所沢飛行場のあゆみ

大正時代


西 暦 和 歴 出 来 事
1912 大正元年

8月 バルセバル飛行船用仮気球庫完成(木造土窟)

830日 バルセバル飛行船初飛行 

シューベルト技師(ドイツ人)操縦、岩本周平技師、益田済・石本祥吉各工兵大尉、

山下誠一海軍機関大尉搭乗。高度310m、距離16km、滞空18

1021日 飛行船による東京初訪問

バルセバル飛行船は船長、益田済句兵少佐、井上幾太郎交通兵旅団長らが搭乗し所沢から東京訪問飛行。

1027日 飛行機による東京初訪問

徳川好敏大尉は会式2号機飛行機を操縦し午前538分所沢発、代々木練兵場に到着。

650分代々木離陸、青山=芝=品川=日比谷=九段を飛行し代々木に着陸。

727分発、745分所沢に帰還。

11月 会式3号、4号飛行機完成

1112日 横浜沖海軍観艦式

金子養三海軍大尉はモーリス・ファルマン式水上機で、河野三吉海軍大尉はカーチス式水上機で参加

(海軍公式初飛行)

バルセバル飛行船は山下誠一海軍機関大尉。石本祥吉工兵大尉、岩本周平技師らの搭乗で観艦式初参加。

所沢=横浜間往復、

高度1,000m、距離145km、滞空時間2時間53

1115~19

川越地方陸軍特別大演習(北は松山、南は多摩川に及ぶ)

統監のため大正天皇、14日〜20日まで埼玉県立川越中学校に駐輦

飛行機とバルセバル飛行船初参加 ブレリオ単葉機:徳川好敏工兵大尉 

会式3号機:第1期交通術修業員航空機操縦将校木村四朗砲兵中尉が操縦

両機に偵察将校小沢寅吉・杉山元・末松茂治各歩兵大尉、浅田礼三歩兵大尉1名ずつ同乗。

1115日 木村中尉機は入間川河原仮着陸場に着陸し偵察報告演習実施

1117日 大正天皇、所沢飛行試験場気象観測所屋上から飛行演習統監。

木村中尉機(小沢大尉同乗)は谷保村仮着陸場から所沢へ帰航中、

発動機停止し東村山野口に不時着。機体大破、乗員無事

1119日 大正天皇、所沢飛行試験場で賜餐会開催予定のところ雨天のため中止

民間 1125日 磯部鉄吉、日本航空協会設立

1913年 大正2年

2月 4、第5飛行機庫完成(木造)

気球庫(後・通称雄飛号格納庫)完成 

明治449月着工 日本最初の鋼鉄架骨構造で飛行船格納場・両側房・両戸袋塔を含み床面工事費を除き

建造費428千円

22日 バルセバル飛行船、代々木練兵場に飛行し一般公開

227日 会式2号、3号飛行機 所沢=代々木間往復野外飛行 午前9時所沢発、午後帰着。

3月 ガス発生用材料庫、木工材料庫、軽油庫、固定式ガス発生所、還流式ガス発生所、ガス圧搾所完成

328日 青山練兵所で飛行機・飛行船を貴族院・衆議院議員に公開。

ブレリオ単葉機、会式2号、3号機、バルセバル飛行船所沢飛行場より飛来

バルセルバ飛行船は着陸時風に流され建物に接触大破(死傷者無し)

日本初の航空事故犠牲者

ブレリオ単葉機は帰途所沢付近の入間郡松井村の山林上で突風の為翼が破損して墜落、

木村鈴四郎操縦、同乗の徳田金一両中尉は日本国内で初の航空事故の犠牲者になる。

1020日 気球隊、中野から所沢へ移駐。所沢民間、気球隊を歓迎。

12月 格納庫、飛行試験場西北隣接地に完成し所沢飛行機製作所とす。

1218日 所沢憲兵分遺所を町内字並木に設置
1914年 大正3年

民間 磯部鉄吉飛行士 ルンブラー・タウベ飛行機(日本航空協会2機購入)で初飛行

モーリス・ファルマン1913年型2号機、5号機野外飛行(所沢=高崎、水戸、宇都宮)

328日 やまと新聞社、木村徳田両中尉殉難碑を墜落地に建立 一周忌に当たり除幕式

426日 大正博覧会出品のモーリス・ファルマン1913年型6号機を操縦、

2会場(青山練兵場)より帰航の菅松翆歩兵中尉

試験飛行場に着陸の際、仮気球庫上にて突風により墜落。殉職

728日 第一次世界大戦勃発 日本823日 対ドイツに宣戦布告

817日 臨時航空隊(隊長・有川鷹一工兵中佐。飛行・気球各1箇中隊)を編成

この時、臨時気球研究会保有機数16機 最初の国籍標識(旭日)を垂直尾翼に記す。

823日 臨時航空隊飛行中隊(将校9名・同相当官2名・下士卒57名・軍属16名、

輸入モーリス・ファルマン19132号、3号、5号、8号の4機とニューポールN・G1機、馬5頭)

