道具の使い方
我々の周りには様々な道具がある。
現代では携帯電話・パソコン等の道具が国家レベルで広まっています。一昔前だと、冷蔵庫・テレビ・洗濯機が家庭の三種の神器としてもてはやされていましたが、あくまでこの三つは家庭の為でした。現代の道具たちはどんどん個人の為…という存在へと変化しています。
道具は何の為にあるのか…カッターナイフからパソコンまで、どんな道具であろうとも人間に使われる為にこの世に生み出されました。
つまりはその存在意義は
人間の役に立つ為・幸せにする為
に道具は存在しているのです。
たとえ本音はどうであろうとも(笑)
その正しい意義はそこにあります。
文明が発達するにつれて道具はその形を様々に変えて増えていきました。有名な世界の三大発明と言えば活版印刷・火薬・羅針盤ですが、私の考える世界の三大道具発明は
武器の発明・言葉(言語&文字)の発明・規則(法律)の発明
です。
特に言葉の発明は同時に情報の発明でもありました。言葉が発明されたことで様々な形で情報が伝達できるようになり、それが現代におけるパソコン・携帯等の形へつながってきたのです。また規則の発明は現代の法律へとつながっているのです。
つまり
情報は道具、法律や規則も道具、言葉も道具
これらは道具と言う認識で使われる事が少ない物ですが…しかし人間が作り出したモノである以上はそれらは全て道具なのです。
五十音も、信号機も、日本国憲法も全ては道具でしかありません。それ以上でも以下でもなく…。
道具である以上は人間の役に立つ為・幸せにする為に存在しているのです…例えそれが目に見えないものであっても。
電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、信号機が三色なのも全ては人間の幸せの為なのです(笑)
一番分かりやすいのが道路交通法並びに道路標識で、混雑する大都会でこの道具が無かったならば、どう言った事になるのか…想像してみれば直ぐに分かることでしょう。
もし全ての人間に凄まじい交通整理能力があり、信号機等の機材に頼らずとも事故を起こさずに円滑に交通を行うことが出来るのであれば、このような法律や機材は必要無い訳です。
道具の定義はあくまで上にある通りですので、人間を幸せにしない道具には何の価値もありません。
あくまで人間が上であって、道具は下なのです。
しかし現代ではその道具に踊らされることもしばしばで、特に
情報
と言う道具を使いこなせずに、振り回される事が多いようです。
新聞・雑誌・テレビ・インターネット等
のあまりにも巨大な情報の渦に飲み込まれてしまい、その情報と言う道具たちを持て余してしまって道具が人間の上に立つ…と言う事態も珍しくはありません。
虚しく膨れ上がった数多の情報の渦に巻き込まれて、己を見失うことの無い様に気をつけたいものです。
全てとは言いませんが、要するに
世の中、どうでも良い情報が蔓延している
ような気がしますので…(笑)
その本質を見失った道具の使い方は本末転倒ですので傍から見ると
馬鹿みたいです
例えば、勉強が嫌いなのに大学に行くとか…(笑)
大学等の学校も道具です。
