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所沢飛行場物語
開設 2006.05.01 |
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2011.3.16.



※ 「バルセヴァル飛行船」

明治45年6月、飛行船「バルセヴァル」がドイツから輸送され、明治44年1月14日竣工、建造費56,500円、長さ23間半、幅15間、地面を掘り下げて飛行場の東南に建てた木造の仮気球庫に収納されました。
通称バーセルバ飛行船格納庫と呼ばれていました。その後、研究会の石本庄祥吉、益田済両陸軍大尉、山下誠一海軍機関大尉、岩本周平技師らによって組み立てられ完成しました。
大正元年8月30日にジュベルト技師と益田大尉が操縦、石本大尉が同乗し所沢上空を高度310m、距離16km余りを18分間試験飛行し初飛行に成功、
当日の様子は「午後五時頃二台の飛行船は、各将校及び十名の兵士に曳かれて格納庫を出て五時五十分、益田・石本・山下の三海軍大尉、岩本技師及び附添人ヒューベル氏の五名搭乗するや、三百馬力の発動機は盛んに白煙を吐き、同時に左右二個の推進機回転を起こし、すべて繋索(ロープ)を断てば飛行船は忽ち場外に飄々と逸市し去り、東方一里半の柳瀬村字日比田付近六百尺の上を高走し、堂々たる雄姿は次第に霞み行き極めて良好なる成績を示したり、夫れより西方に回転し,遥か所澤新地なる外界に沿うて川越線を横切り、小手指原に至りし時は夕日全く没したり・・・・」(国民新聞 大正元年九月七日付け)
翌日には所沢上空を25km、35分間飛行しています。その後、10月21日に帝都訪問飛行、11月12日の横浜沖の観艦式に所沢から参加(所沢=横浜往復、距離145km、高度1,000m滞空2時間53分)11月15日〜19日の陸軍特別大演習に参加しています。
大正2年3月27日、1500mの高度のレコードを記録しています。翌日、3月28日、貴衆両院議員を招き公開飛行として飛行機・飛行船の飛行披露が所沢ー青山練兵場間で行われました。飛行船「バルセヴァル」は多数の来賓者が待ち受けていた目の前で、まさに着陸しようとした時に風に流され、着陸用ケーブルが市街電車の送電線にあたり、高圧線を切断、吊舟が電柱に衝突,鋼製プロペラ・ラジェーターを破損し葬場付近に墜落してしまいました。飛行船は解体し所沢へ鉄道輸送しています。その後「雄飛号」飛行船に改修されています。
尚、この日には、木村中尉と徳田中尉搭乗のブレリオ単葉機が所沢へ帰還の途中、飛行場を目前にして墜落、両中尉はわが国最初の航空殉難者となり、陸軍航空にとっては厄日でした。
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