Place of scenic and historic interest


なごや
史跡探訪

なごやの散歩道
野並から八事・平針街道(姫街道)
  Nonami and Old Hirabari Route Course
探訪コ-ス
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2005.10.26  興正寺の東山門
2005.10.26  興正寺の東山門
寺の門としては似つかわしくない城造りの門です。別名黒門と呼ばれています。この門は名古屋城にあつた出丸門(戦用の門)を移築したもので、弓や鉄砲が撃てるように両側が格子になつています。坂を登りきったところからは、S字の蛇腹道が続きます。敵が一気に攻め上がれない様に意図的に作られたものです。興正寺は砦として軍事的性格もあわせ持っていました。また飯田街道との間には一間の堀が全面にあり橋が渡してありました。現在は道路拡張でこの堀は埋め立てられて153号線飯田街道の一部になつています。
尾張名所図会に描かれている八事興正寺
尾張名所図会に描かれている八事興正寺
2005.07.25 興正寺総門
2005.07.25 興正寺総門
2005.10.26 興正寺 中門
2005.10.26 興正寺 中門
2005.10.26  興正寺 本堂
2005.10.26  興正寺 本堂
貞亨3年(1686)天瑞和尚という僧侶が高野山から来てこの地に草庵を結んだのが八事興正寺の始まりである。元禄元年(1688)尾張徳川家二代目藩主光友により寺院建立が許され、その後順次伽藍が建立された。高野山真言宗別格本山で『尾張高野』と呼ばれている。門前の飯田街道は八事の東で峠道になっていて、名古屋への東南の入口という位置から興正寺はこの峠を守る『砦』としての軍事的役割を持っていた。
2005.10.26八事 興正寺五重の塔
2005.10.26八事 興正寺五重の塔
この塔は愛知県下に残るただ一つの五重の塔です。国の重要文化財に指定されています。文化5年(1808)の建立で、尾張藩とも関係が深いことから扉には葵の御紋が刻まれている。総高30mあります。
2005.10.30 八事興正寺 編照堂から見た五重の塔
2005.10.30 八事興正寺 編照堂から見た五重の塔
2005.10.26八事 興正寺 本堂の額は徳川宗春の書
2005.10.26八事 興正寺 本堂の額は徳川宗春の書
2005.10.26八事 興正寺 山道から総門を望む
2005.10.26八事 興正寺 山道から総門を望む
西山は総門、中門、五重の塔、本堂が一直線に並ぶ伽藍配置です。
2005.10.26 八事興照寺 観音堂
2005.10.26 八事興照寺 観音堂
安政4年(1857)再建され、本尊の正観世音菩薩立像は徳川光友卿が五十年来年持仏とした守本尊で、脇仏は三十三観音木像です。
2005.10.30 八事興正寺 姿見の阿伽井戸
2005.10.30 八事興正寺 姿見の阿伽井戸
阿伽というのは仏様に供えるきれいな水という意味があります。興正寺の七不思議のひとつで、この井戸に自分の姿を映して、姿がはっきり映るときは元気なときで、いよいよ危ない時にはぼんやりとしか映らない。いわゆる人間の寿命を計る不思議な井戸として言い伝えられています。
2005.10.30八事興正寺 名古屋市指定の保存樹アベマキ
2005.10.30八事興正寺 名古屋市指定の保存樹アベマキ
2005.10.30 八事興正寺 マメナシの木
2005.10.30 八事興正寺 マメナシの木
バラ科の植物で絶滅危惧種に指定されている貴重な木です。
2005.10.30 八事 興正持能満堂
2005.10.30 八事 興正持能満堂
享保2年(1717)尾張六代藩主徳川継友公が御祈願修法所として建立された。
2005.10.30 八事 興正寺 街道の道標
2005.10.30 八事 興正寺 街道の道標
観音堂への階段の下に、『覚王山近道』という標識があります。昔、八事の裏山を通り、伊勝から覚王山に抜ける山道が一本あったそうです。
2005.10.26 八事興正寺 女人門跡
2005.10.26 八事興正寺 女人門跡
東山と西山とを分けるため、間には塀と土塁を巡らし、ここに女人門を設けて自由に往来することを禁止していた。東山は若い僧侶の修行の場であり、女人禁制の山として一般に公開されていなかつたためです。明治になり女人禁制が廃止されて、門自体の必要性が無くなったので、現在は中門として五重の塔の前に移築された。
