★高知営林局内の軌道の紹介


※注意
以下の情報は最大延長時のものであり、年によって延長は変化する。
支線に関しては、車庫線や積込み線や製材所への専用線などもあるが
これらは含まれてないものもある。
また制作者の調査力のなさから、明らかになっていないものも多いので、
これらの資料を鵜呑みにしないようにしていただきたい。


簡単な高知営林局の歴史と概要

国有林を管理する国の機関である。高知営林局の管轄は四国全域の国有林となっていた。
高知大林区署という名で明治19年発足、同26年愛媛大林区署と合併、同30年に分割、同36年に再び
合併し、大正13年から高知営林局に改称される。
平成11年には合理化と共に森林管理局という名称に変わる。

四国に占める国有林は四県全域の森林の一割であるが、その七割弱が高知県にある。
国有林は、江戸時代から官により管理され余計な切り出しを抑制するため保護されてきた。
代表的なものには魚梁瀬の千本山や、本山の白髪山などがあるが、木材需要の高まった戦時中などに
多く切り出されてしまい、城の芯柱になるような巨木は少ない。


高知営林局と軌道

●最初の軌道
高知大林区署が最初に軌道を敷設したのは、青森の津軽森林鉄道に次ぐ明治40年である。
日露戦争の戦利品として得た6kg/m軌条(満州レールとも呼ばれた)16kmと貨車7両を陸軍省から
借り受け、馬路小林区署内安田川山林道11.3kmに敷設した。(「林鉄 寺田正写真集」より一部抜粋)


●軌道の規程
明治42年に森林鉄道・軌道の幅員・勾配・最小半径などの設計基準が定まっている。
それから昭和28年森林鉄道建設規程、昭和30年林道規程まで根本的な改定はない。
軌間(軌条の間隔)は762mm、軌道の幅は1,800mmが確保されている。

軌道は「二級鉄道」とも呼ばれ、営林署の資料などには「2鉄」と表現されている場合がある。
[高知の軌道]では軌道を紹介することとしているが、林業に関する鉄道跡や索道跡などは存在した
限りを紹介したい。


●林用軌道の種類
本線、支線、分線などの分類がある。本線は基本的に9〜10kg/mなどの重いレールが使用された。
インクラインは急勾配を克服する為に考案されたもので、仕組みはケーブルカーに似ており、斜度35度
などという急勾配に直線的に軌条を敷設し、鉄索を取付け上部の基地で速度の制動をしつつ、空の
トロリー(貨車)を引き揚げるというもので、急峻な地形を持つ高知局では各地で設置された。

そのインクラインの上には上部軌道があり、その上にさらにインクラインが設置され、その上にさらに
軌道を敷くという形で高度を稼ぎ、軌道は延びていた。集材用の上部軌道は山内(さんない)軌道とも
呼ばれ険しい地形を通る為、盛土や掘削はあまりせず立ち木などを利用した簡単な桟橋のようなものに
軌条を敷設していた。


●貨車(トロリー)の運搬法
林用軌道は穏やかな勾配で、木材を積めば、制動装置のみで下流の土場まで滑り下りれるように
設計されていた。問題は空のトロリーの引き揚げで、初期は人力であったという。その後、畜力となり
牛や犬が使われた。大正に入って初めて蒸気機関車が採用され、昭和初期頃から木炭・ガソリン・
ディーゼル内燃機の機関車へと進化していった。


●軌道以外の運搬施設
明治以前からの運搬法として、牛馬、流材などがある。明治以降もこれらの運搬法は続いたが、
明治末期からは集材用として鉄索道が使用されはじめる。それでも鉄索集材が盛んになるのは
戦後からでそれまでは少なかったという。鉄索集材機の原動力としては水力から始まり、蒸気、電気、
ディーゼル機関へと変わってゆく。ディーゼル原動機は現在でも使用されている。

そして車道がまだ少ない頃、軌道と並んで設置距離の長かったのが牛馬道で、これも昭和30年代まで
使用されている。牛馬道と似たものに木馬道があるが、これは人の牽引力を利用したもので、基本的に
下り勾配のみで、木馬(木製のソリ)が滑りやすいよう細い木を枕木のように並べられていたりもした。

峡谷など、軌道も索道も設置しにくい場所では「修羅出し」という方法もあった。これは谷のV字に沿って
切り出した材を敷き詰め、巨大な樋を作りその中を滑らせて出すもので、大変な労力を伴い、怪我も
多かった。

ある程度水量のある谷や川を輸送する場合や、土場(貯木場)からの大量輸送では「堰出し」がなされた。
文字通り谷を木材などで堰いて貯水し木材を浮かべ、流し出す方法である。このように水量の多い場所
まで流し出し、筏を組んで下流まで運んだ。国有林では軌道が出来るまで管流や筏流しといった輸送法で
あったが民間では昭和中期頃まで筏流しが行われていた。


