2008.4.11



浦町:有楽町にある薬王寺に伝わる新田義宗の民話をお聞き下さい。



 

江戸名所絵図より

新田義貞の子義宗は、元弘の乱の後、度々足利氏と戦いましたが、いつの戦いでも味方の不利となり、頼みにする将士も、つぎつぎ討ち死にして、足利氏の勢が加わるのに引き替え、味方はだんだん少なくなってきました。
そこで再起の時を待つよりほか仕方ないと考え、家来たちに言い含めて軍勢を群馬県に引き返らせ、家来に「義宗は北国に落ちていった」と言いふらせ、自分はひそかに所沢に隠れ住みました。

ところがその後、足利氏の勢いは更に強くなり、南北両朝も統一され、戦乱もおさまったと聞き、義宗は「こうなっては長い間の自分の念願をかなえることはできない」と考え、髪を落とし衣を着て、出家してしまいました。
今までの隠れ家をお堂に改めて一体の薬師如来を彫刻し、その仏像の腹の中に自分の守り本尊をまつりこみました。
そして義宗は「自分はてがらをたてることができずに亡くなっても、後世になって一族子孫の中から、自分の念願を果たしてくれる人が出るように」と祈ると共に戦死した一族や部下の菩提を弔いながら毎日を送っていました。
そして遂に応永20年(1413年)この地で亡くなりました。

するとその後、武蔵野の中に鼠が数かぎりなく出て暴れ、農家で蓄えていた穀物や種もみなどを食い荒らしたり、また田畑に栽培してあるものまで、何でもかんでも食い荒らされ、手のつけようがありません。

そのうちに誰言うこともなく「これはきっと、志を果たすことが出来ずに戦死した新田氏の一族や家臣たちの怨霊(おんりょう)にちがいない」と伝え広められ、人々の恐れようは、非常なものでした。
そこでいろいろと考えた末「薬王寺の御本尊である薬師如来は、新田家の大将義宗公の守り本尊
だからこれにお願いすれば、何とか難を逃れることが出来るだろう」と言うことになり、お祈りをしました。

すると不思議なことにお祈りをしたその人達の家は、少しも鼠の被害を受けないようになりました。
この話がぱっと広まり、人々はこの薬師如来を「鼠薬師」と呼んで、各地から沢山の参拝人が来て大変賑わったということです。
そしてお参りをした人たちは皆、鼠の被害を免れ、安心して生業に励むことができたということです。

お話:故峯岸正雄さん  参考資料:所沢文化財と風土・所沢の伝説 内野 弘

所沢の民話



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