所沢発、山東省に向かう。所沢官民歓送。

927日 東京第1衛戍病院所沢分院(近衛師団隷下)を松井村大字上安松1224番地に設立(陸軍病院)

12月 臨時航空隊の一部(有川鷹一隊長以下55名)青島より所沢駅着、帰還。

凱旋を祝し。夜、所沢町主催の提灯行列を催す。

夜間飛行研究のため気球庫西戸袋搭乗に90p射光機を設置。
1915年 大正4年

11日 臨時航空隊残り全員所沢駅午後7時着、帰還 

223日 最初の郵便飛行

澤田秀工兵中尉、坂本真彦歩兵中尉操縦のアンリ・ファルマン1913型飛行機15号、16号機が

所沢=府中=厚木=国府津=真鶴岬=箱根軽井沢峠=沼津=静岡=大阪へ帝国飛行協会会員の郵便葉書を

所沢・静岡で搭載して輸送

3月 バルセバル飛行船の改造ほぼ完成

モーリス・ファルマン1913型飛行機により夜間飛行実施

会式5号、6号飛行機、所沢工場で完成。

4月 第3期交通術修業員航空機操縦将校 所沢=宇都宮卒業飛行

415日 武蔵野鉄道 池袋=飯能間開通

421日 バルセルバル改造飛行船命名式 陸海軍、大臣臨席

航空機「雄飛」と命名。船長・益田少佐、岩本技師ら6名搭乗午前1050分進空。

423日 雄飛号飛行船、東京初訪問飛行。

427日 雄飛号飛行船、連続7時間飛行

5月 雄飛号飛行船、夜間飛行・空対地無線通信試験

モーリス・ファルマン型7号飛行機に機関銃を装備し空中射撃試験。

611日 陸軍用地として松井村大字下新井422番地内を買収、庁舎を新築し、所沢憲兵分遺所が転入

7月 雄飛号飛行船、関東地方南部を3時間夜間飛行

727日 (みちのみや)皇太子(後・昭和天皇)所沢飛行場に来場

826日〜29日 所沢=高田間遠距離野外飛行

徳川好敏大尉、岡楢之助中尉、伊藤求己中尉がアンリ・ファルマン1913型飛行機13号、19号、20号機にて

遠距離野外飛行 29日帰着。

9月 民間 第1期帝国飛行協会委託操縦練習生(尾崎行輝・扇野竹次郎)卒業

1014日 航空大隊(近衛師団交通団隷下)の編成発令。衛戍地・所沢

12月 大正大礼観兵式。 青山練兵場

飛行機初参加。アンリ・ファルマン1913型機、雄飛号飛行船、信号気球が参加

1210日 航空大隊編成。大隊長・有川鷹一工兵大佐。

本部・第1中隊(飛行)第3中隊(気球)材料廠。総員375名乗馬8

気球隊を廃止し航空大隊3中隊に改編

鉄骨大格納庫・発動機工場完成。仮気球庫の屋根を低く改造。

飛行機工場(旧第1飛行機庫)を機関庫西に第2飛行機庫を第3飛行機庫西側に移築

1916年 大正5年

115日〜24日 雄飛号飛行船大阪訪問飛行

機関不調と強風のため野外繋留は危険として水素ガス放出・解体し所沢に鉄道輸送

2月 雄飛号飛行船、所沢=青森=弘前間往復飛行

会式7号(練習偵察)飛行機完成、制式1号飛行機完成、会式7号小型飛行機(駆逐)完成 

最初の夜間照明弾投下実験 

実験風洞完成

海軍は事実上臨時軍用気球研究会から脱会

北九州陸軍大演習にモーリス・ファルマン1913型飛行機4機参加   所沢=久留米間往復飛行
1917年 大正6年

721日〜22日 雄飛号飛行船、所沢=仙台間往復飛行   雄飛号飛行船の廃止決定

航空大隊は航空第1大隊と改称。

12月 飛行試験場第2次工事。主として北側35万坪拡張。  合計用地約58万坪
1918年 大正7年

後藤正雄・佐藤要蔵両飛行士、モーリス・ファルマン1914年型国産機で所沢=大阪間無着陸飛行に成功

距離425km 時間6時間30

82日 シベリア出兵宣言(大正145月撤兵)

813日 航空第1大隊でウラジオ派遣軍第1航空隊(本部及び1個中隊)を編成しシベリア沿岸海州に出動。隊長:中西正工兵大尉。モ式4型飛行機3機、モ式6型飛行機3機、ソ式1型飛行機1

(中、一部機材は臨時軍用気球研究所より転用)

821日 航空第1大隊でウラジオ派遣軍第2航空隊(本部及び2個中隊)を編成し

シベリア・ザバイカルに出動。隊長:林正木工兵少佐。モ式4型飛行機6機、モ式6型飛行機3機、

ソ式1型飛行機3機(中、一部機材は臨時軍用気球研究所より転用)

