2002.MAR.192011.11.21.~2012.1.26.








終戦を迎え敵性音楽であったジャズ等の洋楽が開放され進駐軍基地のクラブで多くのシンガーやバンドが誕生しました。

講和条約が発効され多くの米軍が引き上げ基地内で演奏していた多くのプレイヤー達が放り出されましたが、
民間放送の誕生、テレビ放送開始共に一般国民もジャズを聴く機会が増え、海外からもポピュラー歌手やジャズメンが来日し
ジャズ全盛時代を迎えました。


私がラジオ、テレビ、劇場、ジャズ喫茶で出会った1950年代〜60年代の懐かしい歌手、プレイヤー、バンドを紹介します。

名前を思い出したままに記載しましたので間違い、勘違いがままあると思いますがお許しください。
貴方の思い出・参考資料等がありましたら是非お知らせください。
日本にも素敵なジャズメンがいることを次世代に伝えたくこのペイジを掲載しました。



歌手 コメント
江利チエミ





チエミのテネシーワルツ

JAMBALAYA

C' EST SI BON

ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET

CHATTANOOGIE SHOE SHINE BOY

BLUE MOON

TEA FOR TWO

SKOKIAAN

VAYA CON DIOS

ANNA

CHANGING PARTNERS
中学生時代に私をジャズ・ポップスの世界に引き入れてくれたシンガー

1951年14歳の時にパティー・ペイジのヒット曲「テネシー・ワルツ」でデビュー

パティーペイジの歌が聴けます

ジャズ、ラテン、ポップス、などさまざまなジャンルの外国曲を見事に歌いこなし、これらの音楽にあまりなじみがなかった当時の日本人の心に、すばらしい歌の数々を刻んでいきました。

この幅広い表現力は、小さいころ米軍キャンプ周りで身に付いた英語とリズム感、そして自身の明るい性格に支えられていたようです。

  同世代の人気スター、美空ひばり、雪村いづみと共に「3人娘」と呼ばれ、この3人を主人公にした映画「ジャンケン娘」「ロマンス娘」などは、ステージでは見られない3人の女学生ぶりや、豪華なレビューのシーンなど見所が満載で、大ヒットを飛ばしました。

また、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」や「スター誕生」で主役を演じる一方、持ち前の明るさとコメディ・センスを生かした映画「サザエさん」シリーズでも活躍するという、多彩なエンターティナーでもありました。
「テネシー・ワルツ」が日本人ジャズソングの始まりとも言われています。
高倉 健と一時結婚、テレビ「サザエさん」でもコミックな役柄で知られていますね。

1983年死去

「江利チエミのペイジ」

雪村いづみ





TILL I WALTZ AGAIN WITH YOU

BLUE CANARY

THREE COINS IN THE FOUNTAIN

SECRET LOVE

QUE SERA ,SERA

THE CALL OF THE FAR AWAY HILLS

SWANEE

Amapola
昭和12年東京生まれ
本名 朝比奈知子 「トンコ」の愛称で親しまれていました。
15歳の時に新橋フロリダで「ビコーズ・オブ・ユー」を歌ったのをきっかけに
歌手への道を歩き始めました。
日劇ミュージック・ホール、進駐軍のベースキャンプの歌手を経て昭和28年に
テレサ・ブリュアーのヒット曲「想い出のワルツ」でデビュー。
「青いカナリア」「オーマイ・パパ」「遥かなる山の呼び声」と
たてつづけにヒットを飛ばして一躍人気スターになりました。

昭和34年渡米し「エド・サリバン・ショウ」「シェービー・ショー」に出演
35年から36年にかけて「ホリデーイン・ジャパン」で全米を巡演
41年からアメリカに住み、ショウビジネスの世界で活躍
帰国後、ミュージカル「メイム」「マイ・フェア・レディー」「ウエストサイド物語」に出演
ミュージカル・スターとして活躍しました。
チエミ、ひばりとの三人娘として映画界でも活躍。
二人はすでに他界しましたが、唯一今も現役で頑張っていますね。



想い出のワルツが聴けます
美空ひばり

歌謡界の女王ですがジャズを唄っても一級、
もっとジャズも聴きたかった。


美空ひばり ジャズを歌う  A列車で行こう

stardust

Love Is A Many Splendored Thing(慕情)

Tennessee Waltz

ペギー葉山





DOMINO

KISS OF FIRE

La Novia

Que Sera Sera

学生時代

南国土佐を後にして

青山学院大学時代からドリス・デイに憧れ駐留軍基地やクラブからスタート。
私が初めて聴いた曲は「ドミノ」、「南国土佐を後にして」が大ヒットし有名になったが、
「学生時代」等のヒット曲も沢山あります。

