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所沢飛行場物語
開設 2006.05.01 |
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*陸軍航空学校・所沢陸軍飛行学校



歌が聴けます
大正8年年4月に陸軍は陸軍航空隊の近代化計画に伴い将校及び下士官の教育を目的として、軍令第8号により陸軍航空学校を所沢に創設し、従来臨時軍用気球研究会の行っていた航空に関する研究、試験、学生教育を引き継ぎました。
初代隊長には有川鷹一少佐が就任。
大正10年4月に設置した航空学校分校が下志津、及び明野陸軍飛行学校として独立していますが、陸軍航空の総本山的存在でした。
大正13年5月17日に軍令陸第6号陸軍飛行学校令の制定に伴い陸軍航空学校が廃止され、所沢陸軍飛行学校に改編されました。
古谷 清陸軍少将が校長に就任、下志津、及び明野の二分校は独立して下志津、明野陸軍飛行学校となりました。
本校では基本操縦と機関工科を教育し、下志津では偵察、偵察操縦、電気、通信、写真、明野では空中射撃。戦闘、火器を教育しました。
昭和8年4月26日、所沢陸軍飛行学校令が改正されて少年航空兵教育を加えることになり、昭和9年2月1日、少年航空兵1期生操縦70名、技術100名が入校し、少年航空教育が開始されました。次いで昭和10年2月1日には第2期生操縦100名、技術160名が入校しました。
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使用航空機 |
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練習機 |
モ式6号 |
ニューポール80型 |
中島5型 |
戊式1型 |
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スパッド5型 |
アプロ504型 |
甲式1型 |
甲式2型 |
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乙式1型 |
ニューポール33型 |
モランソルニエA1型 |
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偵察機 |
乙式1型 |
ソッピース1型 |
ソッピース2型 |
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スパッド11型 |
ユンカースJF−6型 |
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戦闘機 |
甲式3型 |
ソッピース3型 |
丙式1型 |
丙式2型 |
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甲式4型 |
校式2型 |
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爆撃機 |
丁式1型 |
丁式2型 |
ブレゲー14型 |
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気球 |
信号気球 |
43式 |
R型 |
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この頃の盛んな飛行訓練研究の成果は殆どが所沢陸軍飛行学校が占めています。

大正13年度航空最大記録
無着陸飛行時間:9時間30分 小川小二郎工兵中尉・斎藤国三郎曹長(共に所沢校)丁式2型爆撃により所沢=広島間 11月11日。
最大飛行距離:3,108Km 所沢=京城間往復。所沢校丁式2型爆撃機 12月5日
最高高度:6,500m 中田茂曹長(所沢支部検査官)、甲式4型戦闘機による 11月13日
6,450m 小沢直次歩兵中尉・国枝実1等操縦士(共に所沢校)丙式2型戦闘機。9月25日
年度飛行時間:223時間23分 今田保曹長(所沢校)
年度飛行回数:1,711 回 今田保曹長(所沢校)
昭和2年3月17日、所沢陸軍飛行学校教官:立山武雄航空中尉が落下傘降下(高度400m)を行っています。
その他非常に多くの研究・演習を実施した所沢陸軍飛行学校の陸軍航空への貢献度は高く、特に昭和初期における加藤敏夫・藤田雄蔵・斎藤庄吉各航空隊大尉ほかによる長時間飛行記録、長距離飛行法、空中給油実験や対ソ作戦時、航空部隊の満州集中に備えての朝鮮東部気象調査飛行は有名です。
| 飛行機新道の開設 | 将校住宅と下宿屋 | 浦町(有楽町)界隈の賑わい |
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博史の昭和青春グラフィティー
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