所沢飛行場物語
開設 2006.05.01

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 2011.3.15.


※ 飛行船「イ号飛行船」


明治44年10月 、臨時軍用気球研究会は、純国産(エンジンは輸入)の「イ号飛行船」を製造しました。

明治43年に設計に着手し、設計は研究会の技術担当者である徳永熊雄陸軍工兵大尉、小浜方彦海軍機関大尉、岩本周平技師、山下誠一海軍機関大尉、徳川好敏陸軍工兵大尉らの協力により、バルーンは山田猪三郎氏の気球製作所、吊舟は平岡鉄工所で分担して製作され、同年10月、所沢飛行場で総組立てられました。

10月25日午後5時20分、中島知久平海軍機関大尉、伊藤赳陸軍工兵中尉、高山幸次郎技手搭乗により所沢飛行場を中心に、最高高度60m、距離4.5km、滞空10分を飛び初飛行に成功しました。27日にはイ号飛行船が高度100mで飛行中、徳川大尉操縦のアンリ・ファルマン機と同時飛行、翌日には1時間41分、32kmを飛び最大飛行記録達成しています。翌年3月27日には操縦不能となり、所沢駅付近の畑に不時着したこともありました。

 

明治44年の秋、日本初の飛行船が所沢上空を飛びまわった時に田中館愛橘氏が詠まれた歌があります。

(とこ)路沢(ろさわ)むべもと見けり名にしるき

いものなりしてそらふねのとぶ

この飛行船は気嚢(きのう)の形が少し不格好であったので、それを(ふう)して

「所沢では、いもの産地だけに飛行船までもいもの形をして飛んで居るわい」と戯れた歌です。

岩本周平陸軍技師が翌年所沢飛行場でのバルセバル飛行船の組立・試験飛行のために浦町の松葉館に宿泊していた時に町中の大和屋金物店の二階に宿泊していた田中館愛橘氏を訪ね、時揮毫して頂いた歌です。

田中館愛橘氏が臨時軍用気球研究会の委員として飛行場選定に所沢を視察され、立ちよった農家でお茶受けに頂いた丸焼きの薩摩いもを思い出し書かれました。

 

飛行機新道の開設 将校住宅と下宿屋 浦町(有楽町)界隈の賑わい
天皇行幸と所沢の町 戦時中の所沢の町 町中の飛行機事故
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