間もなく50周年を迎えるベテラン歌手です。
ペギー葉山は,1933年(昭和8)12月9日東京生まれ。
本名は森繁子,旧姓は小鷹狩(こたかり)
青山学院女子高等部を1952年(昭和27)に卒業しています。
高等部2年生だった1950年(昭和25)の秋,
同級生の兄に誘われたことがきっかけで,
米軍キャンプで演奏する立教大学の学生ハワイアンバンドと共演することになる。
以来,昼間は学生,夜は歌手として米軍の下士官クラブに通っていたそうで。
最初はクラシックを学んでいましたが、アメリカ軍のために放送されていた
ポピュラー音楽等に感動し、ポピュラーに転向しました。
その頃、駐留軍向けのクラブで活躍していた日本一のフルバンド
「渡辺弘とスターダスターズ」の専属歌手として迎えられ、
学生歌手・ペギー葉山が誕生、1952年「ドミノ」「火の接吻」でデビューしました。
1955年アメリカへ行った時に、自ら作詞もした「ドレミの歌」を持ち帰り、
以後、外国へ行く度に歌を直輸入し「ラ・ノビア」「マンマ」等、
数々の歌を日本に紹介してヒットさせ、
外国音楽を日本の大衆歌謡化するという大きな業績を成し遂げました。
ペギーさんの歩みがそのまま戦後日本のポピュラー音楽史といえます。
笈田敏夫





In Little Hula Heaven
大正14年ベルリン生まれ 愛称・ゲソ
昭和12年頃、フレッド・アステア、ビン・クロスビー等の映画・レコードに影響を受けジャズの世界に憧れたそうです。
慶応ボーイとしてキザナ唄い方が特徴・?元海軍士官
ハワイアンの大橋節夫とは幼な地味で戦後彼と一緒にハワイアンバンドを結成し最初はハワイアンを歌っていましたが、ジャズに傾倒する様になりボス・宮崎とコニー・アイランダースに加わりジャズ・ナンバーを歌う様になりました。
その後グラマシー・ファイブ、ブルー・コーツ等のバンド・シンガーとして活躍、ビック・フオー等とも沢山共演していました。
ジョージ川口と共に戦後のジャズ界の大御所として今だに活躍する大ベテラン歌手
ヴォーカリストとしての活躍の他、レコード・プロデューサー、司会で活躍
日本のジャズの歴史を知る貴重な方です。
ナンシー梅木

戦後のジャズ界で傑出した女性歌手。そのフィーリングは抜群。
アメリカ映画「サヨナラ」に抜擢され、アカデミー助演賞を獲得、渡米してミュージカル「フラワー・ドラム・ソング」などで活躍。

本名・梅木美代志
旗 照夫




Mapuana

Blue Hawaii

1933年東京出身 S'28年名門都立日比谷高校卒業、同年ラジオ東京ミュージックレストランでデビュー、
デビュー曲「ハッシャバイ」 紅白歌合戦も8回出演
甘いマスクと低音が魅力。バラード曲を歌わせたらシビレちゃう。
「ハッシャ・バイ」「あいつ」が大好きでした。 愛称・バビー、兄さんもモデル界で活躍していました。



ハッシャバイ (夢よやすらかに) 旗照夫、ダークダックス

あいつ 水原弘
柳沢真一

昭和27・8年頃俳優、ジャズ歌手として活躍。出演劇場の周りを客が囲む程の人気物でした。
3枚目的演技でテレビ界でも活躍、女優・池内淳子と結婚、即離婚で話題になりました。

「イスタンブール」「奥様お手をどうぞ」等ポピュラー歌手として活躍していました。


イスタンブール

武井義明

二枚目ジャズ歌手と甘い歌声で人気一位 
TVのバラエティー番組「光子の窓」で良く歌っていました。
レイモンド・コンテ

フイリッピン出身 日本のジャズ史を語るに不可欠のプレイヤー、多くの日本の有名ジャズプレイヤーを育てる。
終戦直後から活躍した「ゲイ・セプテット」のリーダーとしてクラリネットと独特のヴォーカルと日本のジャズ界の草分け的存在として知られています。
いつまでも元気でいて欲しい
ビンボオ・ダナオ フィリッピン出身、クラーク・ゲーブル似のハンサム歌手、口ひげが印象的でした。
女優の淡路恵子と結婚・離婚
沢村美司子(みつ子)

1940年、沖縄出身、8歳から米軍キャンプで唄い、S27年全国歌謡コンクール沖縄代表としてデビュー、コロンビアにスカウトされ「ウスクラダ」レコードデビュー
翌年MGM映画と3年間契約を結び
「ラスベガスで逢いましょう」「八月十五日の茶屋」に出演、内外共に好評をはくす。
中島 潤

