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日本初の航空犠牲者
開設 2006.05.03 |
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所沢飛行場物語
開設 2006.05.01 |
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2011.3.16.



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大正二年(1913)三月二十八日に日本に飛行機が導入されて以来初めての死亡事故が起こりました。
所沢飛行場が出来て以来、小さな飛行事故は何度も起こっていましたが、飛行機墜落死亡事故はありませんでした。
初めての事故死者は木村鈴四郎陸軍歩兵中尉と徳田金一陸軍歩兵中尉でした。
この日陸軍省は貴族院議員と衆議院議員を対象に飛行機、飛行船の観覧会を青山練兵場で開催しました。
午前九時半ごろブレリオ式機に木村中尉と坂本少尉、徳川式第三号機に徳田中尉と武田少尉、二号機には岡中尉が搭乗し、更にバルセヴァル飛行船と共に所沢飛行場を出発し青山練兵場へ向かいました。この日は飛行船・飛行機が相次いで事故を起こした日になってしまいました。
午前10時15分所沢飛行場から松田大尉ほか二人が搭乗して飛び立ったバルセヴァル飛行船が11時頃青山練兵場上空に到着し、まさに着陸しようとした時に風に流され、着陸用ケーブルが市街電車の送電線にあたり、高圧線を切断、吊舟が電柱に衝突,鋼製プロペラ・ラジェーターを破損し葬場付近に墜落してしまいました。
幸い搭乗員に怪我はありませんでした。木村・徳田両中尉の事故は、この観覧飛行からの帰りに起こりました。
![]() 青山練兵所から所沢へ帰還する両中尉同乗の ブレリオ機 |
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両飛行士が乗ったブレリオ式単葉機は11時36分青山練兵場を出発し、正午過ぎ松井村字牛沼北方の松井村下新井柿木台上空でエンジン不調と突然の突風を受けて左翼が上方に向かって折れて飛んでしまい、機体は300メートル上空から機首を地上に向けて垂直に落下し、共に即死でした。
日本初の航空犠牲者に対して国民すべてが深くその死をを悲しみ、集まった香典は当時のお金で4万円にもおよびました。両中尉には正七位勲六等の勲章が贈られ、更に天皇からも祭祀金50円が贈られました。
お葬式には小学生も参列し、歌も出来ました。
(一)
花咲き乱るる入間の春の野 お空かけゆくあのブレリオの
さまよい巡るも涙のたね 背にまたがれる男の子ふたり
(二)
朝日に輝く松井のみ空を あなやと見るまに翼破れて
仰ぎ見る目も今は涙 落ちくるふたりは 玉にも似たりなん

両中尉の所沢飛行場での葬儀は31日午前11時20分から曹洞宗薬王寺住職林方隆師が棺前読経をし、12時に飛行場を出棺、会葬者は飛行場から飛行機新道、日吉町を通り所沢駅に行き、停車場踏切南方まで見送りました。その後、棺は馬車で落合の火葬場まで行き荼毘に付し、4月1日九段偕行社で納骨、4日青山斎場で神葬式葬儀を行いました。所沢での会葬には一般会葬者が400〜500人に及び、各戸には弔旗を立て、弔意を表しました。

歌人:与謝野晶子が日本初の航空殉職者:木村・徳田両中尉の殉職を弔う15首を書いています。
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大空を路とせし君いちはやく破滅を踏みぬかなしきかなや |
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うら若き二羽の隼血に染みて啼く音絶えたる二羽の隼 |
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この二人新しき世の死の道を教ふることす誰か及ばん |
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あなと云ふ一瞬に来ぬ虚無の虚無奈落の奈落しらぬわざはひ |
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久方の青き空よりわがむくろ埴に投ぐるも大君のため |
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めでたかる春の光にこの君等何物よりもいたましく死ぬ |
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地に聞けばいと恐ろしきことながらかの天近く笑みてかみさる |
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現身のくだけて散るを飛行機のはがねの骨とひとしく語る |
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若き子が鳥の死ぬごと地に落ちぬかたじけなさよ涙ながるる |
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吾妹子と春の朝に立ちわかれ空の真昼の十二時に死ぬ |
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新しき世の犠牲かなし御空行き危きを行きむなしくなりぬ |
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誰か世に犠牲とはならぬ斯く知れどいたましきかな先立てる君 |
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虚無に裂け奈落に砕くあはれあはれ唯うす白き塵ひぢのごと |
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もの云ひのさがなき人も知ることのいみじき人も君達に泣く |
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青空を名残のものと大らかに親も見たまへ妻も見たまへ |
![]() 記念塔の除幕式 |
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大正三年三月二十八日、木村・徳田両中尉殉職一周忌にやまと新聞社主催の下、墜落地で両中尉銅像記念塔の除幕式が行われました。殉職した両中尉の英霊を慰めるために、所沢町、松井村の在郷軍人会や青年会の協力により建築されたものです。
松井村では記念塔建設にあたり、毎日二人が荷馬車で四斗樽に水を入れ建築地に運び。弁当代として30銭を支給、借用した荷車には一日五銭を借料として支払っています。
その後大正時代だけで全国に45件、60人が死亡、所沢飛行場関係では墜落17件あり、19名の尊い生命が失われています。
木村・徳田両中尉のエピソード
※バンカラ飛行家の妙技※
畳の裏返し
「雲の上から見た明治 ニッポン飛行機秘録 横田順弥著」から紹介します。
この両中尉は日本SFの祖といわれるSF,冒険小説作家・押川春浪を中心としたバンカラ社交団体「天狗倶楽部」のメンバーでもあり。さまざまなドタバタを演じては仲間を笑わす人気者だった。ある年の「天狗倶楽部」懇親会は、上野の「丸万」という料理屋で開かれたが、メンバー一同、食事をしながら座り相撲をやるなど、いつもながらの大騒ぎ。すると店から苦情がでた。「よしそれなら相撲が取れなければ文句あるまい」と立ち上がるや、掛け声もろとも、畳の裏返しを始めた。いや、その早いこと。見る間に十数を裏返しにし、歓声をあげて引きあげたとは両中尉のひとつ話だ。
尚両中尉死亡の墜落死の一ヶ月前、政府は「軍用機及び気球搭乗者護令」を発布し、飛行家の負傷や死亡に対し、見舞金の支給規則ができたばかりで、その最初の受給者になってしまいました。
| 飛行機新道の開設 | 将校住宅と下宿屋 | 浦町(有楽町)界隈の賑わい |
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| 天皇行幸と所沢の町 | 戦時中の所沢の町 | 町中の飛行機事故 |
| 所沢飛行場駅 | 所沢飛行場前駅 | |
博史の昭和青春グラフィティー
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