所沢飛行場物語
開設 2006.05.01

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 2011.3.17.






※陸軍航空整備学校 所沢陸軍航空整備学校




資料:陸軍少年飛行兵史 少飛会より

昭和13年6月30日、陸軍航空整備学校が所沢に創設されました。本部、教育隊、材料廠からなり、将校・技術62名、准士官以下194名の職員で下士官学生60名、幹部候補生100名、技術生徒(少年航空兵9980名及び予備将校以下に整備教育をしました。

本部が使用した建物は旧陸軍飛行学校本部でした。昭和18年3月27日に勅令228号により所沢陸軍航空整備学校と改称されました。アメリカ軍のB-25爆撃機による東京初空襲以来、防空の必要が叫ばれ、昭和17年8月5日、防衛総司令官と陸軍航空総監の協定は各学校の自衛防空を定め、整備学校は東部軍司令部の区域により空襲警報発令中、出動可能の戦闘機を以ってそれにあたりました。昭和18年3月航空殉職者を合祀し健立した航空神社は後に駐米軍により破壊される恐れがあり、20年9月に北野神社境内に遷座し、現存しています。

学校の軍隊化により昭和20年2月25日所沢陸軍整備学校は廃止され、教育隊は所沢(紺560)・立川(紺561)・八戸(紺562)各部隊教育隊に改編しました。立川航空教育隊は村山村(旧高射砲部隊跡)に位置し、主として短期整備教育生徒の教育を行いました。また、これに先立ち本部を改編して第3航空教育団司令部が新設され、航空総軍第52航空師団に属しました。同司令部隊隷下部隊は所沢・立川・八戸の3個航空教育隊の外に第4(紺572柏9・第6(紺574盛岡)・第12(紺578郡山9各航空教育隊がありました。司令部は旧整備学校本部を使用していました。終戦により第3航空教育団司令部(所沢小手指役場に疎開中)及び所沢航空教育隊は20年8月29日に廃止しました。

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