京都出身、大阪の放送局の「のど自慢」でマリリン・モンローの「帰らざる河」を唄って
チャンスを掴みデビュー
57年渡辺 晋に見出されて京都より上京。
58年エンジェル(東芝)「四月の恋」でデビュー。


高橋 伸 1935年東京出身 幼時よりNHK専属童謡歌手として活躍、S29年ジャズノド自慢で一位、日劇「夏の踊り」でデビュー、S31年新東宝と契約、多くの映画に出演していました。
丸山清子

1930年東京出身、S'29年八城一夫に見出されてプロ入り、スケールの大きな唱法とバップ・スキャットで玄人筋に人気がありました。
'40年まで渡辺プロで最高峰の女性シンガーとして活躍していまいした。
後藤芳子

1952年に北村英治らのリズムメイツに加わり、銀座のクラブ、米軍関係の仕事を始 め、以後、
山屋清とファイン&ダンディーズ、ディッグ・グルードオーケストラ等の 専属シンガーを経て独立。
国内外で、ライブ及びコンサート活動を行い、また、テレ ビ・ラジオの音楽番組にも数多く出演。
ジャズスクールで後進の指導にあ たっている。 本格派のジャズ歌手
新倉美子





YOU BELONG TO ME
1933年東京出身、青山学院卒業、S’26年NHKよりデビュー、辰巳柳太郎の長女として生まれ毛並みの良さと天性の美貌で一躍スターとなり、新東宝映画「バラと拳銃」「青春ジャズ娘」等30数本に出演していました。


朝丘雪路

俳優、歌手、司会と活躍していますが、水谷良重(八重子)等と親の七光り歌手としてスタート当時はジャズを唄っていました。
松尾和子


フランク永井、マヒナ・スターズ等とムード歌謡で知られていますが、
スタートはクラブ歌手としてジャズも唄っていました。



AGAIN

フランク永井・松尾和子/メランコリー・It's been a long long time

高島忠夫

二枚目映画俳優として活躍しながらポップス歌手としても活躍。
「パパはマンボがお好き」「エニー・タイム」等ヒット曲も沢山あります。
宝塚の大スター寿美花代と結婚し息子二人も現在俳優として活躍していますね。
愛称はボン 現在は司会等で活躍中

パパはマンボがお好き


エニー・タイム
中村 哲 カナダ生まれの二世で戦後本物の英語でアメリカンポップスを唄い、映画でも活躍していました。
メリー大須賀

1928年東京出身、S’23年谷口安彦とプレミャスウイングの専属歌手シンガーとしてデビュー、
進駐軍時代兵士のアイドルとなり、コロンビア入社、「ドミノ」「キス」などのヒットを出す。
牧野ヨシオ

1931年東京都出身、青山学院大学在学中よろジャズ歌手を志し、渡辺弘とスターダスターズの専属歌手となりキングレコードより数々のヒット曲を出す。S44年引退
三宅光子(マーサー三宅)

1933年満州出身、S28年、日本音楽学校を卒業。
進駐軍のキャンプで評判になりゲイセプテットの専属歌手となり、
S34年独立し女性ジャズ歌手として不動の地位を築き数々のアルバムを出し現在も活躍中。
大橋巨泉の前妻
小割まさ江

1935年広島出身S29年、
大阪でデビュー、リズム$ブルースを得意とした女性シンガーとして活躍する。
星野みよ子

SOMEBODY BAD STOLE DE WEDDING BELL
1934年東京都出身、S28年デビューしコロンビアに入社、その年の新人王、S36年単身渡米しデルタ・リズム・ボーイズのカール・ジョーンズに師事。
ライオネル・ハンプトンに見出され同楽団と全米演奏旅行し名をあげる。
沢 たまき

1936年 川崎出身、S29年、山脇短大在学中素人ノド自慢に「ジャニー・ギター」を歌って優勝し
学生シンガーとして注目を浴びる。
S30年日劇にてデビュー、その後映画、演劇と幅広く活躍。
姉御肌のきっぷの良さに人気がある。
森 サカエ

与田輝雄とシック・スレモンズの専属歌手として活躍、三遊亭小円馬の妹、
ブルース向きの声の持ち主でした。
力道山がご贔屓の歌手でした。
コニー・フランシスの日本語盤でおなじみのツイスト・ナンバー「ミスター・ツイスター」等を唄っていました。
現在もジャズ歌手として活躍中です。
今年で40周年を迎えました。
ティーブ・釜苑

1915年米国出身 戦後間もなく渡辺弘とスターダスターズのギタリスト兼シンガーとして所属、
軽妙なスイング唱法は本場仕込み歌手として名をはす。
日本ジャズ学校を設立しペギー葉山等の多くの一流歌手を育てる。
かまやつヒロシの父親
フランキー堺





