所沢町場と飛行場
開設 2011.03.18

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 2011.4.19..



所沢飛行場開設当時は羽田、立川らの飛行場がまだ開設されていなかった時代だったので、
外国から飛んできた飛行機は全て所沢飛行場に降りていまた。

フランス、ロシア、デンマーク、チェコ、ポーランドらの外国からの飛行機が飛来するたびに、県知事、町長、所沢小学校の生徒が花束を持って歓迎、
町では軒先に国旗を掲揚し、歓迎会を開催して、当時の国際親善の役割もはたしていたのです。

 

大正13年6月9日 フランス機初訪日、
使用機:ブレーゲ19型
パリ=上海(着陸後大破)上海=大阪=所沢
午前11時50分着陸。
操縦ベルチェ・ド・アジイ大尉、機関士ベルナール・ベザン軍曹   







所沢陸軍飛行学校の乙式1型偵察機3機、歓迎飛行、

所沢町では軒先に日仏国旗を掲げ、町長・元田崎埼玉県知事代理、飛行学校上原校長、宮崎副官、逓信省の秦野航空局次長、児玉第二課長、阿部大尉、クローデルフランス大使夫妻、各大使館員、その他官民有志多数が出迎えました。更に一隅には在郷軍人団、青年団、及び手に手に日仏国旗を持った所沢尋常小学校ほか尋常科3年生以上3,000名が飛行場で出迎えました。(国民新聞6月10日付より)


フランス機初来日
大正14年9月2日 ロシア機初来日
シベリアを経由してロシアから初来日機R2リバーチが所沢飛行場に到着。
当時の新聞から
万里の空越えて露機所澤に安著(着)
きのう夕方四時四十四分歓呼に迎えられて

露国の訪日飛行機R2リバーチ四百馬力(標識RRMPB)グローモフ氏、操縦機関士ロゼウィッチ氏同乗の一機は二日午前八時三十三分広島練兵場出発、同九時参拾弐分、岡山に着陸、燃料補給の上、午後零時四十五分岡山出発、同一時五十三分大阪上空を通過、同四時四十四分所澤飛行場に安着した。
所沢飛行場では正門に日露の大国旗を交叉し、所沢の町は各戸に国旗を掲げて歓迎の意を表し、各小学校の男女小学生は両国の小旗を手に正午ころから飛行場に詰めかけていた。都下各新聞社・通信社の歓迎花自動車隊をはじめ露国大使をはじめ大使館員総出で赤い花束を持ち、斎藤埼玉県知事、波多野航空局長・児玉課長・安満航空部長・長岡将軍や町長・町の有志など多数出迎える。
その後将校集会場で勝栗・こんぶ・するめで祝杯を挙げ、波多野航空局長・児玉課長・安満航空部長、斎藤埼玉県知事、長岡外史氏・奥田所沢町長・新聞・通信社を代表して国民新聞本社の堀田善太郎氏から成功の祝辞を述べ、コップ露国大使の挨拶と飛行士のグローモフ氏の簡単な答辞があった。席上埼玉県と所沢町から両勇士に記年の花瓶を贈った。祝宴後、新聞通信社の花自動車に両勇士は搭乗して。午後六時所澤を出発。行列美しく沿道の歓呼を浴びながら華やかに入京、午後八時帝国ホテルに入り。両勇士は三百五十七号室に長途の疲れを休めた。
(国民新聞 大正十四年九月三日付)

グロモフ、ロゼウィッチ両飛行士
機上から降り立った両勇士を取り囲んで先ず露国大使は嬉しい握手を交わし、八方から花束と成功の賛辞に一寸面食らひの形であった。(国民新聞から) 露国の訪日飛行機R2リバーチ四百馬力(標識RRMPB)
大正15年6月1日 デンマーク機初来日

デンマーク機 所澤に安着す
今午前十一時七分 五千里を七十五日目に
晴れやかな珍客の顔!

