋城二の丸庭園にあったと伝わる小亭で明治2年庭園廃止に伴い、保存を念ずる大矢氏が買い受けた。いずれも名古屋市の文化財に指定されている。
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曹洞宗。慶長18年(1613)豊純和尚が創建。本尊の聖観音像は二代藩主光友からの寄贈とてう。以前は薬師堂、児宮、白山社なども当寺の支配地で元禄期には広大な境内で操り芝居が演じられたという。
撮影機材・Sony cyber shot DSC-71
撮影サイズ・1200×1600高画質画像
撮影場所・名古屋市中区、西区
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