所沢飛行場物語
開設 2006.05.01

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 2011.3.17.






シベリアへ出兵

大正6年(1917)11月にロシア帝国はレーニンの指導するボリシェヴィキにより世界最初の社会主義革命である10月革命が起き、大正7年(1918年)に帝国は崩壊しました。
ボリシェヴィキ政権は単独でドイツ帝国と講和条約(ブレスト・リトフスク条約)を結んで戦争から離脱しました。
ブレスト・リトフスク条約によって戦線離脱をしたソ連に対し、連合国が社会主義政権の打倒をめざしてシベリアへ出兵、
1918(大正7)年春から英仏を中心とし日本も積極的に参加(各国7千名の協定に対し日本は7万3千名を派兵した)
日本は樺太への派兵も行う。
各国は1920(大正9)年6月までに撤兵したが、日本は内外の批判の中1922(大正11)年までシベリア派兵を続けていました。
大正7年8月5日、陸軍がウラジオ派遣軍の臨時編成を発令した時、実用航空兵力は所沢飛行場の航空第1大隊のみでしたので、
ウラジオ派遣軍第1航空隊(本部及び1個中隊)ウラジオ派遣軍第2航空隊(本部及び2個中隊)を編成しシベリア沿海州に出動しました。
第1航空隊は沿海州方面で作戦に参加した後、フランス航空教導団の練習要員として翌年の2月27日に所沢に帰還しています。
第2航空隊と航空廠はその後、戦線移動、縮小に伴い、航空班、第1,第2航空班、再び航空班と頻繁に変わりながら、
陸軍がシベリアから撤兵した大正11年まで戦闘に従事していました。
尚、北樺太方面のサハレン州派遣軍隷下にも航空班が編成され長期間その方面の作戦に参加していましたが、
所属飛行機数機という小規模な部隊でした。



ソッピース1


モーリス・ファルマン式6型機

大正7年から11年までの4年間におよぶ、シベリア出兵では
モーリス・ファルマン式4型14機と同型6型機・10機、
ソッピース1型・7機が参加しています。

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