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ジャイアンツに入団して2,3年経った頃、雑誌の企画で俳優の高倉健と対談するために、長嶋は東映大泉撮影所に向かった。初対面ですっかり意気投合した二人は、この出会いがきっかけで以後、長い友人関係を結ぶことになるのだが、対談の折はお互いを「茂雄ちゃん」「健さん」と呼び合っていた。そのうちに何を勘違いしたのか、長嶋は健さんのことを「鶴さん」と呼び始めた。鶴さん=鶴田浩ニは高倉健の大先輩にあたるが、対談途中ということもあって、そのまま「鶴さん」で通させた。ミスターは監督時代にもしばしば自軍の選手を呼び間違えていたが、40年も前からその傾向があったのである。
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ジャイアンツのユニフォームを着るさらに昔、立教大学野球部時代にはこんなエピソードが残っている。場所は西武池袋線の車中。坊主頭の最上級生らしき男と数人の一年生が乗っていて、上級生は後輩にこう言った。「よし!今日はみんな映画に連れて行ってやるぞ」「オース。先輩、ありがとうございまーす。」「何の映画にゆくんですか?」「よーし、今日は特別に黒沢明の名画だ。三船敏郎主演の「ノヨシケン」というやつだ!」 ノヨシケン・・・・・「野良犬」を読み間違えたナガシマ先輩に対し、下級生は否定できる道理もなく、「オース、そのノヨシケンに連れて行って下さい」と答えざるを得なかった。
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麻雀に関するエピソードも限りなくあるが、おぼえ始めたのは大学時代であった。そのころから自分の手作りだけに没頭するあまり、他の三人の動静を見ようともしない。リーチがかかっていることさえ気づかず、これではカモになるのは当然。ジャイアンツの一員になってからもそのままの雀風だったため、負け続けた。その当時、(60年前後)、麻雀の借金総額が300万円を超えたそうだから、驚かされる。いまの金額に換算すれば、10倍はくだらない!?あまりの大金なので、見かねた川上哲治監督が勝ち組みのところにまわって借金を帳消しにするよう画策したらしい。長嶋と麻雀卓を囲めば、かならず勝てることから、ついたニックネームが「小遣い配給係り」。このあだ名は65年に亜希子夫人と結婚するまで続いた。小遣い配給時代は、遠征先でも麻雀に明け暮れた。寝具を座布団がわりに敷いて麻雀を打ち始めたところ、長嶋の捨てた牌だけ異様に黒い。原因はたばこの灰を布団の上に撒き散らした末に、焼け焦げの穴に指を入れてたばこの火を消していたからだが、そのままの黒い指で牌をつまんでいたのだった。
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長嶋はわざとゆるめのヘルメットをかぶり、三振をも観衆のために演出したという伝説があるが、それに関する発言には次のようなものがある。
「ゆるめだと、ヘルメットは当然深くかぶるようになる。すると目線の先にヘルメットのひさしがかぶさってくる。このひさしの線を目安にして投手の顔に照準をつける。つまり、目線ーひさしー投手の顔が一本の線につながる。これをやると球筋がよく読める。」
「空振りをしてヘルメットがぶっとぶ。なるほどこれがプロなんだという実感が、お客さんの胸に迫るでしょう」
「人間の体を支えているのは、腰から背中にかけての線です。この線が地面に垂直になるように立ち、思いっきり腰を回転させてスイングする。すると、不思議にヘルメットは本塁上にぶっとびますね。」
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