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2000.1.30 2011.7.16.~10.22~29.=12.7.=2012.1.06
2012.5.5.
更新記録 2012.5.5.
所沢市に昭和12年(1937年)に生まれ74年の歳月が過ぎ去りました。
町の開発と共に大きく発展し私の幼少時代の面影を残す物も少なくなっています。
再開発で高層ビルが建ち並び、すっかり様変わりした町を
幼い日の想い出話と昔の写真で振返りながら
所沢ふるさと散歩へとご案内します。
少しでも昔の所沢の町の様子が皆様にお伝え出来たら幸いです。
所沢市における「マチ」地域は、通常「旧町地域」をさしていました。
地図から直接リンクしている場所もあります。
東川とほぼ平行して東西に延びる主要地方道練馬・所沢線(銀座通り)沿いで、
西は主要地方道東京・所沢線(行政道路)
と交差する金山町交差点あたりから、東は一般県道久米・所沢線(昭和通り)と交差する
通称根岸の交差点(現ファルマン交差点)あたりを指していました。
江戸期から明治期にかけて、旧鎌倉街道と東川の交差するあたりを「河原宿」(現宮本町)
その南を「本宿」と呼び、江戸道(銀座商店街)西から「上宿・本町」、
「中宿・元町・寿町」、「下宿・御幸町」、
薬王寺付近を「浦宿・有楽町」、現在の御幸町、東町付近を「植の宿」と呼んでいました。
私はファルマン交差点の商家で生まれ育ちました。
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江戸時代の所沢の町 | 明治時代の所沢の町 | 大正時代の所沢の町 | 昭和・平成時代の所沢の町 |
武蔵野台地のほぼ中央にある所沢市にはいつ頃から人が住み始めたかは明らかではありませんが
昭和41年に三ヶ島の砂川遺跡、その後下安松、荒幡、北野からも先土器時代の石器が多数発掘されていますので
少なくとも一万年以上前から人々が住みついていた様です。
奈良・平安時代になると、中央官庁と武蔵国府とを結ぶ主要道路が市の中央を北から南へ走り、旅人の難儀を救う為に
天長10年(833年)に武蔵国悲田処が市の南端にあたる大字久米付近に造られました。
鎌倉時代になると、この道路は鎌倉街道と呼ばれ、これを主軸として元弘3年・小手指ヶ原の戦い等が行われました。
中世に新光寺界隈の「鎌倉街道」沿いに民家が出来始め、
江戸時代に江戸と秩父を結ぶ往還道「江戸道」(銀座通)沿いに広がり宿場町・街道町が形成され
「三八の市」が立つ町場として地域経済の中心として発達しました。
江戸後期から明治期にかけては「所沢飛白」と呼ばれる綿織物の一大集散地として賑わい、
明治30年代には全盛期を迎え、「蔵造り」の商家が競い合う様に軒を連ねていました。
明治9年に埼玉県に所属し、同14年に所沢町となりました。
私達の町を歩いてみましょう!!
新しい出会い・発見があります。
![]() ![]() 飛行機新道 ねぎしの交差点 植の宿 鍋屋横丁 |
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旭町界隈 江戸時代の将棋の名人・福泉藤吉、祭囃子の開祖・古谷重松のお墓 七世橋 市街道 引又道 川端霊園 |
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![]() 現在は街の中で一番賑わっていますが・・・ 駅前商店街 昭和通り(旧府中通り) |
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![]() 「まち」と言えばこの商店街を指して言われていました。昔は一番賑わっていた商店街でした。 蔵造りのお店も沢山建ち並んでいました。 ![]() |
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上町(上宿)《旧本町界隈》元町界隈 | |||
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上仲町(中宿)・元町界隈 | |||
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下仲町(中宿)・寿町界隈 | ||
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下町(下宿)・御幸町界隈 | |||
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![]() 旧町(銀座商店街)の北側には狭山湖近くの水源から流れ出る市内唯一の川・東川が流れています。 ここに架かる沢山の橋をご紹介します。 |
![]() 旧町の北側に流れる東川を渡った地域を裏町・浦町(有楽町)と呼ばれていました。 所沢の花柳街として華やか時代もありましたが・・ |
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![]() かっては織物関連の店蔵が立ち並ぶ歴史的な町並みでした。 |
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![]() 所沢の町の始まりはこの辺りと言われています。 |
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![]() 昔は萱の原と赤松の林ばかりでした。 |
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![]() 旧町(銀座商店街)の北側には狭山湖近くの水源から流れ出る市内唯一の川・東川が流れています。 ここに架かる沢山の橋をご紹介します。 |
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![]() 所沢の旧町にも季節ごとにいろいろな祭事があり、楽しみでした。 |
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![]() うまの町 雛まつり 北野の天神様 花祭り |
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幼年時代 | 少年時代 | 生家の思い出話 |
銀座通りの思い出話 | ![]() |
町中の自然の思い出話 |
お天王様の思い出話 | 所沢小学校の思い出 |
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![]() 旭町の山車で演奏している秋田さん制作 ![]() ![]() ![]() |
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埼玉県西部地域の織物 埼玉県の織物 入間地方の織物 所沢織物の誕生 双子縞の誕生 野田双子縞 村山絣と所沢絣 「所沢飛白」のブランドの誕生と衰退 湖月会と湖月縮の誕生 ![]() |
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所沢消防の歩み | 所沢町の纏 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 滝の城の竜(無声) ![]() |
郷愁の所沢スケッチ
市内在中の小田克也さんが変貌激しいマチを描いた絵画です。
変貌前の懐かしい風景に出会えます。
参考資料
所沢市史・写真集所沢・飛こう雲・金山百年史・所沢たてもの帖、
所沢市史研究、所沢関係新聞雑誌記事資料、他、郷土講座資料より
絵画は故峯岸正雄さん著・「むかしのところざわ百景」より奥様のご好意で掲載させて戴いています。
私のボランティア活動
ボランティアとして運営に参加しています。
ボランティアとして運営に参加しています。
粋なところざわ発見 | 「蝉しぐれツアー&夕涼み映画会」 |
私が参加しているTISパートナーシップが開催した 町おこしの催事をご紹介します。 |
私が参加している「メロウネットところ塾」が三周年を迎え秋祭りを開催しました。
メロウネットとこ塾 三周年・秋祭り 大正・昭和初期のロマンを楽しむ |
![]() 現代風のアレンジでCD化しました。 発表会の様子をご覧下さい。 |
お知らせ |
所沢中央公民会主催で旧町の文化・歴史を訪ねる「ふるさと散歩」を 毎月第ニ・四・金曜日に行なわれいます。 私もボランティアのメンバーとして、皆さんをご案内しています。 詳細は公民館までお尋ね下さい。TEL:042−926−9355 |
故郷所沢の思い出、情報ら何でも書き込んで下さい。
写真もOKです。
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