2002.8.28

2004.12.12〜2007.2.18.



中世期に現在の狭山、入間、川越方面に通じる要所として、鎌倉街道(峰の坂)の河原宿界隈には人が住みはじめ
江戸期には、江戸と秩父を結ぶ往環道「江戸道」が整備され、道沿いに民家が広がり、宿場町、街道町が形成されました。
寛永16年(360年前)に三・八の市が立つ町場として、地域経済の中心地として発展してゆきました。



江戸時代の「武蔵野話」に書かれた野老澤村家並み・左上の道が江戸道、坂稲荷も描かれています。

江戸後期から明治期にかけて「所沢飛白・ところざわ・かすり」と呼ばれる綿織物の一大集散地として賑わい、
明治30年代には全盛期を迎え、蔵造りの商家が建ち並んでいました。


古くから町に住んでいる人達は所沢の町と言えばこの地域を指していました。

かっては所沢の商業の中心地として大きな蔵造りのお店が立ち並び賑わっていましたが、現在は所沢駅前にその地位を譲ってしまいました。

現在は高層ビルが立ち並ぶ町へと変り、ここでも昔から商いをしていた商店が次々と無くなっています。

坂の稲荷から元町交差点の間につらなる商店街です。

根岸交差点から銀座通りを望む・昭和30年代初期




昭和初期の銀座商店街です。
左すみに坂稲荷の鳥居が見えます。
2階建て以上の家はありませんでした。

ねぎしの交差点の松葉屋さん付近から撮影されたと思われます。
右の写真は殆んど同じ位置から撮影されたものです。



右の英文字はカメラの山口さんの看板
昔はメガネ屋さんと呼ばれていました。




1964年(昭和39年)
アーケードがかけてありました。




1985年(昭和60年)

日本相互銀行が太陽相互銀行になっています。




1992年(平成4年)

太陽相互銀行がさくら銀行に改名されています。

未だ高層マンションが建ちはじめた頃

左写真は2006年現在の銀座商店街ですが
商店街とは名ばかりでマンション街に変貌しています。


昭和60年代の銀座通り、左側が現在のスカイライズ・タワー

左:鈴清、うなぎの新妻

三・八の市

毎月、三と八のつく日に開かれていた市で坂稲荷から元町交差点までの現在の銀座商店街
で開かれていました。

寛永16年(徳川三代将軍家光の頃1639年)所沢を中心に
扇町屋(入間市)入間川(狭山市)の商人達の代表が道路の両側に向かい合って、
都合4列の店が並んで市が開かれ、絹織物、古鉄、古綿、古足袋、古衣服、古陶器、鉄。ざる、
かご等の農具の売買、農産物や日用品の交換も行なわれた様です。
文化年間(1804年〜1817年)に市は六斎となって「三・八の市」と拡大、宿場町の様相を呈していた所沢は農産物の集散地として賑わい、商家が立ち並ぶ町へと発展していきました。

三・八の市は道路の中央に葦簀(よしず)張りの店を設けて、
近郷からの商人が江戸時代から様々な商いをしていました。

写真は柏屋陶器店前で梅を並べて売っている風景です。
毎年梅の収穫期には「梅の市」とも呼ばれていました。
右側は現在のコンセールタワーの高層マンションに変貌しました。

懐かしい昔の写真の数々をご覧下さい。
明治:大正:昭和の時代の写真

町中の店蔵
かっては蔵造りのお店が沢山建ち並んでいました。

下町から上仲町までは荒物、瀬戸物、青物、菓子店などが並び賑わっていました。

明治32年の銀座商店街にあったお店をご紹介します。
ご覧下さい。

御幸町界隈・下町 寿町界隈・下仲町 元町界隈・上仲町  實蔵院界隈・上町


大通りから横に入った町筋や道の事を横丁(横町)と呼びますが中心市街地にも沢山のあります。

横丁に入ると未だ懐かしい所沢が沢山残っています。

新しい発見を求めて歩いてみてください。




寿町には町の唯一の娯楽施設として映画館「所沢中央映画館」が昭和57年までありました。
映画館の歴史を辿ってみました。



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