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所沢飛行場物語
開設 2006.05.01 |
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2011.3.17.

航空大隊の編成と変遷

*航空大隊・航空第一大隊
大正4年12月10日、臨時軍用気球研究会は解散し、気球隊を廃止し、航空大隊を編成しました。
隊長に青島攻撃の指揮官だった有川鷹一工兵大佐が着任、組織は本部・第1中隊(飛行)第3中隊(気球)・材料廠。総員375名、乗馬8頭。
大正6年12月1日、航空大隊は機構を改革し航空第一大隊と改称しました。
大隊長;長鳴滝紫麿工兵中佐
航空第一大隊の教育及び訓練は次の通りでした。
@一般教育・・・・・飛行機の操縦及び訓練
A特別訓練・・・・・航空機及びエンジン工学、自動車工学と運転、通信、溶接、気象観測、航空写真
B航空機の操縦・・・選抜将校及び下士官は実地訓練一般下士官は航空機の整備についての訓練
航空第一大隊は大正8年12月、第3中隊(気球)を分離して、第2飛行中隊制と変わり、
大正9年5月5日、航空第一大隊は既に航空第二大隊が駐在している各務原に所沢から移転しました。
大正11年8月飛行第1大隊と改称、15年10月には飛行第1連隊に昇格して、第1大隊(偵察2個中隊)・第2大隊(戦闘2個中隊)を編成しました。昭和13年、両大隊はそれぞれ飛行第1戦隊、同第59戦隊と改編、満州、中国、太平洋の各戦域で活躍しました。
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部 隊 名 |
所 在 地 |
備 考 |
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航空大隊 |
埼玉県所沢 |
大正4年に創隊し、すべての機種を装備。 大正6年に航空第1大隊と改称し、大正9年に各務原に移駐。 |
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航空第1大隊 航空第2大隊 航空第3大隊 航空第4大隊 航空第5大隊 航空第6大隊 |
岐阜県各務原 岐阜県各務原 滋賀県八日市 福岡県大刀洗 東京・立川 朝鮮・平壌 |
大正9年に所沢から移駐。偵察機。 大正6年に創隊。戦闘機。 大正9年に創隊。偵察機。 大正7年に創隊。偵察機、戦闘機。 大正10年に創隊。軽爆撃機。 大正9年に創隊。重爆撃機。 |
注: 航空大隊は、大正11年に、気球隊の分離・独立に伴い飛行大隊と改称。
村川
淳一作: 日本陸軍航空史より
これらの大隊は、太平洋戦争の終戦まで、この6個の航空大隊はそれぞれの分野で日本陸軍航空のメッカとなりました。
大隊は、技術研究と補充教育を併せて行っていました。
*航空第二大隊
航空第二大隊も同じく大正6年12月1日新設され、衛戍地各務原と定められましたが、当初は第1中隊定員の3分の2が編成されたに過ぎず、編瀬担当部隊である所沢の航空第1大隊兵営に収容されていました。翌年、7年11月航空第2大隊は岐阜県稲葉郡鵜沼村の新兵舎に移駐、12月1日、本部、第1中隊残り及び第2中隊(3分の1)の編成が終わり、初代隊長杉山元歩兵中佐を迎え、材料廠もでき、翌8年12月1日大隊の編成が完結しています。飛行大隊、飛行連隊への改称は航空第1大隊と同期に行われました。航空第2大隊の分科は偵察であり、後年、飛行第2戦隊(92式偵察機・97式司令部偵察機・98式直協偵察機・100式司令部偵察機を使用)を経て、太平洋戦争直後、第12独立飛行隊(100式司偵)となりました。尚、この間大正10年12月、航空第2大隊の一部を基幹として立川(北多摩郡立川村原市場)に航空第5大隊が編成された。後の飛行第5連隊です。
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