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ある夏の日、久々にグラウンドから解放された原は、のんびりと休日を満喫していた。夏の昼下がり、街をぶらぶら散策としゃれ込んだ。と、あるお店の前で足が止まった。ん?いい音がしてるな。
「チリリーン、チリリーン」「虫かな?いやそうじゃないな。あ、あの店か。なんか書いてある。「カゼ・スズ」うーん。カゼ・スズってなんだろう?お店の人に聞いてみよう。「おばちゃあーん。カゼ・スズってなに?」例のさわやかなスマイルでたずねられたおばちゃん、申し訳なさそうな顔で「あの、これ、フウリン。」
風鈴をカゼ・スズとそのまま訓読みしていたのである。もっとも原、ここからがエラい。フォローを忘れない。「あ、そうか。フウリン、か。うーん、すごい。わかるよ感じ、出てるね。風鈴で、フウリンか。いいえて妙だね。」!!!
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ある日、槙原はマンガを読んでいた。ヤングに人気のヤング・コミック・スピリッツだ。パラパラとページをめくる。目は真剣。ときおりうなずきながら。こんな熱中した姿を見たことがない、というわけで、ある若手選手が近づいていった。
「何を読んでんスか?」すると槙原、「えへへ」と笑って「ビミしんぼ、だよ。」 若手選手、何のことかわからない。「何スか、それ」。こうなると槙原、得意げに「アレ、ビミしんぼ、知らないの、いま、グルメブームだろ?このマンガ、結構流行ってるんだゼ」。
ひょっとすると・・・と、若手選手が覗き込むと、そのページには、料理の絵がビッシリと描かれてあった。そう、槙原が見ていたのは、「ビミしんぼ」ではなく「美味しんぼ」(おいしんぼ)だったのだ。まあ、たしかに美味は「ビミ」とも読むが・・・
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鳥取の城北高校を53年に卒業した川口は(株)デユプロに入社。大阪でサラリーマン生活を送っていた。仕事は営業。もちろん、接待や付き合いは欠かすことが出来ない。
ある日のこと、いつものように同僚数人と北新地を歩いていた川口に、ブランド品に身を包んだちょっと見てくれのいい男が声をかけてきた。「お兄さん、いい男だね。どっかの飲み屋で働いてるの、それともサラリーマン?」「普通のサラリーマンですよ」「それならば、給料は大したことないだろう」「まあ、大して高くないけど、世間並じゃないですか?」
「どう、転職しない?君なら月100万円は楽に稼げると思うけどね」「100万円!ウソでしょう。一体、どんな仕事をすれば、そんな給料をもらえるんですか」「ホストだよ。君ならチョット働けばウチの店のNo.1ホストになれると思うんだけどな」これには、高校を出たての川口は目を白黒させるばかり。小さい頃からプロ野球選手になりたいという夢を持っていたこともあり、ほうほうの態で逃げ出したという。
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ロッテの監督時代、鹿児島でキャンプしていたときのこと。筋ジストロフィー患者の療養所があることを知らされた。「なんじゃい。その金ジストマっちゅうのは?」いやいや、ジストロフィー。
これは不治の病の難病で多くの患者は2、3年くらいしか生きられないといわれている、と説明をうけたカネやん。「うーん、そんな子供たちがおるのか、わし、会いたい」時間をさいて市内の療養所へいくと、子供たちが出迎えてくれる。その顔がみな底抜けに明るいので、カネやん驚いた。いや、難病といってもたいしたことないのやないかと考えたかもしれない。ところが、療養所の先生はこういう。「彼らはみな、近いうちに死んでいくことを知っているんです」
自分の寿命を知っていながら、明るく生きようとする子供たちの姿を知ったカネやん、突然、大粒の涙を流し、声をあげて泣き出したという。「わしゃ、この歳になって、はじめて命の尊さを教えられた」以来、金田さんは鹿児島に立ち寄ると、かならずその療養所を訪ねている。
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