所沢飛行場物語
開設 2006.05.01

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 2011.3.19.


※飛行機による東京初訪問



大正元年10月27日、徳川大尉は会式2号機で飛行機による東京初訪問をしています。


国民新聞は「徳川大尉の大飛行 空前の壯観 飛行機の東京市一周」の見出しで報道しています。

当日、所沢飛行場の未明は濃霧に包まれていました、間もなく霧も晴れ、前夜11時に東京を発って徒歩で来場した帝大生や慶大生数十名をはじめ数百人の観衆が見守るなか、会式二号機が格納庫から重い扉を開けて現れ、徳川大尉は5時58分、大島一等卒が発動機を始動すると猛然と駆けだし、15mほどで離陸、高度を上げつつ場内を一周し松井村の森林上空から東の空へ消えて行きました。
所沢飛行場を飛び立ち、300mまで高度を上げ、田無街道から荻窪停車場上空、左方に中野気球隊営舎を見ながら淀橋浄水場を南下し右に折れて代々木練兵場へ向かいました。
練兵場にはおよそ五千の観衆が詰めかけ、機体が見えると「万歳」を絶叫しながら着陸点めがけて殺到し、人の群れで埋め尽くされ、予定地には降りられず、人のいない東南隅の北谷稲荷神社前に着陸しました。
徳川大尉はあらためてガソリンとモービル油を満たし、時を措かずに6時50分、首都一周へと飛び立ちました。
左に旋回しつつ上昇した機は、渋谷上空から愛宕山を目標に東へ向かい、芝公園を越え浜離宮近くの品川湾沖200mの海上から北に転じ、日比谷公園、丸の内上空を通過、皇居沿いに左に旋回しつつ、竹橋の近衛第一第二連隊の兵営上空から九段上、市ヶ谷八幡陸軍士官学校,四ッ谷見附を得て、青山離宮の北方を通過し青山葬場殿を左まわりに一周して、17分後に代々木練兵場に帰着しました。
前夜から待ち明かした。東京市民は,朝暗いうちから物干しや屋上に登って双眼鏡の奪い合いをしたが、プロペラの唸りすざましき飛行域の姿が見えはじめると、いたるところの屋根は鈴なりであった。
7時32分、再び代々木を飛び立った会式2号機は場内を旋回しつつ市民に深謝し機首を所沢飛行場へと向けて飛び去りました。その後大改造を重ね会式三号、四号機は陸軍で特別大演習に参加した最初の飛行機となりました。

参考資料:「初飛行」村岡正明著 光人社NF文庫


会式5号機から製作担当徳川大尉からフランス帰りの長澤賢二郎、澤田秀両中尉に代わり、会式6号機まで製作されましたが、会式練習機としては、この6号機で終止符がうたれました。
この5号、6号機は会式2年型飛行機と呼ばれています。

所沢航空発祥記念公園にある航空発祥記念館の入り口に
は平成14年産業考古学会推薦産業遺産認定の会式1号機レプリカ機が展示されています。

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