2005.10.26八事 興正寺 潮の干満の石碑
2005.10.26八事 興正寺 潮の干満の石碑
『釈玄郷墓』という石碑があります。この石碑の裏に穴が開いてをり、この中に手を入れてみると、水に触れることができます。不思議なことにこの水は夏でも枯れることなく、名古屋港の潮の干満によって、水位が上がったり下がったりするという噂があります。この水をなめてみると塩の味がするとも言います。このことからどうも、石碑の底は熱田の海につながっているのではないかという言い伝えがあります。
2005.10.26 八事興正寺 金属音のする九品仏
2005.10.26 八事興正寺 金属音のする九品仏
この九品仏は石で叩くと『カンカン』と金属性の音がする不思議な石仏です。沢山の石仏がありますが、よく見ると顔や、膝の一部がへこんでいるのがよくわかります。
2005.10.26八事興正寺 カンチン井戸
2005.10.26八事興正寺 カンチン井戸
明治から大正にかけて『お洒落会』という当時の名古屋の財界人が山遊びに来た時にここで茶会を開いたり、一服したりするために作られた井戸です。この井戸には風流な鉄製の瓢箪と盃が取り付けてあり、井戸水を汲むと瓢箪の口から水が注がれるという珍趣向になつていました。戦争で供出され残念なことに現在は残っていません。
2005.10.26八事 興正寺 宝塔の干支廻り
2005.10.26八事 興正寺 宝塔の干支廻り
この宝塔には十二支が彫ってあり、方位方角を知ることができます。当時参詣者は、ここの上から北に御岳山、東に猿投の山々、南に熱田の森、西に多度の山々を眺め、自分生まれた干支の上に腰掛けて無病息災を祈願した。
2005.10.26八事興正寺 愛知県写真業組合の石碑
2005.10.26八事興正寺 愛知県写真業組合の石碑
カメラのレンズになるガラスの原石が置いてある。
2005.10.26八事興正寺 大日堂
2005.10.26八事興正寺 大日堂
山内で最も高い呑海峰に総本尊大日如来が安置されています。二代尾張藩主光友が母の供養のため、元禄10年(1697)に鋳造させたもので高さ3.6mもある巨大な銅像は名古屋の三大仏の一つです。呑海峰とは海をまるっと呑む位海がよく見えた高台という意味です。かっては熱田の森や伊勢の海が一望できたといわれています。
大日堂から名古屋城の裏まで、地下道が通じているというまことしやかな噂があります。尾張の地は、江戸で何かが起こった時に西国の大名に対する防波堤的な役割を果たしていて、名古屋城が防波堤になりきれなかった時の逃げ道として、地下道が通じていたと噂されています。その出入口の目印として二代藩主光友が大仏を建てたといわれています。事実、大日堂の大仏の台座の礎石は三つに分かれており、その中央がはめ石になつています。
2005.10.30 八事 興正寺 奥の院
2005.10.30 八事 興正寺 奥の院
2005.10.30 八事 八勝館
2005.10.30 八事 八勝館
明治初期、八事は名古屋の行楽地として知られ、別荘が次々と建てられました。その一つを名古屋財界の有力者が買い取り、会社組織で『八勝館』を設立しました。その後は名古屋の迎賓館として内外のVIPに利用されてきました。渋い茅葺の門は風格を感じさせます。
2005.10.30 八事球場跡 全国選抜中等野球大会発祥の地
2005.10.30 八事球場跡 全国選抜中等野球大会発祥の地
現在サザンヒルというマンションの駐車場の南側にモニュメントが残されています。大正13年(1924)八事(山本)球場で野球大会が開催された。碑は当時の球場の本塁ベ-ス付近に立っています。
2005.10.30 八事球場跡
2005.10.30 八事球場跡
2005.10.30 八事 桜誓願寺
2005.10.30 八事 桜誓願寺
浄土宗。元亀3年(1572)清州に建立。慶長年間に名古屋城下の白川町に移りその後、昭和17年現在地に移転した。本尊は阿弥陀如来。開祖が比叡山の桜を境内に植え、桜とともに歴代繁栄したので桜誓願寺と呼ばれている。
2005.10.30 八事 桜誓願寺 山門
2005.10.30 八事 桜誓願寺 山門
 
 
撮影機材・Sony cyber shot DSP-71
撮影サイズ・1200×1600高画質画像
撮影場所・名古屋市天白区、昭和区

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