【VF400Fについて】

 VF400Fは1982年10月のパリショーで発表され、日本国内ではVF750Fと同時に12月に市販されました。
当時の400ccクラスではCBX400Fが48PSでGSX400Fが45PSでしたが、それらを凌駕する53PSとRZ350以外では例のない水冷エンジンを搭載して登場しました。
インライン4で水冷エンジンを搭載したバイクは1983年のGSX400FWまで現れませんでしたが、そのGSX400FWも当時は50PSでした。
当時の「尺度」として「一馬力当たり一万円」と言われていましたが、48PSのCBX400Fが\485,000(ツートンカラー仕様の場合、赤一色のソリッドカラーは\470,000)53PSのVF400Fが\528,000だったことを考えると、やれ「H・Y戦争だ。」とか「バイク・バブル期だ。」とか言われながらもホンダの価格設定は良識の範囲内だったようです。

「水冷V型4気筒DOHC16バルブ」が如何に優れたエンジンであるかは此処では省略しますが、それ以外にも、クラス初の装備としてフロント16インチホイールや油圧クラッチ、ビキニカウル(カウルが認可されていなかった当時、行政対策上「メーターバイザー」と称していました。)を採用していました。しかしながら、VT250FやCBX400Fと共通の装備が多かった為、新鮮味に欠けたことは否めないでしょう。
余談ですが、インボードブレーキの16インチホイールは初期型VT250FCやMVX250Fと同一だと思われがちですが、VF400Fに付いている「ブレーキトルク応答型アンチダイブシステム」(TRAC)は250には付いておらず、フロント廻りはVF400F専用設計であったことを物語っています。折角そこまでするんだったらインボードにとらわれず、普通のダブルディスクブレーキにして欲しかったというのが、一人のユーザーとしてのホンネです。

 さて、1982年の12月に販売開始されたVF400Fは当然のごとく1983年の鈴鹿4時間耐久レースに多数エントリーすることになります。
そんな中でポールポジションを獲得した鈴鹿レーシング「山本浩生・吉田健一」組のVF400Fですが、V4故の回り過ぎるエンジン特性が災いし、バルブ欠落というトラブルでリタイヤ。優勝はモリワキレーシングからCBX400Fでエントリーした「宮城光・福本忠」組に譲りました。
翌1984年にはホンダから空冷エンジンとしては最強の58PSを発揮するCBR400Fが、ヤマハ、スズキからは自主規制値上限の59PSを発揮し、車重も軽いFZ400RやGSX-R等が相次いでエントリーし、VF400Fには苦しい状況になりましたが、決勝レースでは途中から崩れた天候の中、敢えてドライスリックタイヤで逃げ切った「レーシングチームハニービー」のVF400Fが4耐を制しました。
更に1984年といえば、VF400Fインテグラが発売されたことも忘れてはいけません。これはモデルチェンジやマイナーチェンジではなく、バリエイションモデルという位置付けでしたが、ここに来てようやく「本来の性能に見合った」ブレーキシステムを獲得した点は特筆に値するでしょう。
 1985年には「2年目のマシンが4耐を制する。」のジンクスで今年こそCBR、FZ、GSX-Rの三つ巴が予想されVF400Fは「カヤの外」でしたが、フタを開けると「レーシングチームハニービー」のVF400Fが2年連続で4耐を制しました。このことに最も驚いたのはCBR400Fで勝てなかったホンダでしょうが、2番目に驚いたのは我々VF400Fオーナーでしょう。全く期待していなかったと言えばウソになりますが、まさかこんな大それたことをやってくれるなんて...
また、この年の8耐ではトップを独走する「平・ケニー」組から気迫と執念と幾らかの幸運で逆転勝利を果たした「徳野・ガードナー」組の活躍、ル・マン24時間耐久では耐久スペシャリスト達による1-2-3フィニッシュなど、RVF(750)の活躍も顕著で、ル・マン後に発売された各オートバイ雑誌の表紙をめくれば見開き2ページでリザルトとVF750F&VF400Fの広告が載っていました。

 この時点で翌1986年には「新型VF400R&VF750R」(当時、筆者はVFがVFRに改名されることはないと思っていました。)が控えていたことを感じていただけに「ホンダはムダな広告費を使わざるを得ない状態なんだな。」と苦笑しました。
 案の定、初代VF-Fシリーズはモデルチェンジをされること無く(VF400Fに「インテグラ」の追加設定はあったものの)1986年4月にはVFR750F、VFR400R/Zがリリースされ「180度クランク、カムギア駆動」の第2世代V4(ForceV4)に主役の座を明け渡すことになりますが、VF750FもVF400Fも大量の「余剰在庫」という問題は置き去りにしたままでした。
 1986年以降のVFRシリーズの詳細に関しましてはインターネット上に数多く存在する(少なくともVF400Fよりは)専門サイトに任せますが、メーカーからのVFR発売の公式発表以前にVF750Fで30万円引き、VF400Fで25万円引きが当たり前だった頃に購入された方で、年式相応の距離を走っている「程よく枯れたマシン」は欧米での人気故、多くが輸出されましたが、国内オーナーは二束三文で買い取られ、海外では「いい値段」で売られたそうです。(ヒドい話だ。)
欧米諸国でのVFシリーズの人気振りですが、INTERCEPTORの愛称で親しまれ、日本国内に於けるKATANAやNINJAに勝るとも劣らないと言えば御理解戴けるでしょうか?
VF/VFRシリーズの欧米に於けるアフターマーケットパーツの多さは日本国内のKATANAやNINJAの比ではありません。

 VF400Fはその排気量故に日本国内専用モデルと思われがちですが、350cc以下は輸入禁止だったイタリアを筆頭にイギリス、フランス、ドイツにも輸出されていました。
国内仕様が53PSであるのに対して55PSを誇っていましたが、これは表記上の違い程度で実際には明白な相違点は無いと思います。余談ですが筆者は限定解除後、US仕様98PSのCB1000SFに乗っていましたが、友人の国内仕様93PSのCB1000SFとの相違点を感じることは出来ませんでした。仕向け地によるVF400Fの違いもこの程度だと思われます。
個人&個人業者レベルでは日本や前述の国々から北米、カナダにも輸入されていたようです。これらの国々では1984年以降はVF500F/F2の登場によりメインは500にシフトしましたが、400が継続して併売されていたか否かは未確認です。
 VF500F/F2に関して少し述べておくと、VF400Fと寸法、重量が同一のエンジンは内径×行程がVT250Fと同じ60mm×44mmでフルパワー仕様が70PSを発揮する「一見」モンスターマシンですが、フルパワーのVF750Fが90PSであることを考えると妥当な数値と言えるでしょう。
そもそも国内仕様のVF750F(72PS)やCB750FC(70PS)が低すぎるのです。35PSのVT250Fのエンジンを2つ足したら70PSになることくらい小学生でも理解出来るでしょう。
 筆者はVF500Fが北海道のツーリングに出没していたとか、どこかのサーキット走行会に参加していたというウワサは耳にしますが、現車を見たことがありません。果たして日本国内に何台輸入されているのでしょうか?
VF500F/F2オーナーの方は是非とも名乗り出て、我々のクラブに参加して戴けると幸いです。


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