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目の話
ローマにて ローマ行きの機内で、早速もらった薬を飲み、目薬を点した。 しかし、内出血はますます広がって、ローマに着く頃には左目の左半分は白目が見えないほどに真っ赤になっていた。 鏡を見るたびに、ソウルの医者の診断が間違いなかったのだろうかと、また心配になってきた。 この先、ローマを経由しサルジニア島のオルビアというところへ行くのだが、田舎なので眼科の病院があるかどうか判らないし、そこから乗るヨットでの航海中に更に悪化したら手遅れになるかもしれない。 飛行機の狭いシートで寝ることも出来ず、時差の疲れも手伝って、不安感はどんどんとふくらんでいった。 夜遅くローマに着いて、やっとの思いでホテルのベットに入ってから、明日もう一度病院に行ってみようと思った。 翌日、クレジットカードの海外旅行サポートサービスを調べたら、ヨーロッパの事務所はパリにあることが判ったので、早速電話してみたが、呼び出し音がなっているのに誰も出ない。 今日は日曜日なのだ。 そこで、日本の海外旅行サポートサービスに電話をして、「ローマ市内で日本語の通じる病院を教えて欲しい」とお願いしたところ、「眼科医で日本語の通じる病院はありません。日本人の内科のお医者さんが一人います」とのことで、とりあえずそこの電話番号を教えてもらった。 翌朝そこに電話をすると、電話に出た女性が日本語で答えてくれた。 医師の妻だというその人に状況を説明すると、「それは大変です。でも主人は今日病院が休みなのでボランティアで修道院の診察に行っていて留守です。夕方の5時頃まで戻らないので、明日、診てあげますから来て下さい.」と言う。 でも、僕たちは今日の夕方の飛行機でサルジニア島に行かなければならない。 そう言うと、「それなら、カトリックの救急病院があるからそこへ行けば今日でも診てもらえます。今から病院の住所と名前をアルファベットで言いますから、それを紙に書いてタクシーの運転手に見せれば、そこへいけます。それから、イタリア語を読むときは、英語のように読まないで、日本人がローマ字を読むように読めば良いですよ。」と、親切に教えてくれた。 早速ホテルをチェックアウトし、タクシーを呼んでもらった。 タクシーの運転手に病院の名前を書いた紙を見せると、イタリア語で一言二言何か言い、走り出した。 タクシーはローマ市内をしばらく走り、バチカンの前を通り過ぎて少し行ったところで路地にはいると古ぼけたビルの裏口で止まり、運転手は鉄のドアを指さした。 タクシーを降り、そこから入っていくと、中は大きな病院の誰もいない待合室だった。 中を見回すと、受付の窓口らしきところや、薬局の薬を渡すところと思われる大きなガラス張りの窓口には、白いカーテンがひかれ電気も消えていて中には誰もいない。 入り口の脇に守衛の様な人がいたので、イタリア語で「眼科」と書いてある紙を見せると何か言いながら右の奥の方にある鉄の防火扉のようなドアを指さした。 そのドアの奥は木製の長椅子が4つ並んでいるだけの小さな待合室で、そこに子供連れの夫婦と、ハンカチで目を押さえた中年女性が座っていた。 日本の病院ならまず受付をして、それから診察ということになるのだけれど、どうしていいか判らない。 そこに座って待っていると、奥のドアが開き患者らしい女性と白衣を着た若い男が出てきた。 若い男が何か言うとハンカチで目を押さえた中年女性が入れ替わりに入っていったので、とりあえずそこに座って自分の番を待つことにした。 数分後、子供連れの夫婦が診察室から出て来ると、また白衣の若い男がドアから顔を出し、多分「次の方どうぞ」というようなことを言う。 いよいよ僕の番になったので診察室に入っていくと、女性の医師が座っていて、その横に助手らしいさっきの若い男が立っている。 医師に英語を話せるか聞いたがだめだと首を振り、珍しそうに僕を眺めている。 僕が左目を指さすと、彼女は目を診察する機械の前に座るように指さした。 診察した後、彼女は自分の目を手でたたく仕草をして見せた。 多分、目に何かぶつけたのかと聞いているのだと思い、手を振って「ノー」と答えると、今度はウェイトリフティングのように両手で重い物を持ち上げる仕草をした。 それで僕は出血の原因に気がついた。 身に覚えがあったのだ。 ヨットに持ってゆく日本食の補給食糧を沢山詰めた40キロくらいのバックを担ぎ、千歳空港の階段を駆け上ったのである。 これくらいの重さは何ともないと思い、多少無理して担いだが、顔にまで力が入っていた。冗談で「血管が切れそう」なんて言うけれど、その時本当に眼の血管が切れたのだ。 僕がうなずくと、彼女も納得したようだった。 イタリア語で何か話してくれるが意味は分からないし、僕としてもこの内出血がこれからどうなるのかを知りたい。 僕は、バッグからイタリア語の会話の本を取りだし、「病院での会話」のページを開いて彼女に見せた。 その本をしばらくの間二人で物珍しそうに眺めてから、彼女はページの一番下の行を指さした。 そこには「旅行を中止し、直ぐ日本に帰国した方が良い」と書いてある。 僕が驚いて顔を上げると、2人はニヤニヤしながら、今度は「2〜3日で直る」と書いてあるところを指さした。 こんなところでジョークを言うなんて、日本ではとても信じられないが、でもほっとして思わず僕も笑ってしまった。 彼女は立ち上がって歩きながら、こっちへ来いと僕に手招きをし、後ろを付いて行った僕に、洗面所のところで指で目を洗う仕草をして見せた。 「薬が出るのか」の問いには、必要ないとのことで、結局、目を清潔にしていればそのうち直ると言うことのようであった。 ほっとしながら、お礼を言い診察室を出た。 待合室を通り、病院の中を玄関に向かって歩きながら周りを見回したが、治療費を払うような所は見あたらなかった。 今にして思えば、僕の前に診察を受けた人達もそのまま帰ったようである。 無料なのだ。 入り口の横に座っていた警備員らしき人にローマ市内の地図を見せて、病院の場所を教えてもらうと、バチカン市国に近いのでそこから歩いて見物に行くことにした。 夕方、ローマ空港から日本人医師の家に電話をしたら、また奥さんが出たので、診察の結果を報告しお礼を述べると「夫から電話が来たときに話したら心配していました。お酒は10日間飲まないように、肉は3日間食べないようにした方が良いそうです。お大事にして下さい。」と丁寧に教えてくれた。 サルジニア島に着いて、僕らの歓迎パーティーは肉もワインも無しにしてもらった。 毎日、ソウルの医師からもらった薬を飲み、目薬を点して、内出血は少しずつ消えていき、一週間目には鏡を見ても殆ど判らなくなるまで直っていた。 僕は嬉しくて、グラスにいっぱい入ったイタリアの赤ワインをぐっと飲み干した。 (おわり) |