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Place of scenic and historic interest
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なごやの散歩道
野並から八事・平針街道(姫街道)
Nonami and Old Hirabari Route Course
探訪コ-ス
島田地蔵寺-島田神社-菅田神社-野並八剣社-島田城址-千秋家の墓-相生山の徳林寺-葉書の塔-相生山-相生山神社-松和花壇-塩竈神社-八事神社-御幸山公園-仏寺院-五社宮-高照寺-植田八幡社-栄久寺-全久寺-泉称寺-平針西口道標-本陣跡-秀伝寺-秋葉山慈眼寺-忠魂碑-針名神社-聖徳寺-浄久寺-東蓮寺-興正寺-八勝館-八事球場跡-桜誓願寺
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創建年は不詳であるが『尾張誌に、天正八年(1580)室賀久太夫が修造したと記されている。応神天皇を祀る。境内に植田八幡社古墳があり、社殿の改修で削られて今では社の後方の部分に、僅かにその姿をとどめるにすぎない。古墳の形式は判然としないが、被葬者はこの地を支配した豪族と考えられている。
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浄土宗高田派の寺。創建は不詳。松雲山と号し、文明12年(1480)永照法師室賀多門が伽藍を建てる。当初は飯田街道の南に建っていたが、天白川がたびたび氾濫するので水難を避けるため、文化3年(1806)現在地に移された。
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号は福田山で曹洞宗。鳴海の瑞山寺の末寺で山上の景勝の地にあります。横地秀綱が足利義正の命にて遠州横地より植田城主となつた後ね横地より移し再建されたという。旧暦2月19日をお釈迦様と称し五色餅を出す。
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浄土真宗で創建は不詳。常喜山と号し天台宗であったと伝えられるが、大永3年(1523)浄土真宗第九代実如上人に帰依し改宗する。当初は植田八幡宮の南側の飯田街道沿いに建っていたが、天白川の洪水の被害から逃れるため、享保19年(1734)現在の地に移された。
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この交差点が平針宿の入口であった。通称平針街道と言っている街道は『岡崎街道』で名古屋伝馬町から堤を通り宇頭までを言う。名古屋人は『駿河路』とも言う。平針から足助、飯田へ通じる道を『飯田街道』または足助方面の人たちは『中馬街道』とも言う。飯田方面の人たちは『三州街道』と呼ぶ。平針から豊田を『挙母街道』、鳴海までを『鳴海街道』、高針方面は『高針街道』と各街道の拠点であった。
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平針宿の開設は慶長17年(1612)徳川家康が名古屋城築城を検分したおり、作事奉行に命じ平針村に対して『東海道伝馬に仰せ付ける』という証文を発行したのにはじまる。継馬人足25人、馬25頭が用意され、大阪夏の陣の東軍兵士や薩摩藩主、検地役人、禁裏御付役人などの要人が宿泊や、休憩に利用した。しかし東海道筋の方が旅籠数や設備も整っていたので、利用者も年々減っていったようです。
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現在まったく何の痕跡も残っていません。
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曹洞宗。明応2年(1498)僧宗栄の創建。文禄元年(1588)の冬に焼失して廃寺となつていた。その後徳川家康の命により日進村龍谷寺から満嶺徳充和尚を招いて慶長17年(1612)再興された。ご本尊の釈迦牟尼仏は享保10年(1725)に造られたもの。
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山門は焼失を免れ焼失前の古いものです。
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大同4年(809)京都御所炎上のとき、遠州の三尺坊尊が火災を鎮めるため京へ上り、その帰途当地に立ち寄り『鎮防火燭』の直筆を残され、これによって創建された。その後、永禄3年(1560)織田信長が桶狭間の合戦の折、この山に祈願して勝利を得たので、三尺坊の尊像を奉納した。現在も神仏混合で珍しい寺です。
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秋葉山慈眼寺から針名神社へ至る道の左手に、明治の戦争に従軍した人々の忠魂碑と昭和の戦争での戦没者を祀った顕彰台がある。真ん中の碑は明治の元勲山県有朋の書である。
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秋葉山麓にあるこの神社は、延喜式内社で尾張氏の末裔,尾治ノ針名根連ノ命を祀る。針名根の命は当時の尾張の国を支配していた。創建は延喜年間『900年頃』作成の『延喜新名帳』に従三位針名天神と記載それているのでそれ以前と思われる。
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七宝山と号し新宗大谷派の末寺。もと美濃国大浦郡(現在の岐阜県羽島市正木町大浦)にあり、1504年尾張中島郡冨田村に移る。天文18年(1549)織田信長と斉藤道三がこの寺で会見したことは歴史上有名である。寛永15年(1638)現在の名古屋市中区錦3丁目に移り、近年になり現在地に移転した。建物は最新の近代建築の寺院に衣替えしています。
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前方の細い道が八事旧道(旧飯田街道)、手前が新道の国道153号飯田街道。起伏のある街道の両側は桜が多く、かっては人通りの途絶えることがないほどの賑わいであったという。
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曹洞宗、宗源山と号す。永禄11年(1568)創建。初めは清州にあったが清洲越しで慶長15年(1610)名古屋の南寺町(門前町)に建立。その後大正12年当地に移転するが、戦災で山門などごく一部を除き焼失した。
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寺岳山と号し曹洞宗の寺。天正2年(1574)清州で開山。清洲越しで名古屋の南寺町に移りその後、大正3年現在地に移転。戦災で焼失、平成元年木造で再建された。本尊は地蔵菩薩。
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尾張刀工(尾州三作)氏房、信孝、政常の名前が刻まれている。氏房ね信孝は当寺が菩提寺である。
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飯田街道沿いの門前町として栄えた八事一帯は、昭和の初めまで春になると山遊びを楽しむ人たちで賑わいました。郷土玩具『八事の蝶々』は明治時代土地の人たちが土産物として作り、興正寺の門前に並べたのが始まりといわれています。
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