所沢町場と飛行場
開設 2011.03.18

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 2011.3.19.2011.8.5





明治44年4月1日、日本初の飛行場が所沢の町に開設されました。
所沢飛行場と町場との関わりをご紹介します。

    



昭和16年12月8日太平洋戦争が勃発し所沢飛行場からも数々の飛行機が戦場へと飛び立っていきました。

飛行場周辺、上安松、山口貯水池南岸らに高射砲陣地が設置されました。




愛国号飛行機献納式

昭和8年に飛行機献納運動が全国で展開され、国民の献金で多くの飛行機が献納されました。

所沢飛行場での献納式には全国から4万人ほどの見物人が訪れ駅から飛行場まで人波でうまるほどだったと当時の新聞は報じています。所沢町でも、昭和18年には所沢町民が10銭、20銭の寄付を集めて愛国所沢町民号という飛行機を献納、東条英機も献納式にこられました。

戦時中の運動会は「米英撃滅秋季大運動会」といい、陸軍病院から白衣の勇士を招待したり、小学生達も陸軍病院へ慰問に出かけたりしていました。

戦時体制が強化されていた昭和18年(1943)4月所沢町、松井村、山口村、吾妻村、小手指村、富岡村の一町五村が合併、あらたに所沢町となりました。

昭和16年には国策で小学校は「国民学校」となり、昭和19年には所沢商業学校は所沢工業学校となり、国民学校高等科まで飛行場の草刈りらの勤労奉仕にかりだされ、工業学校の生徒達は援農(出征兵士の留守家族)、所沢飛行場の誘導路・掩体(えんたい)(ごう)(飛行機を隠す壕)造り、松根油堀、松脂採取に動員されました。

飛行機を掩体(えんたい)(ごう)に移動する時に操縦席に乗せてくれる飛行士もいたそうです。

白いマフラーを首に巻き颯爽とした姿は当時の子供達の憧れの姿でした。

戦況が激しくなり所沢の町も幾度も米軍機が飛来し飛行場への攻撃がありました。

豊岡飛行場を攻撃、返して所沢飛行場を襲ったのです。

昭和18年(1943)から軍事施設を抱える所沢地域への空襲も始まり19年(1944)には敵機来襲による警報も57回発令されています。

昭和20年(1945)に入るとますます激しくなり、警戒警報335回、空襲警報72回、被害回数15回(市街地4回、村落地11回)宣伝ビラの配布1回となっています。

防空態勢として防護団が整備され、警報伝達、灯火管制、避難訓練、消火訓練などの予行練習、戦局の悪化にともない、武器生産に必要な金属資源が不足し、鍋釜までの金属類の回収が各町内の隣組で実施されました。

我の家の防空壕は店の中にあり表通りに出られる様になっていましたので、そっと頭を出して見ていると飛行機新道にあった火の見櫓すれすれに艦載機が低空飛行で飛来し、飛行場へ繰り返し機銃掃射を浴びせていました。米兵のパイロットの姿も見えるほどで、初めて私が外国人の姿を見たのもこの時です。
私の家の2階の柱を流れ弾が突き抜け壁に弾丸が突き刺さっていました。
幸いにも町中への爆撃はありませんでしたが、昭和20年(1945)7月29日に有楽町曽根の坂の近くに爆弾が落ち、民家一戸全壊、数戸損害の被害がでています。
※北秋津への空襲
昭和20年4月24日午前9時14分アメリカ軍のB29による空襲があり北秋津には二回ほど爆弾が落されています。一回目は、峰山のどんどこ坂を登りきった付近の畑と山に、焼夷弾が何発か落とされましたが、地面は柔らかったので、地中深くもぐってしまったものもあって、直接の被害はありませんでした。
二回目は北秋津小学校の南西の角の雑木林に落とされて、直径3m、深さ2mほどの穴があきました。
幸いにもこちらも人への被害はありませんでした。(北秋津ものがたり 肥沼亞男さんの思い出話より)

飛行場の周辺の人や飛行場で働いていた人が犠牲になり負傷し、日吉町の新井病院に担架やリヤカーに乗せられ運び込まれる姿が見られました。

新所沢の八丁山には高射砲部隊がありB29が飛来すると攻撃していました。

町中の道路に破片が突き刺さっていた事もありました。

B29爆撃機が秋津に撃墜されたこともありました。


所沢飛行場物語 日本の航空発祥地 所沢 日本初の航空機事故犠牲者
民間飛行発祥の地 所澤 飛行船「イ号飛行船」 バルセヴァル飛行船
陸軍特別大演習 気球隊 雄飛号飛行船
陸軍航空学校・所沢陸軍飛行学校 陸軍航空技術学校 陸軍少年飛行兵 陸軍士官学校分校
陸軍航空整備学校 所沢陸軍航空整備学校
臨時軍用気球研究会 所沢飛行場の飛行機達 所沢飛行場での初飛行の日
航空大隊の編成と変遷 飛行場の拡張 遠距離屋外飛行
初の実戦参加 青島攻略 国際親善の町 
所沢
東京第一衛戍(えいじゅ)病院所沢分院と
憲兵分遺所
所沢飛行場歴史年表
明治時代
所沢飛行場歴史年表
大正時代
所沢飛行場歴史年表
昭和時代
フォール大佐と
フランス航空教育団
所沢航空参考館:南倉庫 所沢飛行場開設時の飛行訓練の様子を
載せた新聞記事

終戦前後の所沢飛行場 シベリアへ出兵 飛行機による東京初訪問
所沢飛行場関連の散策マップ  所沢飛行場の変遷図 所沢飛行場と文芸 
三ヶ島葭子 与謝野晶子 田山花袋 
斎藤茂吉
中西吾堂
所沢航空参考館(南倉庫) 終戦時の所沢飛行場 
 所沢飛行場拡張区域図  飛行機命名法 YS11がやってきた
航空発祥の地の由来と歴史   所沢飛行場の飛行機達
所沢陸軍飛行学校々歌♪歌が聴けます。 所沢飛行場開設時から大正期までの飛行機種
砂川堀と掩体壕  所沢飛行場関連の散策マップ
 所沢飛行場の変遷図  所沢飛行場拡張区域図 

所沢に飛行場が開設され飛行場の町へと発展していきました。
飛行場と町場の関連を紹介します。

飛行機新道の開設 将校住宅と下宿屋 浦町(有楽町)界隈の賑わい
天皇行幸と所沢の町 戦時中の所沢の町 町中の飛行機事故
所沢飛行場駅 所沢飛行場前駅 所沢の戦争被害地
山口高射砲陣地 所沢の空襲警報回数記録

博史の昭和青春グラフィティー

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