2008.12.18.




金山町は、旧所沢市街地の西端に位置する。東は鎌倉街道を境に元町に接し、
西は行政道路を境として西所沢一丁目に、北は東川を境に宮本町一丁目に南は「学校新道」の北側の道を境として
星の宮一丁目に接ししています。
東西は、東川沿い側で約300メートル、学校新道側で約280メートル、南北は鎌倉街道側で約360メートル、
行政道路沿いで約290メートルのやや南北に長い町内です。

天文15年(1546)世に云う河越野戦の折り、上杉勢として戦い、
敗れて野老沢に移り住んだ斎藤四郎左ェ門利長、斎藤主計祐信弘(サイトウ・カズノスケ・ノブヒロ)が、奈良多武峯の談山神社から、金山権現を勧請、一族の繁栄と地区の平安を祈願しました。

当時は金山権現と称えましたが、明治の神仏分離令により金山神社と改められました。金山の地名もこれに依ります。

江戸末〜明治時代の所沢織物全盛期には織物関連の店蔵が建ち並び三八の市で織物の取引が盛んに行われいました。
当時の金山商店街は道幅は狭く、昭和初期の不況時の救済事業として道が拡張され、南側が後退して道が現在の形状になりました。



昭和8年頃、昭和大不況に救済事業として道路拡張工事が行われました。
写真は元町から金山町商店街の展望ですが
拡張前で金山町地域の道幅が狭く家が飛び出しています。




拡張工事後の金山町通りを望む

 三つ井戸  金山神社 田口駄菓子屋
金山商店街の移り変わり
明治35年 金山商店街 大正12年頃の商店街 昭和20年 商店街
 昭和31年 商店街  昭和61年商店街



2002撮影
昭和40年代まで残っていた織物関連の店蔵群です。
左から織物買継商:斎藤半兵衛商店、織物買継商:正芳商店、糸商:伊勢富商店
大正時代の商店街
左写真と同位置
お仏壇の看板の所が織物買継商:斎藤半兵衛商店、
ナカムラの看板の蔵の屋根が糸商:伊勢富商店
昭和30年代 現在は武蔵野銀行になっています。 佐藤風呂店:昭和20年代
左写真と同位置で撮影
昭和30年代の金山町商栄会商店街
左奥には織物協同組合会館が見えます。
2006.11月:正面にはフォーラスタワーの高層ビルが
道をふさぐ様に建っています。
昭和30年代の商店街のネオン
現在はシャッター街と寂れていますがこの頃は・・・
実蔵院横の代々子供達に親しまれてきた唯一の駄菓子屋:田口さん
2007年3月に閉店してしまいました。
斎源商店の店蔵 斎源商店の裏の蔵
鎌倉街道入り口にある小林家の蔵 滝沢歯科のオーナメントがついた西洋風建物




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