航空第1大隊でウラジオ派遣軍航空廠を編成しザバイカルに出動モ式6型飛行機4機 ソ式1型飛行機2
1919年 大正8年

120日 仏国航空教導団(団長フォール大佐)所沢に到着 官民歓迎

24日 仏国航空教導団ベルヌ工兵少佐以下19名は飛行場内の官舎に移住。

227~3月初旬 ウラジオ派遣軍第1航空隊、第2航空隊一部 所沢駅着帰還。

3月初旬 仏国航空教導団の伝習教育開始  所沢:機体製作班 二式24型飛行機の製作開始。

4月 臨時空術練習委員気球班、第1回伝習

415日 陸軍航空部(本部及び補給部)を創設。 

陸軍航空学校開校 校長 有川鷹一少将(在職中中将) 本部・教育部・研究部・材料廠で組織。

12月 気球中隊を気球隊(2代目)に改編
1920年 大正9年

38日〜12日 所沢=京城間長距離飛行、朝鮮海峡初横断飛行 

317~21日 京城=所沢間長距離飛行。所沢に帰着

514日 臨時軍用気球研究会は正式に廃止

8月 民間の小栗常太郎飛行士が所沢町薬王寺境内で組立中のカーチスJN4飛行機完成し所沢飛行場で初飛行

10月下旬 鉄筋コンクリート造り飛行機庫(通称中央格納庫)完成 当時他に大小約30の飛行機庫があった。
1921年 大正10年 2月 陸軍省用地として所沢町大字久米稲荷林643番地付近一帯を買収。(後の南倉庫)
1922年 大正11年

8月2日 原敬三郎少尉(短期操縦学生)有楽町 深井醤油店に墜落し重傷

8月 川越鉄道株式会社、西武鉄道株式会社と改称

1026日 秩父宮所沢飛行場に来場
1923年 大正12年

7月 海軍がニューポール・アストラ社から輸入したトウレ飛行船は雄飛号飛行船格納庫で組立完成。

試験飛揚開始。

91日 午前1158分 関東大震災

気球隊の自動車両の大部分を関東戒厳司令部へ派遣 トウレ飛行船、東京の被災状況を偵察飛行

震災救難のため陸軍航空本部長に指揮に属し、飛行機を救難活動に出動。

2日波多野赳夫砲兵中尉は乙式1型偵察機で大阪に飛行し陸軍大臣命令

(乾パン375トン、米278,585klの東京へ回送)を第4師団長に伝達

4日 7機により、湘南伊豆の被害偵察飛行。名古屋大阪方面の公文書郵便3,000 通を輸送飛行

1215日霞ガ浦海軍飛行場に押収飛行船格納庫完成し、トウレ飛行船は所沢を出発し霞ガ浦に移動
1924年 大正13年

517 陸軍航空学校を所沢陸軍飛行学校と改称 基本操縦・機関工術の教育及び研究を担当し、

本部・教育部(操縦科、機関科、気象科)教導中隊・研究部・材料廠により組織す。

69日 訪日フランス機、午前1140分着陸。操縦ベルチェ・ド・アジイ大尉、

機関士ベルナール・ベザン軍曹

使用機:ブレーゲ19型(パリ=上海間。着陸時大破)(上海=所沢間)

所沢陸軍飛行学校の乙式1型偵察機3機、歓迎飛行、

官民および所沢尋常小学校ほか尋常科3年生以上3,000名、飛行場にて出迎え。
1925年 大正14年

陸軍 航空兵科(飛行機及び気球)独立す。

定色は薄紺青色。(常備機5,000機、将校403、下士官466、兵2,227名)

陸軍航空部を廃止し陸軍航空本部を創設。所沢陸軍飛行学校研究部を改編し、陸軍航空本部技術部を創設。

陸軍航空本部補給部所沢支部、飛行機の生産を中止。 飛行大隊を飛行連隊と改称

陸軍は航空兵科独立祝典を所沢飛行場において挙行

92日 訪日ソ連機R-1型偵察機:ソ連製デハビランドDH4)午後442分所沢に到着
1926年 大正15年

61日 訪日デンマーク機(フォッカーC5E)を乙式1型偵察機3機で箱根に出迎え、

午前118分所沢飛行場に着陸。

615日所沢発。シベリア経由、623日コペンハーゲン着、往復31,395km、飛行時間176時間

95日 訪日ポーランド機ブレーゲ19型)を乙式1型偵察機3機で立川飛行場から所沢飛行場まで先導。

午後426分所沢飛行場に着陸。912日所沢発。26日ワルシャワ着。

往復20250km 飛行時間121時間

乙式1型偵察機により所沢=仙台間、高度4,000m以上で高空野外飛行試験 

1225日 大正天皇薨去(こうきょ)。 昭和と改元


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所沢飛行場歴史年表
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