2011.4.28.


逃げ水と毘沙門天

逃げ水. 逃げ水. 逃げ水(にげみず、英: inferior mirage)とは、風がなく晴れた暑い日に、アスファルトの道路などで、遠くに水があるように見える現象のこと。
近づいてもその場所に水はなく、さらに遠くに見える。水が逃げていくように見えることからこの名前がある。


斎藤鶴磯が刊行した「武蔵夜話」二編之一「武蔵野」に所沢の「逃げ水」について書かれています。
(にげ)(みづ)は皆人の知ところなれどもその實説をしらずして語るもの多し。むさしの野中(のじゅう)の人も(にげ)(みず)は有ても無ても農民(ひゃくしょう)のかゝはらぬ事ゆへ、せんさくするもの更になし。詩歌(しか)(れん)(はい)の心ある人はそのことをいふといへども、その土地に住居(すまゐ)せずしておもひゝの臆説をなすゆへ訛謬(あやまり)のみを説きて本據(よりどころ)なし。(やつがれ)はその地に住居せしゆへ春の末、夏のはじめにたびゝ見たる事あり、むさしの中の人見たるもの有ても心づかぬ人多し。まゝまたしれる人もある事なり。一体は原中の気にして夜中土中よりむし昇りし(も )()の一面に引わたしたるを風にて地上に吹しくゆへしぜんとしろく水のごとくみゆるなり。彼方より来る人を見れば腰より下は( も )()にてみえず、水中をわたるかと疑へば、此方をもまたかなたにて水ありとおもへるなり。近寄てさきに水ありやと問ばなしとこたふ。(あさ)(いつ)半刻(はんどき)ごろになれば陽気盛んになり、しだいゝにもや消て跡かたもなし、これを(にげ)(みず)といふ。又夕方申半(ななつはん)刻此(はん どき)よりまま見る事もあり。前にもいへるごとくいづれ原中の気と知べし。もつとも三月の末四月上旬までの(あいま)にまゝ人の見ることなれども家居多き所にかつてなきことなり。昔よりいひつたふるは多麻郡小金井村の邉より田無村のほとりまでの原にてたびゝ見たりし人有しと。今はこのほとり新田村いできてより見ることなしといふ。近(ごろ)野呂(ところ)(さわ)村の原より来り(とめ)村永井村の交の野又は(とめ)村より北大野原の邉にてをりゝ見る事なり。

          末木  東路にありといふなる逃水のにげかくれてもよをすごす哉     俊  頼



斎藤鶴磯かくぎは通称宇八郎といい、文政11年(1828)に77歳で没しているので、生まれは宝暦2年(1752)頃と思われます。
江戸から所沢に移り住んで20年余を過ごし、文化12年(1815)に『
武蔵野話むさしやわ』を刊行しました。
鶴磯
かくぎ
は書についても造詣が深く、寛政12年(1800)に坂稲荷神社(所沢市御幸町)に奉納した坂稲荷幟斎藤鶴磯書七言律詩(共に市指定文化財)が残されています。所沢在住期にも請われて揮毫したことが多かったと思われます。



斎藤鶴礒著 「武蔵野話」より



埼玉県所沢市中富にある真言宗豊山派の寺院。 山号は宝塔山。寺号は吉祥寺。 多聞院毘沙門堂(市指定文化財)

