所沢飛行場のあゆみ

昭和時代


西 暦 和 歴 出 来 事
1927年 昭和2年

民間:伊藤飛行機製作所、所沢憲兵分遺所南隣に分工場を設置

215日 西武鉄道 東村山=高田馬場間開通

317日 陸軍機から最初の落下傘降下 

高度400mより(アービング腰掛式落下傘)

727日 伊藤武夫中尉(教官)操縦、畑正志大尉(教官)同乗の乙式1型偵察機231号機は飛行試験中、

新光寺(所沢町宮本町)境内に墜落、乗員殉職

94日 訪日チェコスロバキア機(スモリクS16)を

乙式1型偵察機5機で出迎え先導。

埼玉県知事から絹4反、所沢町長より鼈甲シガレット・ケースを送呈。

912日所沢発、シベリア経由で帰航。

加藤敏夫大尉(教官兼研究部員:加藤隼戦闘隊隊長)夜間記録飛行を実施 

乙式1型偵察機で飛行=着陸=飛行を2機使用して昼夜連続飛行記録

27時間30分)
10
月 気球隊が千葉県都賀村に移駐

1928年 昭和3年

420日 故・ジャック・P・フォール少将の胸像建立。

427日 民間:所沢飛行場中央格納庫内で組立てた

大阪毎日新聞機ライアンNYP-2長距離機が所沢=仙台=広島=大阪間2,100km13時間23分を飛行(日本滞空記録)

613日 日本最初の落下傘降下

競合試作戦闘機の飛行審査中、入間川上空4,000mで空中分解、
テストパイロット中尾純利1等操縦士は落下傘非常脱出により無事

1929年 昭和4年 木村徳田記念塔を修復し、所沢駅前に移築。墜落地には殉難碑を建立
1930年 昭和5年 511日 民間 磯部鉄吉飛行士設計の磯部式初歩滑空機が張石織物整理工場(所沢町寿町)の一隅で完成
所沢飛行場で初飛行成功。高度5m、滞空7秒、距離80m
日本最初の本格的グライダー後・磯部氏は日本グライダークラブを創立
1931年 昭和6年

92日 所沢陸軍飛行学校校歌(堀内敬三作詞・作曲)制定。

918日 満州事変起こる。

1932年 昭和7年

1216日 白木屋デパート(東京日本橋)火災 

88式偵察機5機が救難活動に出動、救出用50mのロープを屋上に投下




愛国71号埼玉号(88式軽爆撃機)及び報国△△埼玉号献納式

1933年 昭和8年

216日 飛行場第3次工事用陸軍用地として拡張土地買収開始

426日 陸軍少年航空制度制定

愛国耕作地設定

1125日 飛行場周囲における飛行障害物の除去・規制のため周囲畑地所有者と愛国耕作地設定
1934年  昭和9年

21日 少年航空兵第1期(操縦生徒170名)入校 生徒隊を編成 

愛国講堂落成(埼玉県名栗村・町田^一郎氏献金)

航空燈台完成(東京市・小糸源六郎氏献金)

4月 所沢地方大干害に際し、所沢飛行学校から所沢町に飲料水給水。

少年航空兵教育のため狭山分飛行場(元狭山村)整地完成。105.5ha(304,000)

1129日 狭山分飛行場開場式

519日 所沢飛行場で愛国号3機の献納命名式挙行。

81日 徳川好敏少将(在職中、中将)陸軍飛行学校8代校長に補職。
1935年 昭和10年

5月 所沢衛戍(えいじゅ)病院と改称

729日 所沢陸軍飛行学校の機関学生教育を分離し陸軍航空技術学校の編成

81日 陸軍航空技術学校(陸軍航空本部隷下)を創立。 安藤三郎少将、校長に補職。

熊谷陸軍飛行学校(陸軍航空本部隷下)を創立。編成担当所沢飛行学校

補給部所沢支部、立川へ移駐。立川陸軍航空支廠に改編。

1127日 第1期操縦生徒(少年航空兵)卒業

121日 熊谷陸軍飛行学校 所沢から熊谷に移駐発令 1214日開校 所沢より祝賀編隊飛行

126日 第2期操縦生徒100名、熊谷飛行学校へ向け出発。所沢官民小学生歓送
1936年 昭和11年

226日〜29日 226事件(歩兵第1、第3連隊及び近衛歩兵第3連隊による反乱)