Carioca

Sing Sing Sing

St.Louis Blues

1929年鹿児島市出身 本名 堺正俊 芸名フランキーは洗礼名 
慶応大学在学中からドラムスに興味をしめし1947年ドラマーとしてスタート。
50年多忠修とゲイ・スターズ、51年与田輝雄とシックス・レモンズのメンバーとなり
人気ドラマーになりました。54年冗談音楽バンド「シティー・スリッカーズ」を結成
彼の独特の唱法で唄っていた「セ・シ・ボン」は最高、紅白にも出場しています。
57年の映画「幕末太陽伝」58年テレビドラマ「私は貝になりたい」等に
出演俳優として活躍。
96年、67歳で死去しました。94年紫綬褒章受賞


黒い瞳 - フランキー堺とシティ・スリッカーズ
山崎 唯 1933年東京出身 国立音大声楽科卒、渡辺 晋とシックス・ジョーンズのピアニストとしてデビュー、ナット・キング・コール物を得意としていました。トッポ・ジージョのおかしな声を演じて話題になり司会、ディスクジョッキー、作曲等でも活躍していました。女優の九里千春と結婚、若くして亡くなりました。
フランク永井


My baby's coming home


Sentimental Journey

Tenderly


Tea for Two

夜のストレンジャー


愛の讃歌〜慕情


黒い瞳

ゴッドファーザー
グループ
ダークダックス



26年12月24日、慶応義塾大学ワグネル・ソサイエティ男声合唱団に在籍していた第2テノールの佐々木行(マンガ)とバリトンの喜早哲(ゲタ)バスの遠山一(ゾウ)がワグネル恒例のクリスマスパーティーでホワイトクリスマスを合唱。
翌年、第1テノールの高見澤宏(パク)が加わり男性四重合唱団“ダークダックス”を結成。
当時のレパートリーはアメリカのジャズやポピュラー、シャンソン等が中心
昭和31年「慕情」をテイチクにて初吹き込み
昭和33年初の紅白出演「ともしび」を歌う
芸術奨励賞、日本レコード大賞編曲賞、芸術祭優秀賞、日本レコード大賞特別賞、芸術選奨文部大臣賞他数々の賞を受賞
平成5年グループとして日本発の紫綬勲章を受賞
デュークエイセス





ドライボーンズ

ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET 


ローハイド 

1955年8月結成  黒人霊歌を得意のレパートリーとして注目を浴びる。
1962年 ジャズ誌「スイングジャーナル」の年間人気投票でボーカルグループ部門第一位獲得。
以降15年間連続首位。

スタート時のメンバーが病死等で入れ替えがありましたが、リーダーの谷 道夫、吉田一彦、槙野義孝のスタート時のメンバーに飯野智彦を加えて、現在も新メンバーで活躍しています。
2000年 結成45周年を迎え、全国各地で記念リサイタルを開催。
第41回日本レコード大賞をはじめ多数の賞を受賞
「ジュゲムの嘆き」等コミカルな歌や「ドライ・ボーン」「女ひとり」等素晴らしいハーモニーを聴かせてくれます。
伊藤素道とリリオ・リズム
エアーズ



日本テレビ「光子の窓」等で大活躍
「♪ローハイド」のコーラスでスリッパを叩きながら歌っていたシーンが思い出されます。


ローハイド

ボニー・ジャックス



雪の降る街を2010

早稲田大学グリークラブOB 
メンバーは一度も変わらず,結成42年
西脇久夫(トップテナー)
大町正人(セカンドテナー)
鹿島武臣(バリトン)
玉田元康(バス)

現在もダーク・ダックス、デューク・エイセス等と日本を代表するグループ
ザ・ピーナッツ




「懐かしのS盤アワー」

1950年〜1955年放送されたS盤アワーで
紹介されたポップスを年代別紹介しています。


1955年(昭和30年)には洋画・ポップスの全盛時代となり
ラジオ番組にもファン投票による「ヒット・チャート」番組
「ユア・ヒット・パレード」の放送が始まりました。
ヒット曲の数々を年代別に紹介しています。

Hiroshi’s Jazz Club

japan/jazz/pops/index
戦後の日本のジャズ・コン全盛期に活躍したミュージシャンを
ジャンル別に紹介しています。
ジャズ喫茶・日劇ウエスタンカーニバル等で出会った人達です

映画音楽、ラテン、シャンソン、
ジャズ、カントリー&ウエスタン等の
ポピュラー・ミュージックをお楽しみください



明治時代から大正・昭和・平成の歌謡曲を
年代別にご紹介します。






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