2002.7.21〜2008.6.12.
2010.7.01.~2011.5.29

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絵画は故峯岸正雄さん著・「むかしのところざわ百景」より
峰の坂の途中左側の東川沿いに「馬の町」として知られる
新光寺があります。![]()
古くは旧暦の一月十八日に行なわれていましたが、
明治期から第二次大戦前にかけてはニ月十八日に変り
戦後四月十八日に変りました。
戦争が激しくなる以前、昭和16年頃まで2月18日には
河原宿をはじめとした、
旧町や柳瀬や富岡方面から馬方や馬持ちが馬を連れて集まりました。
馬方は自分の出入りの得意先(壇那場)から贈られた金銀の縫い取りがあるアブトリ(腹掛)を馬に付けたり、
真鍮の飾り金具のついたカンノンクラを背中に乗せ、
面や鈴をつけて馬を飾りたててやってきました。
| カンノクラ |
馬方も得意先の印半纏(シルシバンテン)を着ていました。
最盛期には20頭位が所沢駅周辺に集まり、所沢の表通りをシャンシャンと鈴の音を
鳴らしながら行列をして新光寺に向かいます。
私も私の家の店の前から一緒についてゆきました。
十八日には所沢の市日と重なり露店が大通りから新光寺までつながり盛況でした。
当時の賑わいぶりを新聞記事から紹介しましょう。
埼玉新報 大正2年二月二十二日付
「サア負かつた々雲州が二十で五銭」向ふ鉢巻の蜜柑屋は、俄造りの店頭に山と許り積み並べた黄金色な奴と、押し合ひへし合ふ群衆を七分三歩に睨め
つけながら威勢好く呼びかけると、その隣では「諸君我が輩は決して虚偽を申しませんぞ、松井原源水は香具師でない」と片手に紙袋、片手にギラリとする
段刀(だんびら)を振り廻して、ケレオソートのお託宣を並べて立てゝ居る。十八日の午後三時こゝ眞言宗本山寺観音の境内は、これらの屋台店と、詰めかけ来る
群衆とで動きもとれない大雑踏、「観音様の馬祭り」を見やうと揉まれ揉まれ傾いた山門をくぐる、「お兼さんさん吉が居るべえ」と縮れ髪を安油で以て歪んだ
十八島田に結び揚げたのが、デカゝと不調和な白粉三昧の銀杏返しを顧みて語る、頽(く)れそうになった萱葺きの御堂の周囲に結垣を繞(めぐ)らして。その中では、
磨いた真鍮の荷鞍の下に美しい五色の布を著飾つた駄馬の幾頭、紺の香新しい印半纏に股引、浅黄の手拭、?(いなせ)に捻ぢ上げた所謂(いわゆつ)吉さん連中に
手綱をとられて、御堂の周囲をシャンシャン、シャンシャン鈴音勇ましく小刻みに駆けり廻る中に、交って汚い瘠せ馬にヒラリと跨り、鞭の音重げに一馬場攻める連中も
居る、これが馬の祭かと傍に居た兄哥(あにい)に聞くと「あにネ観音様のお使は馬だあチュ事あるだ」と独り好がりを喋舌(しゃべり)つゝ、景気立った活動小屋目蒐けて
行ってしまった。


境内には露店が沢山でて大変な賑わいでした。
本堂の脇に馬が繋がれ馬方は自分の馬を引き出してはお堂の周りを回りました。
馬方へは得意先からご祝儀として酒が届けられるのが慣行でした。
本堂で執行される護摩の太鼓の鳴り響く中を交代で馬をあやつりお堂の周りをひいて
馬の安全・交通安全を祈願したのです。
現在は農作業・交通の馬の姿は見られず
この様な行事が見られなくなり寂しいですね
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