2008.12.11.


元町交差点にあった所沢織物同業組合事務所:通称織物事務所として市民から呼ばれていた。


所沢織物の組合は、明治23年10月織物の製造業者、平岡甚蔵(入間郡元加治村)等が提唱して入間郡織物業組合を組織したのが始まりで、その後、組合に関連した各種の組合が明治33年の重要物産組合法の制定に基づき、明治36年12月、武蔵織物同業組合を組織しました。
初代組長は向山小平次氏
(設立当初の地区は比企、大里、入間郡にわたり、8町72ヶ村、組合員5,028人。製品は白魚子織、太織、生絹、絹綿交織、綿織物ら)
所沢市場に集散する織物のみの組合として製品の宣伝上、組合の名称を所沢織物同業組合に改称しました。
大正11年に当時の一等地、元角三上という宿屋の跡地・181坪(現元町交差点)に事務所を建設しました。1月3日に起工式が行なわれ、同年11月15日に完成という超スピード工事でした。総額60,000円、正面玄関から階段には赤い絨毯が敷かれ、二階は100余畳の大会議室、天井にはシャンデリア、屋上には避雷針が取り付けられ、外装はタイル張りの豪華なもので、当時は「白レンガの西洋館」などと呼ばれていました。

盛大な記念祝賀会が行なわれ、組合の若い衆による仮装行列も行なわれ、口々に織物振興の歌を唄いながら大通りを練り歩いたそうです。巨大な事務所には連日近在の人々が見学に訪れ、大会議室は陳列会、雄弁大会、活動写真、時局講演会等が開催され、現在の市民会館や文化会館の役割をしていました。

初代組長には平岡徳次郎氏が就任、翌12年2月には機関雑誌として組合月報を創刊、13年には上野松坂屋に第一回宣伝大売出しを挙行したり、組合員相互の研究機関として毎月9日を例会日とする九日会を創立、柄行、地風等技術面のみならず、販路拡張、取引改善らの問題に至るまで研究を開始しました。
昭和に入り織物の衰退と共に織物事務所の役割は終わり、昭和46年4月に同事務所は入間市仏子に移転しました。その後取り壊され「織物の町・所沢」の象徴的建物は姿を消しました。

その後取り壊され「織物の町・所沢」の象徴的建物は姿を消しました。 



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