反乱軍に参加した河野寿大尉(第57期操縦学生)自決、

29日 所沢陸軍飛行学校の88式偵察機1機より、反乱軍に帰順勧告ビラを散布

3月 昭和8年以工事中の第3次飛行場用地工事完了。飛行場北側に53,322ha(161,300)を拡張

飛行場用地合計 245,355ha(742,197)となる。

411日 第18回開校記念祭航空ページェント実施。城寺少佐指揮953型練習機46機で

「トコロサワ」の編隊作字飛行。御真影奉安殿・大正天皇駐輦記念碑建立(井上幾太郎大将書)
所沢陸軍飛行学校所属飛行機標識(○にトコ)を制定。

1937年 昭和12年

3月 徳川好敏中将(航空兵団長)指揮により91式戦闘機2型、95式戦闘機、88式・92式・94式偵察機、

93式単発・93式双発軽爆撃機・93式重爆撃機、951型・同3型練習機、

合計150機で東京上空陸軍機分列式に参加。

朝日新聞社神風号[三菱雁型通信連絡機。J-BAA1]立川より東京=ロンドン間飛行。

77日 日華事変起こる。

所沢陸軍飛行学校廃止

所沢陸軍飛行学校生徒隊(少年航空兵)を改編し、東京陸軍航空学校を創立。

101日 陸軍士官学校分校を所沢飛行場内に創立 木下敏少将分校長に補職。

所沢町上水道事業完了。町内に水道がひかれる。

1938年 昭和13年

2月 武蔵野鉄道 松井村駅:所沢飛行場駅を開業(後・東所沢駅)

57日 陸軍士官学校分校は豊岡に移駐し、所沢に陸軍士官学校分校所沢分校を設置。

(この時の在校士官学校候補生は第50~53期合計約640名)

12月に陸軍航空士官学校所沢飛行場と改称

6月 西武鉄道 所沢飛行場前駅を開業(後の御幸町駅)

710日 陸軍航空整備学校創立(陸軍航空本部隷下)学校本部・教育部・材料廠を置く。

12月 東京陸軍航空学校は北多摩郡村山村字中藤に移駐

1939年 昭和14年

424日 豊岡飛行場 第51期士官候補生卒業式に天皇陛下が行幸。豊岡飛行場を修武台と命名

所沢材料廠(通称・南倉庫)に航空参考館を作る。  陸軍航空技術学校、立川に移駐。

2次世界大戦勃発

1940年 昭和15年

日本・ドイツ・イタリア3国同盟締結    所沢陸軍衛戍(えいじゅ)病院は東部軍隷下に編合、所沢陸軍病院と改称。

紀元2600年式典が宮城前広場で挙行。所沢でも山車祭で祝う。

4次所沢飛行場拡張工事、用地買収開始。

1941年 昭和16年

空挺部隊 教導練習隊を陸軍航空整備学校構内に設置。旧雄飛号飛行船格納庫内で吊索降下訓練

3月 所沢町旭町地内 新浦和街道完成。

所沢陸軍整備学校長、西武鉄道陸橋を七生報国の意をこめて七生橋と命名。

728日 所沢金剛講及び所沢航空士官学校生徒隊飛行班長他により

航空殉職英霊供養塔(畑少佐・伊藤大尉)を新光寺(宮本町)に建立。
128日 太平洋戦争勃発  小学校が国民学校と改称 (~昭和22年まで) 日本軍香港占領
1942年 昭和17年

日本軍マニラ・シンガポール占領 米軍機による東京初空襲

4月 飛行50第戦隊(97式戦闘機装備 南方軍第5飛行集団第4飛行軍団隷下)ビルマより所沢に移駐

1式戦闘機に機種改変。68日 シンガポールに向かう。

所沢飛行場周辺に高射第116連隊展開。所沢陣地:第1大隊第1中隊(998p高射砲6門ほか)所沢町所沢

松井陣地:第4大隊第18中隊(93150p昭光塔6基ほか)所沢町上安松

山口貯水池南岸を山口陣地として、独立高射砲第2大隊第4中隊展開。(998p高射砲6)
1943年 昭和18年

陸軍航空整備学校を所沢陸軍整備学校と改称

323日 航空神社建立 8月 少年飛行兵の像建立。

所沢町 松井村・富岡村・小手指村・吾妻村・山口村を編合(人口::35,490人)

920日 愛国第3851所沢町民号(2式戦闘機2)所沢飛行場にて献納式。
1944年 昭和19年

3輸送飛行隊新編 愛国講堂を営舎とする。

27日 陸軍省用地として所沢町大字下新井字ハケ上860番地一帯を買収(現秩父学園)

