


私達の所沢市は2011年4月1日、所沢で日本初の飛行場が開設され100年目を迎えました。
所沢は江戸時代に江戸と秩父を結ぶ往還道「江戸道」(銀座通)沿いに宿場町・街道町が形成され「三八の市」が立つ町場として地域経済の中心として発達しました。
明治9年に埼玉県に所属し、同14年に所沢町となりました。
江戸後期から明治期にかけては「所沢飛白」と呼ばれる綿織物の一大集散地として賑わい、明治28年には鉄道が敷設され、明治30年代には「織物の町」として全盛期を迎え、「蔵造り」の商家が競い合う様に軒を連ねていました。
所沢飛行場が開設された頃の所沢は人口5,000〜6,000人の織物の集散地「織物のまち」であり交通の発達した所でした。
農業、製茶などのほか、川越芋として知られた甘藷の生産地でした。
明治42年(1909年)明治天皇の勅令により、陸軍に臨時軍用気球研究会設置され、
翌年明治43(1910年)飛行場用地として所沢が選ばれ768.873uが買収されました。
飛行場用地の大部分の台地は北東に向かってなだらかな傾斜地で、畑、桑畑、雑木林、
その中を通る中富や地蔵道に沿って茶畑のあるところもありました。
明治44年(1911)に幅50メートル、長さ400メートルの滑走路と格納庫、気象観測所を備えた日本初の飛行場として陸軍所沢飛行場
(正式には臨時軍用気球研究会所沢試験場)が開設されました。
同年4月5日に徳川大尉の操縦するアンリ・ファルマン1910年型機が初飛行に成功しました。
初の飛行後、当時、所沢飛行場で使用された飛行機は四機あり、いずれも外国から輸入したものでした。
これらの機体の破損、老朽化に伴い、徳川大尉が設計、製作の中心となり、日本最初の国産軍用機「会式一号機」をはじめとする初期の飛行機、
飛行船「雄飛号」が製作されました。
大正8年にはフランスからフォール大佐を団長とする航空教導団を迎え当時の航空技術のノウハウを学び、航空学校を開設し、
当時のパイロットの飛行訓練、飛行技術など全てが行われました。
民間航空技術もここ所沢の飛行場からスタートしています。
所沢飛行場は軍事施設というよりも、日本の航空技術を高めるための施設でした。
飛行場はパイロットの操縦教育、飛行機製作・研究、試作機のテスト等の場として、明治時代から昭和20年の終戦までの間、
わが国の航空技術の発展を支えてきたのです。
この歴史的な経緯により「日本航空発祥の地」として位置づけられています
| 飛行機新道の開設 | 将校住宅と下宿屋 | 浦町(有楽町)界隈の賑わい |
|---|---|---|
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博史の昭和青春グラフィティー
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