所沢飛行場物語
開設 2006.05.01

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 2011.3.14



※「臨時軍用気球研究会」の発足

明治36年(1903)米国のライト兄弟の「ライトフライヤー号」による初のエンジン付き飛行機の成功が伝えられ世界の軍隊に大きな影響をあたえていました。日本においても将来の空中戦を予測して、陸海軍の軍人ならびに民間研究者の適任者を集め、陸海軍が共同して研究組織となる「臨時軍用気球研究会」を結成し飛行機の研究を始めことにしました。

明治時代に日本の陸軍、海軍が初めて研究した航空機は空気より軽い気体の上昇力を利用した軽気球でした。

明治37年(1903)2月日露戦争が開戦されると陸軍は山田猪三郎に気球二個の制作を依頼して、河野長敏大尉を指揮官とする臨時気球分隊を組織しました。旅順包囲作戦に参加し、気球は野砲の計測や敵陣の偵察としてよそい以上の活躍をしました。明治政府及び陸軍は、この気球隊の活躍をみて、気球の軍事利用を本格的に考えました。明治38年(1904)10月に気球班を東京府下中野の電信教導大隊内に編制、班長に野村工兵大尉が任命され訓練が開始されました。

明治42年(1909)7月31日、明治天皇は勅令第207号(7月30日付)で「臨時軍用気球研究会官制」が発令され、日本における最初の公的な航空機研究機関である「臨時軍用気球研究会」が設立されました。陸海軍の共同に加えて天皇による勅令という制定方法から、明治政府や軍が、いかに飛行機に力を注いだかがうかがえられます。

明治43年4月11日、陸軍歩兵大尉日野熊蔵と同工兵徳川好敏大尉が「飛行操縦法の修得」「飛行機購入」のためヨーロッパに派遣されました。

※日本初の飛行場誕生

「臨時軍用気球研究会」では飛行機を飛ばす本格的飛行場が必要になり、適地を求めて各地を調査し、東京大学の物理学者であり同時に「臨時軍用気球研究会」の委員であった田中館愛橘が明治43年(1910)の夏にヨーロッパの飛行場事情を視察し、検討の結果所沢町〜松井村が選出されました。

所沢選定の理由として、@首都に近い、A交通が発達している。B落雷や高圧線が少ない。C起伏が少なく平らな地形で飛行するのに適していることをあげています。気球隊長徳永熊雄工兵少佐は、所沢を「気球の飛行実験の危険は皆無」と強く推薦しています。

土地買収にあたり土地価格の高騰を恐れて、平服の調査員が所沢駅付近で借りた自転車に乗って密かに事前調査をしていたそうです。

予定地内に宅地が非常に少なく、特別な買収反対運動があったとの記録は残されていませんが、
農民にとっては涙を流しながら土地を手離さねばならなかった事は官尊の時代だったからでした。


所沢町も松井村も飛行場開設により町村の発展の機会として積極的にとらえ、敷地として総面積七十四町二反六畝二十四歩(約76.3ヘクタール:23万坪強)の宅地・畑・山林・墓地を当時の金額で76,500円で売却を決めました。
当時の記録によると宅地300円、畑地100円、山林80円でした。

しかし実際には買取価格で買収が難航し、この地方最大の織物問屋で所沢銀行頭取だった向山小平治が150円を他1703円あまりを有志が寄付した贈与金でまかなうことで収拾がはかられました。

飛行場の整備は明治43年(1910)10月に着工され、旧松井村大字下新井字上カサノ上地に明治44年(1911)4月1日、幅50メートル、長さ400メートルの滑走路と格納庫、気象観測所を備えた日本初の飛行場として陸軍所沢飛行場が(正式には臨時軍用気球研究会所沢試験場)開設されました。

工事に要した金額は土地76.500円、整地等約30.000円、建物(機関庫含む)82,700円でした。


正門は扉のない2本の木材角柱、右側に「臨時軍用気球研究会所沢飛行場」と大書した票札が掲げられました。

同年4月5日午前5時37分、フランス製複葉機アンリ・ファルマンを操縦する徳川好敏大尉は、この所沢飛行場で高さ10メートル、距離800メートルを1分20秒で飛行、初飛行に成功しました。

※滑走路

滑走路用には飛行場南台地に東西に50メートル、長さ400メートルにわたって整地されました。

元来、乾質軽土壌で桑畑と芋畑であった土地は徹底的な地固めが必要で、滑走路には川砂利を敷いたり、埃がたたないようにクローバーを植えたりと建設作業は悪戦苦闘の日々でした。


※飛行機格納庫

起工は明治43年10月1日、竣工同年43年12月24日

9間半に20間半の木造平屋建て 建築費14,000円

アンリ・ファルマン式、ブレリオ式、ライト式、グラーデ式飛行機4機を収納する格納庫が完成しました。

※気象観測所


気象観測用の6間に12間半の三階建建物が滑走路南西の一角に建設されました.

起工は明治43年12月14 日、竣工明治44年3月30日

建築費11.500円 屋上には風速、風向きの観測に必要な器具類

二階は研究室及び器械の置き場に、一階は事務室、会議室、宿直室に充てられました。
技師2名を置き毎日測定記録をする。

日本の航空気象観測はこの建物に源を発するとされています。

大正元年11月陸軍特別大演習が所沢及び川越付近において実施された時に
大正天皇が所沢飛行場に行幸され気象観測所屋上から演習を統監されました。

この観測所も飛行場の敷地が拡張された大正6年12月には飛行場の中央に移されました。

※臨時軍用気球研究会所沢機関庫

起工は明治44年1月14 日、竣工予定 明治44年9月13日 

23間半に15間の建物 別に6間と7 間との付属建物 建築費56,500円の予定

※軽油庫

起工は明治44年3月3 日、竣工予定 明治44年3月30日

13尺に12尺の建物 建築費 700円


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