所沢飛行場物語
開設 2006.05.01

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 2011.3.16.


初の実戦参加 青島攻略

青島派遣陸軍航空隊


大正3年(1914)第一次世界大戦が勃発し日本も日英同盟に基づき、連合国の一国として参戦しました。

8月23日に日本はドイツ帝国へ宣戦を布告、陸軍は気球隊・臨時軍用気球研究会から人員と機材をもって急遽臨時航空隊を編成し、ドイツの租借地または領土だった青島(山東半島)攻略に参戦しました。
(1914年10月31日 - 11月7日)
海軍は、ドイツの植民地だった南洋諸島(マリアナ諸島とカロリン諸島マーシャル諸島)を攻略し、これを制圧しました。
臨時航空隊は有川鷹一工兵中佐を隊長として飛行・気球各一個中隊から編成、この時臨時軍用気球会の保有機は16機で、その中の作戦可能機の垂直尾翼に国籍標識:旭日を記しています。
大正3年8月23日に所沢で編成を終わった538名の派遣航空隊のうち、操縦将校は徳川好敏工兵大尉、長澤賢二郎工兵、内藤国太郎砲兵、真壁祐松歩兵、深山成人工兵、坂本真彦歩兵の各中尉、武田次郎輜重
小関観三歩兵少尉の8名、偵察将校は弘中工兵少佐ほか2名らで青島攻撃の臨時航空隊飛行中隊将校9名、同相当官2名、下士卒57名、軍属16名、装備は輸入モーリス・ファルマン1913型2号、3号、5号、8号の計4機とニューポールN・G型1機、馬5頭と繋留気球一個で構成され、所沢から官民の歓送をうけながら鉄道で広島まで輸送,宇品港から山東省に向かい、青島派遣軍独立18師団に編合、特に飛行中隊は小規模ながら初めて偵察飛行、空中戦,艦船及び軍事施設爆撃を行っています。

戦闘中の飛行中隊の出動回数86回、飛行時間延べ89時間、爆撃15回、投下爆弾44発が記録されています。



航空隊凱旋歓迎 所沢駅前


航空隊凱旋歓迎 気球隊正門前

12月1日臨時航空隊の一部(伊藤赳工兵大尉以下55名)が所沢駅に帰還、尋常科6年生以上の生徒が駅で出迎え



飛行機新道入口には凱旋門が造られ、山田呉服店では店頭に祝凱旋の看板を設置、夜は町主催の提灯行列が行われました。
大正4年1月1日には前年12月30日横浜入港の臨時航空隊:有川隊長以下残り全員)が午後7時に所沢駅に帰還しています。


この時の戦利品が所沢航空参考館にも展示され、ドイツ製の大格納庫は現在も残されています。

 

飛行機新道の開設 将校住宅と下宿屋 浦町(有楽町)界隈の賑わい
天皇行幸と所沢の町 戦時中の所沢の町 町中の飛行機事故
所沢飛行場駅 所沢飛行場前駅 所沢の戦争被害地
山口高射砲陣地 所沢の空襲警報回数記録
所沢飛行場物語 日本の航空発祥地 所沢 日本初の航空機事故犠牲者
民間飛行発祥の地 所澤 飛行船「イ号飛行船」 バルセヴァル飛行船
陸軍特別大演習 気球隊 雄飛号飛行船
陸軍航空学校・所沢陸軍飛行学校 陸軍航空技術学校 陸軍少年飛行兵 陸軍士官学校分校
陸軍航空整備学校 所沢陸軍航空整備学校
臨時軍用気球研究会 所沢飛行場の飛行機達 所沢飛行場での初飛行の日
航空大隊の編成と変遷 飛行場の拡張 遠距離屋外飛行
初の実戦参加 青島攻略 所沢飛行場の歴史年表 東京第一衛戍(えいじゅ)病院所沢分院と
憲兵分遺所
フォール大佐と
フランス航空教育団
所沢航空参考館:南倉庫 所沢飛行場開設時の飛行訓練の様子を
載せた新聞記事

終戦前後の所沢飛行場 シベリアへ出兵 飛行機による東京初訪問
所沢飛行場関連の散策マップ  所沢飛行場の変遷図 所沢飛行場と文芸 
三ヶ島葭子 与謝野晶子 田山花袋 
斎藤茂吉
中西吾堂
所沢航空参考館(南倉庫) 終戦時の所沢飛行場 
 所沢飛行場拡張区域図  飛行機命名法 YS11がやってきた
所沢飛行場の変遷図 所沢飛行場の歴史年表
航空発祥の地の由来と歴史    所沢飛行場の飛行機達
所沢陸軍飛行学校々歌♪歌が聴けます。 所沢飛行場開設時から大正期までの飛行機種
砂川堀と掩体壕  所沢飛行場関連の散策マップ

博史の昭和青春グラフィティー

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