2008.4.9.




旧町の西方、鎌倉街道に数年前迄、小さな塚が残っていました。
この小塚は殆ど顧みる人もなく、この道を通る人も、気づかない程のものでしたが、明治初期頃は、参拝の人も多く、街道の両側には、露天商が店を張る程の賑わいを見せていたそうです。

昔、所沢に喜平次と言う桶職人が住んでいました。
或る夜のこと、自分の飼っている猫が手拭いを姐さんかぶりにして、行灯のかげで踊っているのを見てびっくりしました。
もともとおくびょう者の喜平次は、腰を抜かすほど驚いて「猫は魔物だと聞いていたが、うちの猫もいよいよ魔性をあらわしてきたな」とすっかり恐れをなしましたが、家の者には、内緒にしておきました。

そしてその年のえびす講に江戸より来た魚の行商人から、さいふをはたいてイワシを買い、なおお赤飯をたいて猫にふるまってから因果を含めるように「さてお前も長くこの家に居たけれど、これ以上飼っておくわけにはいかなくなってしまったから、どこへでもお前の好きな所へ行っておくれ」と言い渡しました。
すると猫は、じっと考えているようでしたが、そのまますなおに、どことなく姿を消してゆきました。

その年の暮れのことです。喜平次の家から数町離れた泉屋と言う料理屋の縁側へ一匹の猫が迷い込んできました。
いかにも可愛らしい猫なので、家の人や女中たちが、残り物などをやって、そのまま飼っていると、人によく馴れて、泉屋にそのまま居ついてしまいました。
やがて猫は家の中から店先へでて、ちょこんと座り、旅人たちに「おいで、おいで」の手招きをはじめました。
往来の人たちも、あまり可愛い猫で、あいきょうにつりこまれて、つい立ち寄るようになり、泉屋は大繁盛をし、それからは誰言うともなく、あれは「福猫だ」と大評判になりました。
そこで隣近所では、是非これにあやかりたいと料理屋を開くものが増え、松葉屋、坂口屋、武藏屋など店開きをし、どれもこれも相当繁昌しました。

時を経て明治の初め頃、小金井小次郎の子分である所沢の侠客弥五郎が亡くなった福猫のためにお堂を建てたところ、商売繁盛の守り神だと言うので花柳界の人気を呼び、近在は言うまでもなく、遠く江戸からも参拝に来る人も少なくなかったとのことです。しかし、その後、このお堂も野火で焼け、小さな塚も跡かたもなく、いつしか参拝人も遠のいてついにさびれてしまいました。


お話:故峯岸正雄さん  参考資料:所沢文化財と風土・所沢の伝説 内野 弘

所沢の民話




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