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ある日、川又は広島駅のプラットホームで新幹線を待っていた。広島に住むその若い女性も友人の見送りでホームにいた。川又は中日ファンの女の子と思った。というのもその女性が持っていたセカンドバッグにはCDマークがあったからだ。
なんと川又は「クリスチャン・デイオール」を「中日ドラゴンズ」と思い込んだのだった。「これ、変わってるね。ふつうドラゴンズの商品はブルーの商品が多いのに・・・」気軽に話しかけた川又に、キョトンとする三枝さんだったが、元が明るい女性。川又の勘違いを冗談と受け止めた。
「面白い人ね」という第一印象から交際がスタートし、ついにはゴールインしてしまった。三枝夫人は英語がペラペラで、源氏物語の英訳をしたほどの才媛だが、結婚後は内助の功を努める毎日である。ナインからは「おまえが、あんなアタマのいいヨメさんをもらえるなんて」と・・・
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ある日所用で奈良から戸籍謄本を取り寄せた。「あれ、違う。名前が間違っている」謄本の名前を見て駒田はドキッとした。なんと徳弘の横に「のりひろ」とフリがながしてあるではないか。「スイマセン、ここに、のりひろとありますがとくひろの間違いではありませんか?ぼくは、コマダトクヒロですよ。」
役所の係員に聞いてみたが「いえ、謄本に出ているのが正しいのです」と。奈良の実家に連絡してみると、オヤジさんが「ん?のりひろ?あぁ、そうだったかなぁ。ひょっとしたらそう命名したかもしれんなぁ。いや戸籍に載っていたんならそうなんだろう。ワシ間違えて呼んどったつうこったな。うん」
20ン年間「トクちゃん」「トク坊」と呼ばれてスクスクと育ってきたのに、今更名前が「のりひろ」だって言われても・・・。駒田はしばらく開いた口がふさがらなかったそうだ。
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61年、広島との日本シリーズで元同僚の小林から左頬デッドボールを食らった。誰もが骨折と思ったが、幸いにも打撲ですみ、翌日元気に試合に出場した。
この死球の場面をテレビで観ていた女性がいた。前年の暮れ、V旅行へ行った際、知人の紹介で、今の加代子夫人と知り合っていたが一目ぼれの伊東のアタックにもかかわらず一方通行。このまま片思いで終わるかと思われた。
「あら、あの伊東さんだわ、かわいそう。」と後日、見舞いの電話を入れたのである。感激したのは伊東。その後の初デートでプロポーズ、二度目のデートで返事をもらい、二ヵ月後に結納、4ヵ月後には入籍と「超速攻」で美人妻を獲得したのだった。
伊東はこのデッドボールを一生忘れられない。
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「ネット裏にいるより、まだグラウンドにいる方が似合いますよ」と冷かされるほど早すぎた引退。誰もがそう思ったし、実は本人もそう思っていた。引退を表明したその直後に届いた一通の手紙を読むまでは。
故障続きの体、思うようにプレーできない歯がゆさ、チーム内で浮き上がってしまった立場、監督やオーナーへの不信感。複雑な要素が絡まりあい自分でもはっきりこれと言い切れるものはなかった。そんな思いのところへファンの女優薬師丸ひろ子から花束とともにあるメッセージが届いた。
「掛布さんもとうとう卒業されるんですね」 卒業ーそうだ。掛布にとって引退は卒業だったのだ。20才にして夢のような大金を手にし、豪気な遊びも体験した。25才では本塁打王を獲得しミスタータイガースと呼ばれた。60年には念願の日本一も達成し、全てに満たされた。掛布は力を余して引退したのではなく、力を使い切ってしまったのだ。早すぎる引退もすべてのことに於いて卒業の早かった掛布の運命だったかもしれない。薬師丸の卒業という言葉に納得したのである。
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