Place of scenic and historic interest


なごや
史跡探訪

文化のみち白壁から鍋屋町へ
Shirakabe and Nabeyacho Course
探訪コ-ス
金城学院栄光館-旧料亭樟-旧豊田家門-カトリック主税町教会-旧豊田佐助邸-井本邸-川上貞奴邸-大ムクの木-大森家住宅-伊藤家住宅-か茂免-旧桜明荘門-春田次郎宅跡-香楽-長屋門-石黒通玄宅跡-山吹公園-禅隆寺-園勝寺-あかなべはらぐすりの碑-善光寺街道の道標-養念寺-松山神社-円明寺-大光寺-川村屋-花菱ギャラリ-鍋屋-東片端大クスの木-室寺観音-貞祖院
 


2005.09.16 東区相生町 大谷染物店の横にある あかなべはらぐすりの石碑
2005.09.16 東区相生町 大谷染物店の横にある あかなべはらぐすりの石碑
2005.09.16東区相生町の旧善光寺街道
2005.09.16東区相生町の旧善光寺街道
相生町は尾張藩の鉄砲練習場があり鉄砲塚と呼ばれたが、後に武家屋敷や町屋が建ち、九十軒町の一部と合わせて改称された。二つの町が末永く栄えるようにとの意味が込められている。
2005.09.16 東区泉3丁目代官町交差点にある旧善光寺街道の道標
2005.09.16 東区泉3丁目代官町交差点にある旧善光寺街道の道標
鍋屋町通りの東南角に位置し『佐野屋の辻』といわれる。赤塚、大曽根、矢田川、庄内川から勝川、多治見、土岐に出て中山道大井の宿に通じる。赤塚には大木戸があり名古屋の出入りを見張っており、夜ともなれば提灯、灯明に火を入れ旅人の目印とした。
平田町の交差点鍋屋町入口の佐野屋の辻は、酒屋と味噌屋を北西角と東南角で営んでいた。富商であり尾張藩の経済政策に意見書を差し出している。
名古屋の城下町は東海道に至る熱田口、枇杷島口、中山道に至る志水口、大曽根口、東海道岡崎に至る三河口等の出入口がありました。大曽根口を経て中山道へ至るのが善光寺街道または下(した)街道と呼ばれる道で現在の国道19号線です。同じく志水口を出て中山道に至る木曽街道(本街道)は藩が造った官道で武士はこちらの道を利用した。現在の国道41号線にあたります。善光寺街道は自由に往来ができ、中山道に至る行程も平坦で短いので庶民はこちらの道を主に利用した。
2005.09.16東区泉3丁目 養念寺
2005.09.16東区泉3丁目 養念寺
養念寺は富永山と号し真宗。寺記に慶長2年(1597)の創建という。寺の庭園の池『烏池』(からすがいけ)は泥土が黒く、したがって水色も黒く見えたので烏池の名があるといわれる。江戸末期には文人墨客の遊ぶもの多く『尾張名所図絵』にも記されている。残念ながら池は一般に公開していないようで見られませんでした。
 
養年寺はまた哀れ門前の相対死(養念寺心中)として知られている。心中ブ-ムの口火を切ったといわれる近松門左衛門の『曽根崎心中』初演に先立つこと十年の元禄6年(1693)6月8日に養念寺門前で心中事件が起きた。
油売りの理介と遊女のふり。二人が結婚しようとするが、親に許されないため『この世で添えないならば、いっそあの世で』と門前で『死出の道行』となつた。この事件は尾張城下で相当の評判になり『おうむ籠中記に、近くに住んでいた武士の朝日重章がくわしく書き留めていた。
 