「逃水」と「毘沙門天」をお聞き下さい。 

語り 峰岸正雄


夫婦の名は藤兵衛とお安、二人は朝早くに麦畑の中の道を急いでいました。
所沢新田のお稲荷さんの森を左に見て、留め(富)の原の真ん中まできて、夫婦は思わず目をこすりました。不思議です。一体どうしたことでしょう。前の方にこうぜんとして、大きな河か沼のようなものが出現したのです。
その水はかなり広くて、深いらしく、前から来る旅人らしい者の腰から下が、水に隠れて見えません。瞳をこらすと、何やらもそもそと、裾を高くはしょっている様子です。
「お安、これは一体どうしたことだ。所沢の村はずれに河のあることは知っているが、留の原に、河や沼があるっていうのは聞いたこともない。」
「本当だよ。去年お参りした時もちょうどこの時刻だったが、こんな所に河なんかありませんでしたよ。」
「この間、与助が来た頃、そんな話は出なかったなあ。」
「でもおかしいわ、水の音も聞こえない、きっと水溜りでしょうよ。」
「水溜りといったって、きのうも、おとといも、雨なんざあ降らなかった。」
「でも、夕立は馬の背をわけるというから・・・。」
「とんでもない、足元を見なさい。ほこりが舞い上がっているよ。」
「じやあ、道を間違えたかしら?。」
「ふん、ばかな・・・。目をつぶったって歩ける道だよ。ほら見なさい。あれが与助の家の森だよ。ま、行ってみよう・・・。
今まで見たことも聞いたこともない事実に、二人は薄気味が悪そうに歩き出しました。10メートル、50メートルと進んだ時、藤兵衛は思わず目をむきました。歩くにしたがって、河や沼もどんどんさがります。歩いても歩いても距離が詰まりません。天変地異とは、このような時に使うことぱでしょう?お安は女です。がたがたと震えています。
「河が逃げる。沼が逃げる。こりゃ一体どうしたことか?」
藤兵衛は、お安の手を引っ張って、今来たほうへ、かけ戻りそうになりました。
ところが、不思議はもう一つ重なりました。前から来る人の足元が見えてきたのです。着物の裾を、高々と上げています。が、あれだけの河や沼を渡って来たにしては、少しも濡れていません。やがて、自然のいたずらに振り回された三人は、近づいて顔を見合わせました。
そして、いい合わせたように足もとを見合います。
「お早ようさん」まず藤兵衛が声をかけました。
「お早ようさんで・・・」と、返事は返されましたが、あとは声になりません。そのはずです。心の中では共に、もしや、きつね、たぬきかと、疑っているからです。
藤兵衛は、下腹にぐっと力を入れました。
「つかぬことをうかがいますが、向こうの沼は深うございますか?、それとも河でございますか?」
「とんでもない。沼や河なんて・・・。水など一滴もありませんよ。それより、あなたさんの越して来なすった河はどうなんで?」
「わしが来た河ですって?」 藤兵衛は、後を振り返って驚きました。
あります河が・・・?沼もあります。確かです。今来た道は、そのまま沼にのまれています。
なんとふしぎなことか・・・? 水のない河が流れている。水のない沼が光っている。水のない河を越してきた。どっちもまた、半信半疑です。
その時、静かな春の朝の空気をふるわせて、鐘が響いてきました。多福寺の、明け六つの鐘(六時)です。
その鐘を合図のように、太陽がまぶしく光りだしました。すると、どうでしょう。「もや」が消えます。河が消えます。沼がだんだん姿を消していきます。三人は、呆然と、立ちすくみました。あまりのことに、三人が身を震わせていると、十徳姿(じゅっとくすがた)に宗匠頭巾(そうしょうずきん)の中老の人が、にこにこと近づいてきました。
声もなく、消え行く水を見つめている三人に向って、その人はいいました。
「どうなすったね。どこかかげんでもお悪いかな?」
三人は口々に、今までの不思議なことを話しました。老人はうなずくと、笑いながらいいました。
「まこと三人さんは、毘沙門天様のご利益を受けなさった。本当によいものを見なすった。わしゃあ所沢村の倉片さんに居候している斎藤鶴磯という物書きだがな、今皆さんの見なすったのは、逃水というてな、古くから武蔵国に語り伝えられている、見ようとしても、なかなか見られないものですよ。」
「へええ・・・その逃水っていうのは、いったいなんでございます?」
「それは春の「もや」と、風のいたずらでな・・・」
鶴磯は逃水の理由を話して聞かせました。そして言葉を続けました。
「本当に、皆さんは運が良かった。逃水はいつでも、誰でも見られるものじゃないでな。わしも春になると、こうして朝早く歩いて、是非一度見たいと思っているのに、一度も見られず、もう十年も過ぎましたんじゃ。留の方のお百姓さんが、大野村にちょくちょく出るというので、今朝その近くまで行ってたのだが、やっぱり見ることができず、あきらめて引き返そうとしていたのに、ここで逃水に出っくわした。皆さんに出会って、やっと得心(とくしん)することができましたよ。これでわたしも、所沢に住んだ甲斐がありました。皆さんは本当に運の良い方じゃ、きっとよいことがありますよ。」
「運がいいなんてとんでもない。気味が悪い思いをしただけですよ。」
「そうですとも、私たち百姓には、逃水なんて結構なものとは思いません。」
「逃水だとさ、変なものに出っくわしたもんだ。さあ、お安、与助も持っている。早く行こう。とんだ道草を食ってしまった。」
「では、御免ごめんください。」
きつねにでもつままれたような気持ちで、三人は鶴磯と別れました。日はもう高く上りました


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