2008.11.26〜2011.8.27

★所沢消防の歩み★
 
江戸時代、所沢は交通の要所としての宿場町に発達しましたが、水利には恵まれず「所沢の火事は泥(土)で消せ」と言われた様に火災が起こっても殆ど水が間に合わず、大火災に何度となく見まわれました。
寛永16年に掘られた大通り(銀座商店街)の三ケ所の井戸以外は非常に深く、殆ど水か間に合わず、大火災に何度となく見まわれました。
 
明治時代になると水利の充実が叫ばれ、共同井戸が相当数掘られ、それと共に各地区に井戸組合が作られました。
 
明治20年11月、県知事吉田清英の許可により、所沢消防組が結成されました。
一番組から八番組までの八組とし、各組毎に頭取1名、及び副頭取1名をおき、これを統括しました。組員は576名で、全組の総員は頭取以下592名でした。
 
一番組(上町:元町)二番組(上仲町:元町東)三番組(下仲町:寿町)四番組(浦町:有楽町)五番組(下町:御幸町)六番組(河原宿:宮本町)七番組(金山町)八番組(日吉町)  
これらの消防組は、明治9年(1876)大和田出張所(現新座)第41屯所として現ファルマン交差点付近に発足した所沢警察署(明治15年3月5日改称)管轄下におかれました。
この一番組から八番組の名称や、器具の内に纏を加えた事等、また、その纏が江戸町火消しのものと同じ形のものが多く、このことから江戸町火消にならったものと思われます。
 
消防器具は各組毎に、龍吐水1、纏1、梯子2、刺子1、手鳶10、長鳶10、手桶10、玄蕃桶1、火消札8、提灯5、棒8であった。
龍吐水もきわめて不完全なものであった為に火災を防ぐ手だてとしては人々の火事に対する厳重な警戒に頼るほか無く、冬期になると各家々には絶えず火の番が回りました。
 
 





         龍吐水
明治20年に発足した所沢の消防組は、明治27年2月(1894)、勅令第15号で消防組規則が発布され、所沢消防組は器具はそのままで、一番組から八番組を、第一部から第八部と改称されました。
 
明治36年1月龍吐水に変わり、ドイツ式腕用ポンプが各部に配備されました。
又、各部の頭取、副頭取を廃止し、所沢消防組の長として組頭をおき、各部に部長1名、小頭2名をおきました。
 
大正11年2月、町会に於いて貯水槽設備が決議され各町内に設備されました。
 
腕用ポンプ

大正14年4月  ガソリンポンプ2台購入、その置き場二ケ所を建設し、同年8月、鉄骨火の見櫓二基(地上高さ60尺)竣工、その後各部地に設置し、昭和9年9月には町設鉄骨火の見櫓に展望を造り、冬期大風には消防手が警備しました。又、組織の変更の必要を感じ8部制を11部制に改め、党員を省き組員の人数を減らす大改革を行いました。
 
これにより、第9部、第10部を編成、
第1部〜第8部までは腕用ポンプ、第9部〜第10部はガソリンポンプ、更に第11部を救護班
(在郷軍人を主体)としました。
 
昭和3年5月、ガソリンポンプ2台増加
昭和3年10月自動車ポンプ1台購入
昭和6年10月、自動車ポンプ1台購入(50馬力)
 
昭和12年3月 上水道完成(昭和10年7月起工)
 
昭和12年7月、日華事変が勃発すると国防体制の整備が急がれ
昭和14年「警防団令」によって、消防組と防空民間団体である防護団は発展的解消され、新たに強力な警防団が組織されました。
 
昭和20年8月15日終戦
 

昭和22年4月に消防団令施行に伴い、それまで警察の支配下にあった
官治消防から自冶消防へと改革、所沢消防団に生まれ変わりました。
昭和25年11月3日、市制施行に伴い「所沢市消防団」となりました。
 
昭和30年 柳瀬、三ケ島両村の合併により10分団編成、
消防団員は1,342名四輪ポンプ自動車7台、三輪ポンプ自動車3台、手曳きガソリンポンプ車1台、可搬式動力ポンプ14台、腕用ポンプ29台の勢力となる。
同6月30日 所沢市消防本部、消防署庁舎が竣工
9月17日 所沢消防署庁舎落成 消防署が発足
     

 フォード48年式ポンプ車
 

所沢消防署庁


10月20日
 消防長以下15名の職員と駐留軍より貸与されたポンプ自動車(フォード48年式)1台にて開始組織は団本部1、10個分団325名でなり各分団に消防ポンプ自動車1台を配備しています。
 
昭和31年、消防職員21名(6名増)消防団再編成し823名となる。
昭和32年、電話回線のダイヤル化に伴い、119番通報が直通になる。
昭和35年、水槽付ポンプ自動車を配置。
昭和38年、人口と交通量の増加に伴い救急事故が激増、救急用具一式を装備した救急自動車を購入配置。
昭和42年4月、市内東部地区人口増に伴い上安松に東分署を新設。市内建物の高層化に対処するため屈折はしご車(15m)を東分署に配置。
昭和43年、消防団の機械化に伴い少数精鋭とするため、団員定数を改正し団員数303名、分団10ケ分団、ポンプ自動車10台による新組織となる。
昭和44年8月、市内西部地区人口増に伴い北野に西分署を新設。
 

昭和45年、婦人消防官4名を採用。
昭和47年4月、神米金地区に北分署を新設。
 
 
 
 
 
 
昭和54年3月28日、上新井(現けやき台)に近代的消防本部(署)を移築、業務開始。
 
昭和56年4月、柳瀬分署を新設
昭和60年4月、山口、吾妻地域の防災拠点として南分署を新設、平成3年4月、上安松に東消防署庁舎が完成、消防署長以下44名にて業務開始。これにより従来の1署5分署体制を中央消防署及び東消防署の2署4分署体制とした。
 
平成18年4月、中央消防署本署に女性救急隊員2名、同年10月、女性消防団員10名を採用し消防団本部に配置、翌年も同様に10名を採用し、現在は20名の女性消防団員が活動を実施しています。
平成19年消防職員の定数条例を改正し、345名になる。
 



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