●軌道の変遷
高知営林局内の軌道は年を追うごとに延びてゆき、最大延長時の昭和25年には740kmにも及んだ。
その後、自動車の性能が著しく向上し、昭和30年代後半頃から維持・修繕費用の問題から一気に
軌道は林道に転換されはじめ、昭和46年には全ての軌道が撤去され、歩道や自動車用林道となった。


●軌道から車道へ
化石燃料が入手しやすくなり、自動車の性能が向上してくると輸送手段は、より安くより楽なほうに
変わっていく。昭和25年に森林鉄道と自動車道の費用の計算がされている。
その結果(内容は要約した)。

1 作業費、土木費の総支出を照らし合わせると自動車道にするのが有利。
2 トラック輸送の場合は積み替えなどの輸送系統の単純化と低経費化が可能。
3 自動車道にすることにより、事業の集約化が促進、林業経営が合理化される。
4 トラックの場合、機動性が高いので経費の支出が生産量の増減に応じやすい。
5 自動車道のほうが地元産業・文化の向上に寄与でき、将来の国有林の管理も有利。
6 新設費には、軌道・自動車道に大差がなので新規開発は自動車道とすべき。
7 不採算の鉄道搬出は早急に自動車道に改修すべき。
8 生産量が非常に多く、事業が永年にわたる場合のみ鉄道輸送がトラック輸送よりはるかに能率的。


軌道跡を歩く

そもそも営林局は国の機関である。国の政策ひとつで賑わったり廃ったりと、山村は大きく翻弄されて
きた。魚梁瀬の森林鉄道が惜しい、といっても国の方針がかわれば残ることは無い。
戦後60年。一次産業を捨ててしまった国は自給もできず、国内でほとんど採れない資源で自動車を
走らせ、二次、三次産業を発展させていった。

全盛期には県内だけで740km余りの敷設距離を誇りながら、最盛期から僅か15年ほど姿を消してしまった
軌道。軌条こそ取り払われてはいるが、道床、枕木、隧道、橋梁などその遺構を目にすることは、高知に
居ればそんなに難しいことではない。

軌道跡歩きには資料が必要である。これは、古い地形図や森林管理局の資料などを利用すると良い。
また先人の軌道跡趣向家が残してくれた資料は謎解きの近道となる。
資料を手に入れれば現地調査となるのだが、国有林内への進入は管轄の森林管理署の「入林許可」を
必ず取得して行ってほしい。そして、現地では地元の方に話を伺うことが基本である。

軌道跡探訪は廃道探検であり、時には危険も伴うが、緊張、感動、哀愁のある楽しい旅である。
この頁をご覧いただき、林業の内容・歴史、仕事の過酷さや、それに携わった人々の思いを肌で感じ
取ってもらえればと思う。


高知営林局内の林用軌道一覧

下の表は各営林署の軌道を、本線・支線・分線に分けたものである。分線とは支線の支線を示す。
林道台帳資料では支線・分線などの分類が不明確であったので、制作者なりに無理がないよう整理を
した。延長、使用期間なども資料によって差異があるので、ここに記すものはあくまで参考程度にして
頂きたい。

所轄名 林道名
(軌道)
林道支線名
(軌道)
延長(m) 区間(当時名称) 備考
(期間など)
小川営林署
(こがわ)
長澤林道
(ながさわ)
長澤線(本線) 24,138 小川村高岩〜本川村立橋 S2〜S35
長澤線(本線) 6,833 立橋〜竹ノ川(堰堤建設以前) S2〜S27
長澤線(本線) 15,334 立橋〜寺川(堰堤建設以降)
うち堰堤補償分12,867m
S18〜S39
竹ノ川支線 5,925 堰堤建設後4,965m S11〜39
手箱谷支線 4,192 索道×1・インクライン×1含む S26〜S38
寺川以遠支線 1,909 寺川〜鎌藪谷(岩茸山) S18?〜
工場引込線(支線) 888 立橋〜長沢製品所 〜S39?
工場引込索道 242 長沢堰堤〜長沢製品所 S25?〜S28
奥南川線(支線) 16,890 本川村南川分岐〜奥南川終点 S10〜S40
同 伊留谷分線 1,552 S25?〜S39
同 岩瀬谷分線 1,016   S25?〜S39
同 宮谷分線 2,254 インクライン×1含む S29?〜S39
安居林道 本線      
本山営林署
大栃営林署
徳島営林署
安芸営林署
馬路営林署
魚梁瀬営林署
野根営林署
川崎営林署
宿毛営林署
愛媛営林署
高松営林署
松山営林署
宇和島営林署
清水営林署
中村営林署
大正営林署
窪川営林署
須崎営林署
奈半利営林署

参考・抜粋

林鉄 寺田正写真集/1991 寺田正写真集刊行会
高知営林局史/高知営林局
小川営林署林道台帳/高知営林局






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