2008.4.26.


 東吉は福泉藤吉とともに「所沢のとうきち」としてたいへん名の知れた存在でした。

文政9年(1826年)尾州徳川家に仕えた医者大矢春関の四男として、所沢新田(現在の所沢新町)に生まれました。
幼名を久次郎といい、左右どちらかの手の指が親指しかなかった(片手しかなかったとも伝えられる)ため、
「手コ久」と呼ばれたいました。

幼い頃から将棋に長じ、10代の頃に、福泉藤吉の墓前にぬかずいて入門を誓います。
以後ついに東吉(初めは藤吉とも)を名のるようになったと伝えられています。

その後、諸国を放浪して将棋の腕を磨き、安政6年(1859年)頃には、江戸で棋士として活躍しました。この年の将棋番付で、東吉は西関脇五段と格付けされています。
13歳で初段の免許を受け、16歳のとき、江戸滞在中の放浪の天才棋士天野宗歩と対戦し1勝も得られず、発奮して全国修行の旅に出ることになりました。
以後、越後、信州、安房、上総等を放浪し、各地の強豪達と勝負を競い、技を磨きました。
放浪の後、安政年間(1854−1860)頃江戸にまい戻りました。
安政6年(1859年)頃には、江戸で棋士として活躍しました。
この年の天野宗歩撰になる将棋番付「将棋力鑑」(国立国会図書館所蔵)に、東吉は西関脇五段と格付けされています。
慶応三年(1867)に将棋家元大橋宗与から六段の免許をうける。
慶応4年(1868)には、全国規模の「大日本将棋有名集」で西小結に格付けされ、在野の強豪として全国的に知られるようになりました。
明治4年(1871)、東吉は所沢村(所沢新田)に戻ってきました。後に所沢町日吉町に移り住んだようです。
同年11月刊行のの番付表「将棋姓名録」には6段で所沢在中とされています。
この番付け表には多くの所沢村近辺の人達の名が見られます。
*向山小平次、三上半三郎、齋藤富次郎、等所沢村や安松村の面々の名が載せられいます。
スポンサー的存在だったようです。
地元の愛棋家や旦那衆から「強豪帰る」と大いに歓迎された様子がうかがわれます。
当時の所沢での対局はファルマン交差点近くの武藏屋旅館(現:松葉屋)の隣にあった坂口屋という料亭で行われ
全国各地の将棋指しが集まってきました。

同年から5年(1872)にかけて、東吉、宗印とならんで「明治の三強」と言われた尾野(後の小野)五平(後の12世名人)に3連勝し、宗印についで将棋界ナンバー2となります。
同10年(1877)の番付「東都将棋鑑」では西の小野五平に対し東の大関7段、
同20年(1887)の番付「武総将棋手相鑑」では東大関8段とされました。
東吉は各界の有力者が集まる大きな将棋大会に主役として招かれ、次代の名人候補でした。
ところが、まさに将棋界の頂点にのぼりつめようとしていた東吉でしたが、明治20年以降は妻や子に先立たれ、さびしい余生を送ることになります。
特に彼が最も愛した三男坊の森之助が23年に23歳の若さで世を去ります。
森之助は埼玉師範に入り、明治17年(1884)に神田駿河台の成立学舎に入学し、主に英語を学んだが、在学中に中村秋香に接近し、山田美妙・巌谷小波・尾崎紅葉らと親交を持ったといいます。
明治19年に東吉に所沢新田に連れ戻され、明治20年には有楽町に所沢英和学舎を設立しています。
当時の生徒は十五・六名でしたが、そこで英語や和漢字を授業しましたが、わずか三年ほどで彼の死をもって幕を閉じています。彼はまた、小説にも能力を発揮し明治20年9月に「天保紳士」翌年21年には「明治之細君」を共に東京本郷区元富士町の盛春堂から刊行しています。
さらに森之助は「文明之母」という、女子教育をめざした雑誌の主筆となり、同誌に毎号「鉄筆将軍」のペンネームで婦女子向けの小説や評論翻訳等を精力的に発表しています。
森之助に先立たれ、あっという間に一人きりになり、相次ぐ不幸にすっかり気力を失い、生活は乱れ、精神にも変調をきたしてしまったそうです。しかし東吉は最後の力をふりしぼり明治24年5月には伊藤宗印を盟主とする「久々会」に参加し、翌年25年には当時の関東屈指の織物商:向山小平次商店の手代だった角三郎を養子にむかえています。

しかし、明治25年9月25日、享年67歳で病死しました。
東吉は所沢新町の「花園霊園」の墓で静かに眠っています。



(国立国会図書館所蔵)


参考文献

「棋士『所沢のとうきち』」霜田照夫『所沢市史研究第12号』
『所沢市史 上』 
『所澤市史研究』
『広報ところざわ縮刷版1』
 


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