尾張名所図会に描かれている養念寺
尾張名所図会に描かれている養念寺
2005.09.16東区鍋屋町商店街にある 松山神社
2005.09.16東区鍋屋町商店街にある 松山神社
この神社はお天道様(太陽)を祀っているので、社殿が西向きに建てられ、参拝者は東を向いてお参りする。境内には井戸から湧き出す恵みの水が引かれており霊験あらたかとか。境内は狭いがイチョウ、クスノキ、ケヤキの大木が社殿を取り囲んでいる。
2005.09.16 松山神社
2005.09.16 松山神社
2005.09.16 東区鍋屋町 円明寺
2005.09.16 東区鍋屋町 円明寺
2005.09.16 円明寺の石の梵鐘
2005.09.16 円明寺の石の梵鐘
2005.09.16東区鍋屋町商店街
2005.09.16東区鍋屋町商店街
2005.09.16東区泉3丁目 大光寺 井上士郎宅跡
2005.09.16東区泉3丁目 大光寺 井上士郎宅跡
俳人井上士郎宅は寺に隣接していた。士郎は守山に生まれ、医者の叔父の跡を継ぎ産科医となつた。俳諧を暁台に学び『暮雨港』の筆頭となった。
2005.09.16東区鍋屋町商店街の御菓子司 川村屋
2005.09.16東区鍋屋町商店街の御菓子司 川村屋
創業弘化3年(1846)の老舗。
2005.09.16東区鍋屋町商店街 てらしま薬局
2005.09.16東区鍋屋町商店街 てらしま薬局
創業明治13年。店内には昔懐かしい薬の看板が店内にいっぱいあります。
2005.09.16 東区鍋屋町商店街 御釜師 花菱ギャラリ-
2005.09.16 東区鍋屋町商店街 御釜師 花菱ギャラリ-
加藤忠三郎家は永禄の頃より守山村に住し、慶長6年藩主に召され清州に移る。更に永禄16年には名古屋城築城がなり、お城本丸より1Km程の当地へ尾張藩鋳物師水野太郎左衛門一家と共に藩許の鋳物師として藩の御用を務めた。五代の折、御釜師として苗字帯刀、上下着用を許され、纏と提灯等を賜りお城に大事あるときは本丸に参じることのご下命を受ける。それより代々当地で茶の湯釜等を製作し現在に至る。と看板に記されています。現在の当主は十二代目。
 
2005.09.16 鍋屋 水野太郎左衛門鋳物師跡
2005.09.16 鍋屋 水野太郎左衛門鋳物師跡
水野家は代々鋳物師を業とし、はじめは上野村に住んだ。永禄5年(1562)初代太郎左衛門のとき、織田信長より判物を与えられ、尾張国内の鐘、塔、九輪、鰐口等を製造する特権を得た。文禄2年(1593)二代のとき清州へ、慶長16年(1611)三代のときこの地へ移り住んだ。江戸時代尾張藩の鋳物師頭を代々勤め、国内の鋳物の製造・販売はすべてこの家を経た。現在の当主は十四代目。
2005.09.16 東区東片端南の交差点 前方は本町に通じる
2005.09.16 東区東片端南の交差点 前方は本町に通じる
商人の町本町にこの道はつながっています。東片端の地名の由来は、名古屋城外堀の南沿いは片側だけが武家屋敷だつたため片端筋と呼ばれた。旧南外堀町は南片端、その東が東片端で外堀が切れている現在地は昔は両側とも武家屋敷であった。
2005.09.16東片端交差点の大クスの木
2005.09.16東片端交差点の大クスの木
東片端の交差点の西北、国道41号線沿いにある大クスノキ。国道の改良、都市高速の建設で伐採の危機にありましたが地元の人々の尽力で残されました。
2005.09.16東区泉3丁目 谷汲山室寺観音院
2005.09.16東区泉3丁目 谷汲山室寺観音院
西国三十三観音霊場巡拝の信仰は平安時代中頃から始まり、江戸時代には庶民信仰としてこの地域に広範に広まった。一番札所の紀伊国那智岩渡寺に始まり、三十三番美濃国谷汲山華厳寺で満願となる。境内には如意輪観音や十一面観音などの石仏が並んでいる。
2005.09.16東区舎人町の貞祖院
2005.09.16東区舎人町の貞祖院
慶長13年(1608)清州城主徳川忠吉(家康四男)の養母、於美津の方が忠吉の菩提を弔うため清州に庵室を結び、その後玄白寺と号するようになる。於美津の方が亡くなりその戒名から貞祖院玄白寺と号するようになる。天明7年(1787)に建てられ明治5年建中寺から当地へ移転された。
舎人町(とねりまち)の由来は舎人八左衛門という武士の先祖が昔住んでいたからとも、藩祖義直の側近舎人某が鷹狩に遅刻してこの地にはせ参じたからともいわれ、いずれも舎人の人名が元となつている。
2005.09.16 東区舎人町 貞祖院の本堂
2005.09.16 東区舎人町 貞祖院の本堂
2005.09.16 東区泉3丁目 今は使われていない古井戸
2005.09.16 東区泉3丁目 今は使われていない古井戸
鍋屋町、舎人町あたりではあちこちで井戸を見かけます。
 
 
撮影機材・Sony cyber shot DSC-71
撮影サイズ・1200×1600高画質画像
撮影場所・名古屋市東区

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