所沢飛行場物語
開設 2006.05.01

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 2011.3.17.


 東京第一衛戍(えいじゅ)病院所沢分院と憲兵分遺所




所沢陸軍病院

気球隊の所沢転入に伴い、大正3年9月27日、東京第一衛戍病院(近衛師団隷下)が
松井村大字上安松1,224番地に設置されました。飛行場に関する多くの航空事故や傷病は全てこの病院が処置することでした。

病院の規模が順次拡張した昭和10年、所沢陸軍衛戍病院に昇格、
更に昭和15年には所沢陸軍病院と改称し東部軍に属しました。昭和20年2月13日、第52航空師団に統合され、
後に航空総軍に属しました。
戦時下では、傷病兵士慰問のため所沢国防婦人会をはじめ多くの団体の勤労奉仕、慰問、
あるいは中学生による剣道試合なども行われました。
終戦後も病院業務は続けられ12月1日厚生省に移管、国立所沢病院となりはじめての民間医療を開始しました。
陸軍士官学校設立後、設置されていた豊岡陸軍病院も同日に国立豊岡病院となり、
昭和48年4月1日両者合併して国立西埼玉中央病院となり所沢北野に新築移築されました。
旧跡地には現在、所沢医療センターが設置されています。


 

大正4年6月11日、陸軍省用地として飛行場正門近くの松井村大字下新井422番地内を購入し
赤坂憲兵隊所沢分遺所を開設しています。第2次大戦後、この建物は労務管理事務所となり基地労働者雇用対策にあたりました。
その後、所沢警察署の庁舎となりましたが、昭和29年に廃止され用地跡には「陸軍用地」とある境界石柱が残されています。

 

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