2011.0.22.


戦前から終戦後間もない頃の町場の自然の思い出話です。



昔の銀座通りは桜の木と柳の木が交互に植えられ自然に囲まれた商店街でした。
(左の写真:大正時代の銀座商店街)

私はファルマン交差点(通称:根岸の交差点)の商家に昭和12年に生まれました。
子供時代は北は飛行機原(ひこうきぱら)、南は南原(みなみっぱら)の窪地に広がる町場は強風が吹くと空は土埃で黄色く染まり、町の商店街の道はデコボコの砂利道で砂埃がたち、店の品を店番をしながら、しょっちゅうハタキをかけていました。
雨上がりの空には七色の虹が見え、水溜まりには、無数の赤トンボが飛来してきたり、時には水スマシやゲンゴロウの姿を見ることもありました。


初夏を迎えるころには向かいの松葉屋燃料店の軒差しや、時には店の中の土間の上にもツバメが巣を作りはじめ、幼鳥の声を聞きながら軒先で石蹴りをしたりして遊んでいました。
裏の蔵の前には大きな樫の木がありました。どこの商家の庭にも火事から守る為に大きな木が植えられていました。私の家にも父親が神明神社から採ってきて植えた茅の木が二階の屋根の上まで成長してありました。横宿にあった狭山旅館さんも沢山の樫の木が店先に並んでいました。 夕方になるとコウモリが町中を飛び回り、下駄を高く放り投げると舞い降りてくる姿を見ることができました。


★町場のオアシス:坂稲荷★





町の商店街にある唯一の神社、坂の稲荷は昔は蔵造りの神殿を囲む様に沢山の桜の木があり、桜の季節には花びらで境内は真っ白になりました。
木綿針で花びらを一枚一枚刺し、糸に通して首飾りを作って遊んでいました。
現在も春になると、ビルの陰に残された一本の桜の木が、けなげに花を咲かせ、花びらを大通りに降り注いでいます。
昔は神殿の周囲の垣根はからたちの木が植えられ、アゲハ蝶の幼虫がひっそりと葉陰で休んでいたり、飛び回っていました。
雨上がりには大きなデンデンムシ(かたつむり)が姿を現します。又、神殿の壁には袋に入った土蜘蛛が袋の巣を作っていました。



私の姉が子供の頃(昭和の初期)、旭町の市街道にある川端霊園の銀杏の木にはフクロウが巣を作り、夜になるとホーホーと鳴いていたそうです。
霊園の前の庚申様も子供の頃の遊び場でした。樹木に覆われた境内は夏になると絶好の遊び場になり、ハンモックを木にくくり付けて昼寝をしたり、サルスベリの木によじ登って遊んでいました。

庚申堂の前の道:市街道沿いは現在は住宅地になっていますが、踏切を渡ると道の両側はお茶の木が植えられ、自転車を練習するのに格好の場所でした。畑にはクヌギの木があり、サイカチ(カブトムシ)カナブン、玉虫らが甘い蜜を求めてやってくるので、昆虫採集には事欠かない場所でした。

七夕様には畑の里芋の葉から朝露を採ってきて墨を擦り短冊に願い事を書いたものです。
現在はこのような風習も無くなってしまいましたね。
七生橋の土手も春になるとタンポポが咲き、ツクシンボウ、オオバコ、ノビルも沢山採れました。 兎をはなち草を食べさせたりして遊んでいました。


夏になると雷さんが時々町の大きな木に落ちました。薬王寺の大銀杏や神明神社の大きな木も被害を受けています。
店先に縁台をだし、夕涼みをしていると何処から飛んで来たのか蛍がお尻を光らせて飛んできたりもしました。
町中を流れる東川は昔から生活用水が流れ込み汚れていました。

上新井にあった屠殺場が時々血を流していましたので、川は真っ赤に染まっていた事もありました。
現在は時々カワセミも姿を現す川になりつつあるのが救いですね。

子供の頃は公園などと言うしゃれた広場など無く、遊び場はもっぱら、あちこちに あった広っぱやお寺、神社の境内でした。

神明神社から八雲神社までの高台は町でも特別大きなグリーン地帯でした。
腰くらいまで熊笹が茂り大きな木が沢山立ち並んでいました。
神明神社の森は格好の遊び場でした。
秋になるとジンタンボ(樫のみ)を採りに神明神社へ良く行っていました。

静かな境内の社の屋根にぽ〜ん、ぽ〜んとジンタンボの実が落ちる音が響き渡っていました。

所沢小学校の校庭にも沢山の桜の木があり、入学式のシーズンには綺麗な見事な花を咲かせて新入生を迎えていました。グランドの西側にはプラタナスの大きな木が立ち並び、それに続く奉安殿らがあった場所には沢山の木が生い茂り森の様でした。
町内の野球大会が行われると大きな木によじ登り、裏の麦畑から失敬してきた麦の実をほうばっては野球観戦をしていました。
野球と言えば所沢の駅の東側に中央グランドと呼ばれる大きなグランドがあり、裏の赤松林の根本は沢山のノビロ(ノビル)が群生していました。

町場から郊外へ

    

八国山北側の現在松ヶ丘団地がある地域は昭和40年頃までは大谷たんぼと呼ばれた所沢随一の水田地帯が広がっていました。
町の子供達は春になるとヒバリの声を聞きながら南っぱらの畑道を通り、レンゲの花が咲く久米の大谷タンボや小川でザルや網を使ってメダカ、タナゴ、オタマジャクシ、ザリガニを捕りに行くのが楽しみでした。
タンボの畦を歩くと沢山の蛙が慌てて小川に飛び込む姿を見ることができました。
清い流れの小川に金色に輝くキンメダカの群を発見しては歓声をあげたものでした。
小川を堰き止めて水を抜くカイボリやタンボの中の小さな穴を掘ってはザリガニを捕ったり、蛙を捕まえてお尻の穴に藁を突き刺して空気を入れてお腹を膨らませたり、随分残酷な遊び等もしていました。桑畑が沢山あり、ドドメ(桑の実)を食べて口の周りを紫色に染めて帰り親に良く怒られたものです
現在の子供達にも自然にふれられる場所が再開発の元に失ってしまったは残念です。


吾妻小学校(現:南陵中学校)の坂を下った一本橋の下の柳瀬川にサナギの粉を入れてビン胴を仕掛けて置くと今では保護魚になっているタナゴが沢山捕れました。
当時の柳瀬川は未だ水がきれいで橋の下で泳いだりしました。
秋には柳瀬や久米の林に山栗を採りに行くのも楽しみでした。

小学校の遠足は荒畑富士でした。町の高台や南っぱら等、どこからも奥多摩から秩父連山の山々と素晴らしい日本一の富士山の姿を見ることが出来ました。夕焼けに染まる山々、
富士山の姿は高層ビルに囲まれた現在の町場では、ビルの屋上でなければ見ることが出来ないのは寂しい限りです。





このように町中でも又一歩町中から外に出ると沢山の緑や小動物、昆虫に遇うことができたのです。再開発の元に町場の緑や古い建物が失われていきます。少しでも緑が溢れる昔の所沢の町場の姿が残ることを念じてやみません。






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