222日 飛行第24戦隊(1式戦闘機2型装備)立川から所沢に移駐。

防衛総司令部の指揮下で防空任務に付く。   第12飛行団司令部 所沢に移駐

3月 飛行第11戦隊(1式戦闘機2型装備) 所沢に移駐 4式戦闘機に機種改変。

9輸送飛行隊・第10輸送飛行隊編成。現秩父学園の土地に駐屯し、要員は付近に分宿

飛行第52戦隊(4式戦闘機装備)所沢で新編

3月 昭和15年以来の飛行場第4次工事完了。北側に1,195,863 ha(361,747)を拡張。

用地合計364,942ha(1103,944)となる。

飛行第53戦隊所沢で新編(2式複座戦闘機装備)  8月 第116飛行大隊が藤ガ谷から所沢に移駐

10月 第12飛行司令部及び飛行第11戦隊は4式戦闘機40機を以って所沢を出発。

1号作戦のためにフィリピンに向かう。

21飛行司令部は北伊勢より所沢に移駐

飛行第73戦隊(4式戦闘機40機装備)北伊勢より所沢に移駐。防空担当。

1025日 飛行第54戦隊(1式戦闘機2型装備)の主力24機所沢に到着。1式戦闘機3型に機種改変。

1030日 飛行第54戦隊は所沢発。捷1号作戦のためにマニラに向かう。

1112日 飛行第3戦隊(99式双発軽爆撃機装備。捷1号作戦で全滅)は戦力回復の為フィリッピンから所沢に帰還
1124日 B−29爆撃機、初めて大編隊で東京空襲。飛行第73戦隊の4式戦闘機12機迎撃。効果なし。

123日 B−29の投弾により所沢町で死者1名、負傷者6

124日 第21飛行団司令部及び飛行第73戦隊(4式戦闘機50)は捷1号作戦のためフィリピンに向かう。
1945年 昭和20年

陸軍航空工廠飛行機製造所は所沢及び氷川小河内ダムのトンネル内に疎開。

所沢陸軍病院は第52航空団隷下に編合

217日 アメリカ機動部隊艦載機郡が関東地区各飛行場を攻撃

1波(午前642分〜820分約180機) 第3波(945分〜1045分約250機)

所沢飛行場も攻撃受ける。

所沢陸軍航空整備学校所属の1式戦闘機4機は艦載機を要撃、1機撃墜、1機撃墜される。

219日 アメリカ軍硫黄島に上陸

所沢陸軍航空整備学校を廃止し、所沢航空教育隊・立川航空教育隊・八戸航空教育隊に改編。

3月  第21飛行団司令部及び飛行第73戦隊は戦力回復のためフィリッピンより所沢に帰還。

飛行第208戦隊(99式双発軽爆撃機2型装備)戦力回復のためフィリピンから帰還。

326日 アメリカ軍は沖縄に上陸

44日 午前4時、所沢町山口川辺(高橋北)にB−29500ポンド爆弾1発投下。死者1名、家屋損害多数。

同時に山口新堀に70ポンド焼夷弾を投下し、山火事発生

飛行第27戦隊(99式爆撃機・99式双発軽爆撃機装備)戦力回復のため所沢に帰還。

飛行第200戦隊(4式戦闘機装備・捷1号作戦に参加全滅)戦力回復のためフィリッピンより所沢に帰還。

419日 P−51戦闘機(硫黄島基地)50機所沢他関東各飛行場を攻撃。

飛行第3戦隊のキ102乙襲撃機3機は所沢付近で訓練飛行中攻撃を受け被弾。1機は藤沢村に1機は飛行場に胴体着陸、他の1機は入間川町に墜落。 76日  P51戦闘機約100機は松戸・所沢を攻撃