デンマークから日本へ
デンマークのボッド大尉操縦。オルゼン軍曹同乗のホッカーR一号ローレン四百馬力の訪日機は、本年に入って海外から飛来のさきがけとして。最後のコースである所澤へと、一日午前八時三十六分大阪城東練兵場を離陸、所澤飛行学校から出迎えの城寺・下山・川島三中尉の乙式一型偵察機に箱根まで空の出迎えを受け、午前十一時七分無事所澤飛行場に到着した。ここにデンマークの首都コペンハーゲンを出発、鵬程約二万キロ(五千里)を翔破して、七十七日目に、所澤に無事に着いたのである。(所澤にて楓井特派員電話)

握手と花の雨に 喜びの鳥人 
成功の祝杯をあげて 直ちに都入り

遠来の空の勇士を迎えるべく、一日朝来所澤飛行場では丁・日両国の国旗を閣下げ歓迎機分に満ちてゐた。飛行場には丁抹(デンマーク)代理公使や館員を始め、安満航空本部長・長岡外史将軍やその他航空関係や所澤の小学生等は丁抹の小旗を持って、この空からの珍客を今か今かと待ちこがれてゐた。
恰度十一時三分機影は肉眼点に現るや、万雷の歓呼は空にも響かんばかり、斯てデンマーク機は歓呼をあびて着陸 振り鮮やかに同七分安着したのであった。この壮挙に成功した晴れの勇士が機上から下りるや、先ずウエーラーム代理公使と握手が交わされてから、帝国飛行協会からは岸本陸軍少将令嬢文子(九歳)さんの小さな手から花束が贈られた。続いて所澤小学生を代表して肥田野千鶴・小澤きみ子の両人からも花たばを、暫くは入方手から握手と花たばで両勇士は攻められ満面喜色をうかべ、感謝をする。かくて両珍客を将校集会所に案内して、そこで堀航空課長。安満航空本部長・埼玉県知事代理・長岡外史将軍・所澤町長から歓迎の祝辞と記念品を受け、ボ大尉はこれに謝辞を述べ、例の如くかち栗・するめで冷酒をくんで成功の祝はいを挙げた、それより両勇士を自動車に乗せて
帝都に向かった。(国民新聞大正十五年六月二日付)






所沢から生まれた歌人「三ヶ島葭子」もデンマーク機が飛来した時に
歌を詠んでいます。

デンマーク飛行機歓迎の写真のれり
旗振る子らに吾子交るなり


大正15年9月5日 ポーランド機初来日

ポーランドのオルリンスキー中尉。クビヤック曹長の乗ったブレーゲ19は所沢飛行場に到着した。
両人はエンゼビッチ・ポーランド代理公使及び所沢の小学生などの歓迎を受けた。



昭和2年9月4日 チェコ機初来日


チェコのスカラ中佐、タウフェル機関士の乗ったモスリックS16は所沢飛行場にt峰着した。ブラハを出たのはロシア機より12日も早かったが、故障続きのため遅れての到着となった。
所沢飛行場物語 日本の航空発祥地 所沢 日本初の航空機事故犠牲者
民間飛行発祥の地 所澤 飛行船「イ号飛行船」 バルセヴァル飛行船
陸軍特別大演習 気球隊 雄飛号飛行船
陸軍航空学校・所沢陸軍飛行学校 陸軍航空技術学校 陸軍少年飛行兵 陸軍士官学校分校
陸軍航空整備学校 所沢陸軍航空整備学校
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航空大隊の編成と変遷 飛行場の拡張 遠距離屋外飛行
初の実戦参加 青島攻略 国際親善の町 
所沢
東京第一衛戍(えいじゅ)病院所沢分院と
憲兵分遺所
所沢飛行場歴史年表
明治時代
所沢飛行場歴史年表
大正時代
所沢飛行場歴史年表
昭和時代
フォール大佐と
フランス航空教育団
所沢航空参考館:南倉庫 所沢飛行場開設時の飛行訓練の様子を
載せた新聞記事

終戦前後の所沢飛行場 シベリアへ出兵 飛行機による東京初訪問
所沢飛行場関連の散策マップ  所沢飛行場の変遷図 所沢飛行場と文芸 
三ヶ島葭子 与謝野晶子 田山花袋 
斎藤茂吉
中西吾堂
所沢航空参考館(南倉庫) 終戦時の所沢飛行場 
 所沢飛行場拡張区域図  飛行機命名法 YS11がやってきた
航空発祥の地の由来と歴史   所沢飛行場の飛行機達
所沢陸軍飛行学校々歌♪歌が聴けます。 所沢飛行場開設時から大正期までの飛行機種
砂川堀と掩体壕  所沢飛行場関連の散策マップ
 所沢飛行場の変遷図  所沢飛行場拡張区域図 


博史の昭和青春グラフィティー

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