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Place of scenic and historic interest
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なごやの散歩道
野並から八事・平針街道(姫街道)
Nonami and Old Hirabari Route Course
探訪コ-ス
島田地蔵寺-島田神社-菅田神社-野並八剣社-島田城址-千秋家の墓-相生山の徳林寺-葉書の塔-相生山-相生山神社-松和花壇-塩竈神社-八事神社-御幸山公園-仏寺院-五社宮-高照寺-植田八幡社-栄久寺-全久寺-泉称寺-平針西口道標-本陣跡-秀伝寺-秋葉山慈眼寺-忠魂碑-針名神社-聖徳寺-浄久寺-東蓮寺-興正寺-八勝館-八事球場跡-桜誓願寺
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1442年(嘉吉2年)創建の曹洞宗の寺。もとの寺号島田山広徳院で、鳴海瑞泉寺の末寺。寺は天白川の大洪水により、寺殿ことごとく破壊されたが、1500年本殿を再建し地蔵尊を本尊に祀り地蔵寺と改めた。尾張六地蔵第五番札所で、雨降地蔵とか毛替地蔵の名で知られている。
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室町時代、尾張・遠江・越前の管領 斯波高経が貞治年間に守護神として祭祀した。
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祭神は仁徳天皇を主体として、ほかに天照大神、応神天皇など9祭神を祀る。創建は不詳。大正12年現在の菅田神社に改称された。
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祭神は日本武尊、天照大神のほか7祭神を併祀。八剣社は旧熱田神宮大宮司であつた千秋家の領地であった関係から、熱田神宮にある八剣社の分神として当地に祀ったのが始まりである。
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野並八剣社の裏の細い曲線を描く小道が昔の鎌倉街道(上野道)の名残である。この街道は整理された道路であったのではなく、多くの旅人が歩いてそこが道になつたのである。当時の紀行文によれば、かなりの通行、宿泊の人で賑わったようである。目印は神社の山の頂上の大きな松の木であった。
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昔の街道の道幅と変わらないまま残されています。
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神社の東から西北に土地が下がっている。鳴海潟のあったころ、神社の下が船着場であった名残です。南区楠町の村上社からこの地まで渡しがあった。
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昔の城址の一部を残した小高い丘がある。室町幕府の頃尾張、遠江、越前の三国の守護であり管領であった斯波高経が鎌倉街道の要所として、この地に築城したのが始まり。東西70m南北180mの規模があつた。今では本丸の部分に神社がある。代々のの城主は斯波氏の一族であるが牧氏を名のつている。
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梅野公園の東の墓地のうち南側の一段高くなっているところが千秋家の墓である。織田信長により野並をはじめとして3ケ村の所領をいただいた旧熱田大神宮の大宮司千秋家並びにその家臣の墓標が建てられている。
江戸時代には墓標を建てることは許されず、塚を作りその上に松一本を植えてその印しとしていた。現在の墓標は明治以降のものと言われている。
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俗に三大英傑といわれた信長、秀吉、家康はともに尾張、三河の出身であるが、鎌倉幕府の源頼朝も尾張で生まれている。熱田大の神宮の大宮司の藤原秀範の娘が源義朝の正室で、熱田の藤原家のあった後の誓願寺で出生している。
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曹洞宗。創建は大正12年。高岡徹宗が相生山を開発するに当たって、千葉県から徳林寺を移したときに始まる。創建が比較的新しいのは野並が旧熱田大神宮大宮司領(千秋家)であった関係だろう。
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平成3年にネパ-ルの僧が、子息の菩提を祈願して小仏塔を建立した。
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葉書塔は中日新聞の前身である新愛知新聞が昭和2年に一般から葉書投標で『全愛知県下十名所』を選んだとき、相生山が第五位に入選したことを記念して、集まった全部の葉書850万枚以上を納めた全国でも珍しい塔です。正方形の塔で一辺の巾28m、塔の高さ地表38mこの塔の標高は65mあります。
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記念碑には葉書の塔の建設の由来、相生山の地主高岡徹宗氏等が建設し、また風光明媚で春秋の遊覧に適すると漢文で書かれています。
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123ヘクタ-ルの名古屋市内有数の広大な面積を持ち良好な自然環境を残している。鳥類も70種類余が観察され、森の中は都会の喧騒から離れ散策できます。
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昭和の初期、三重県桑名市の松本繁一氏によって『松本住宅』と名付けられた貸し別荘が建てられた。林間に土地330平方米、建物82平方米のガレ-ジ付3LDKの家が80戸建てられた。住宅の中心には『山楽荘』という洋食屋があり、階上にはダンスホ-ルがあって社交場になつていた。高坂の近くには競馬場もあって大歓楽街が誕生した。八事からの道路巾も5m位って当時としては広いものでした。当時の島田の人たちの驚きは大変なものであつたが、戦争とともに昭和12年頃には衰退し住宅も分譲された。華やかさを夢見た人たちの物語は今ではバス停に『松和花壇』としてその名残をとどめている。
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宮城県塩釜市の『塩竈神社』より弘化年間(1844-48)に愛知郡天白村の豪農山田善兵衛が御分霊を賜ったのが始まりです。御祭神は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)製塩の技術を伝えた神として有名。出産は潮の干満に関係している事から、その満潮時の無事安産を祈って、潮路の神から安産守護神とされている。
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八事の鎮守として知られ、祭神は応神天皇である。
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この石は古来より伝えられる伝説によれば1650年頃のものである。重量は36貫(137s)あります。昔より天王祭に力試しをした力石です。
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この地で明治天皇の野立が行われ、この山も御幸山と名付けられた。
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明治23年陸軍大演習に明治天皇が諸軍を統監。大正2年陸軍特別大演習を大正天皇がここで御野立所として再び統監、村民は記念として碑を建てた。
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曹洞宗、創建は不詳。前身は明徳4年(1393)に開創された末寺十数寺を持つ真言宗の一本山。数度の火災で荒廃したのを二世物道和尚が寛永元年(1624)復興してから曹洞宗に改宗。その後ね11世鶴峯和尚の代の大正5年に現在地に移り、音聞山(あんもんざん)の仏地院と称するようになつた。
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日、月、星、神明、天王の五社を祀るため五社宮と称する。創建は不詳。寛保元年(1741)愛知県丹羽郡稲木荘寄木村の天道宮を八事山に遷座。明治維新の神仏分離令により高照寺と分離した。
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臨済宗。元は延喜式神名帳に記載のある丹羽郡稲木荘寄木村の稲木神社で、享保9年(1724)天道山高照寺と改名した。寛保元年(1741)愛智郡八邑の現在地に遷座。本堂は天道宮といわれた。往時の寺域は広大で五社宮はもちろん、八事の八勝館あたりまで境内であつた。
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