730日 アメリカ軍艦載機が関東地区飛行場・鉄道・工場を攻撃。

所沢飛行場はグラマンF6F戦闘機の機銃及びロケット弾を受ける。

艦載機による攻撃で所沢町で死傷者多数。有楽町の松葉旅館・渡辺医院・薬王寺に被害あり。

86日 広島に原子爆弾投下

87日 近衛文麿特使をモスクワに派遣(連合国との和平仲介依頼)のため大本営飛行班の4式重爆撃機1機は所沢飛行場で待機。翌日ソ連参戦のため中止

88日 大本営は広島原子爆弾調査団を派遣。正午、爆撃機で所沢を離陸米子経由で広島着。

89日 長崎に原子爆弾投下

815日  日本ポツダム宣言を受諾し降伏  

太平洋戦争 終戦

士官学校生徒約100名は15日以来、校長徳川好敏中将以下を監禁し抗戦を主張

首謀者生徒区隊長、上原重太郎大尉(近衛師団の反乱に参加し、15日末明、師団長、森赳夫中将を殺害)は航空神社境内で自決。陸軍士官学校の反乱終結。

817日 閑院宮春仁王以下陸軍参謀は、南方郡総司令部・第7方面軍・第10方面艦隊司令部に終戦趣旨伝達のため大本営飛行班の4式爆撃機で午前9時所沢出発。

上海=広東=ツーラン=サイゴン=シンガポール=サイゴンー南京を径て、24日午後5時に所沢に帰還。

824日 午後5時以降、一切の日本飛行機の飛行禁止

829日 第3航空教育団司令部及び所沢航空教育隊廃止

830日 日本占領連合軍総司令長官ダグラス・マッカーサー元帥は厚木に到着

92日 戦艦ミズリー号艦上で日本降伏文書調印式。

陸軍士官学校廃止。第65飛行場中隊廃止。航空神社を北野神社境内に遷座。

913日 アメリカ第5空軍司令部先導参謀,修武台飛行場を査察

914日頃  所沢飛行場を査察、

915日 アメリカ第5空軍司令部先導隊,修武台飛行場へ進駐。(以後ジョンソン基地と改称)

922日 西武鉄道会社と武蔵野鉄道会社は合併し西武農業鉄道会社設立。

(昭和21年に西武鉄道株式会社と改称)

923日 アメリカ軍憲兵13名、所沢国民学校を宿舎として26日まで滞在。

9月下旬 アメリカ陸軍第1180技術工兵大隊(97師団隷下)は所沢飛行場に進駐。

以後、11月下旬までに第771工兵隊及び第3013兵器隊が進駐。

10月上旬 所沢飛行場で1式・3式戦闘機、2式複座戦闘機,キ102乙襲撃機、98式直協偵察機、99式軍偵察機、100式司令部偵察機1型及び2型、97式計爆撃機、97式・100式・4式重爆撃機、4式基本練習機等多数を破壊。

121日 所沢陸軍病院廃止。国立所沢病院と改称。


大正時代へ 所沢飛行場のあゆみ 明治時代へ

 

飛行機新道の開設 将校住宅と下宿屋 浦町(有楽町)界隈の賑わい
天皇行幸と所沢の町 戦時中の所沢の町 町中の飛行機事故
所沢飛行場前駅 所沢飛行場駅
所沢飛行場物語 日本の航空発祥地 所沢 日本初の航空機事故犠牲者
民間飛行発祥の地 所澤 飛行船「イ号飛行船」 バルセヴァル飛行船
陸軍特別大演習 気球隊 雄飛号飛行船
陸軍航空学校・所沢陸軍飛行学校 陸軍航空技術学校 陸軍少年飛行兵 陸軍士官学校分校
国際親善の町 所澤 陸軍航空整備学校 所沢陸軍航空整備学校
臨時軍用気球研究会 所沢飛行場の飛行機達 所沢飛行場での初飛行の日
航空大隊の編成と変遷 飛行場の拡張 遠距離屋外飛行
初の実戦参加 青島攻略 所沢飛行場の歴史年表 東京第一衛戍(えいじゅ)病院所沢分院と
憲兵分遺所
フォール大佐と
フランス航空教育団
所沢航空参考館:南倉庫 所沢飛行場開設時の飛行訓練の様子を
載せた新聞記事

終戦前後の所沢飛行場 シベリアへ出兵 飛行機による東京初訪問
所沢飛行場関連の散策マップ  所沢飛行場の変遷図 所沢飛行場と文芸 
三ヶ島葭子 与謝野晶子 田山花袋 
斎藤茂吉
中西吾堂
所沢航空参考館(南倉庫) 終戦時の所沢飛行場 
 所沢飛行場拡張区域図  飛行機命名法 YS11がやってきた
所沢飛行場の変遷図 所沢飛行場の歴史年表
航空発祥の地の由来と歴史    所沢飛行場の飛行機達
所沢陸軍飛行学校々歌♪歌が聴けます。 所沢飛行場開設時から大正期までの飛行機種
砂川堀と掩体壕  所沢飛行場関連の散策マップ

博史の昭和青春グラフィティー

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